◇平和友の会会報安斎育郎「世相裏表」2019年12月号原稿
中村哲さんの銃撃死を悼んで
●ソラミミストの妻の死
世に「ソラミミスト」として知られるわが甥・安齋肇くんの妻で写真家の安齋香代子さんが、2019年11月29日に癌のため61歳の若さで亡くなりました。月明けの12月2日通夜が、そして翌3日に告別式が埼玉県下のセレモニー・ホールで開かれ、私も出席しました。98歳になる兄・知治郎氏(安齋肇くんの父)とも会えて長寿を喜びましたが、この日はその長男の妻の葬儀です。確定診断を受けてから188日の壮絶な闘病生活だったようです。
今月で67回目になる「福島プロジェクト」調査のためにも、香代子さんは貢献してくれました。完全ボランティア活動として続けている「福島プロジェクト」に取り組み続けるには「知力・体力・気力・協力・財力」が必要だと思いますが、最初の4つはともあれ、最後の「財力」だけは理解ある人々のご協力に頼るしかありません。原発事故から9年近く経っても放射能はそこここにしぶとく残り、農耕を再開したい人たちからの放射能環境の見立ての要請などには引き続き応えていきたいと思います。資金調達のために「クラウド・ファンディング」を実施したとき、安齋肇・香代子夫妻は大いに協力してくれました。寄付に対する返礼には肇くんが作品を提供してくれましたが、香代子さんはその製作や諸般の実務処理に力を貸してくれました。その後も、2年前の「喜寿記念安斎育郎絵手紙展」や、昨年4月に京都と舞鶴で開いた「安齋肇・しあがり寿・安斎育郎3人展」でも協力してくれ、今後もその力を借りながらお互いに楽しみを共有していこうと思っていた矢先の旅立ちでした。
12月3日、失意のうちに帰京すると、翌日、ペシャワール会の中村哲医師が何者かに銃撃されて死亡したことを知らされました。
●中村さんの死を悼み、テロを生む社会を憂う
国際平和ミュージアムでは2003年の特別展でお世話になったこともあり、そして何よりも、いのちを救いとるために粘り強く闘い続ける尊敬すべき生き方を貫いた中村さんの死を悼んで、すぐに「追悼声明」を発信する準備を始めました。
一方では、「第66回不戦の集い」が「わだつみ像」前で開催された12月6日には、中村さん追悼の緊急企画としてロビー展示を行いました。
「追悼声明」は学校法人立命館の了解も得て、12月5日付で公表されました(下記)。ホームページに掲出するとともに、ミュージアム・ロビーの展示横にも貼りだしました。今回は「館長・名誉館長声明」という形ではなく、「国際平和ミュージアム」としての声明にしました。
〈声明〉ペシャワール会・中村哲医師の銃撃死を悼む
立命館大学国際平和ミュージアム
伝えられるところによれば、ペシャワール会現地代表の中村哲医師が、2019年12月4日、自ら復興のために献身してきたアフガニスタンの地で何者かに銃撃され、急逝されました。立命館大学国際平和ミュージアムは、その死を悼むとともに、こうした理不尽な暴力に対して深い憤りを表明します。
国際平和ミュージアムは、中村医師らの活動に早くから注目し、2003年5~6月には、衣笠キャンパスおよびびわこ・くさつキャンパスにおいて、特別展「井戸も掘る医者~ペシャワール会の医療活動・緑の大地計画~」と記念講演会を開催、中村医師にも立命館大学での講義にご出講いただきました。
中村医師は、パキスタンやアフガニスタンでの難民の多くが大旱魃によって発生しているという認識に基づき、生活用水と農業用水を確保するために大規模な灌漑事業に取り組み、2010年には総延長25㎞をこえる用水路の完成によって約10万人の農民が暮らしていける基盤を築きました。
2003年の特別展に当り、中村医師が当ミュージアムに寄せたメッセージの中では、「武力や政治スローガンは旱魃対策になりません、平和の基礎は、相互補助に生存の保障です、私たちは『生きること』、そのことに希望を見ます。猛々しい軍隊のライフルや頭上を飛ぶ米軍機をよそに、今日も黙々と作業に励みます」と述べられています。企画実施に際して安斎育郎館長(当時、現名誉館長)は、「人が人に手をさしのべ、いのちを紡ぎ出すペシャワール会のめざましい活動は、私たちに人間としてのありようを考えさせてくれるでしょうと」と述べました。
私たちは、いま、いのちを紡ぎ出すために懸命に献身された中村哲医師のいのちが暴力によって奪われたことに衝撃を受けるとともに、こうした暴力を生み出す社会のあり方に目を向け、世界の平和博物館と共同して平和の尊さを人々に訴えるとともに、かけがえのない命を豊かに育む文化の発展のために努力することを目指します。2019年12月5日
アフガニスタンの人々の命を救うために献身的に努力してきた中村さんの命が、まさそのアフガニスタンのテロリストの手によって殺害されたことは、理不尽極まりないものに感じます。背景には水利をめぐる既得権益者たちの意図が働いているとも伝えられますが、なお真相は闇の中です。元長崎市長の伊藤一長さんの銃撃死ともども、ミュージアムは平和のために奮闘する人々に向けられるこうした暴力を生み出す社会のありように目を向け、原因を断つ努力の一翼を担い続けたいと思います。