平和友の会会報「世相裏表」2017年7月号

平和友の会会報「世相裏表」2017年7月号
「核兵器禁止条約」加盟を国政マターに!

●ついに「核兵器禁止条約」が採択
国連の核兵器禁止条約交渉会議で、2017年7月7日、参加124か国中「賛成122、反対1(オランダ)、棄権1(シンガポール)」で同条約が採択されました。その主要な内容は、①核兵器の開発・実験・生産・製造・取得・保有または貯蔵を禁止する、②核兵器や核兵器を管理する権限を譲渡することを禁止する、③核兵器や核兵器を管理する権限を譲り受けることを禁止する、④核兵器の使用や、使用をちらつかせて威嚇することを禁止する、⑤条約が禁止する活動について援助・奨励・勧誘することを禁止する、⑥条約が禁止する活動に関わる人からの援助の要請を受けることを禁止する、⑦自国内に核兵器を配備することを禁止する、です。人道的見地から核兵器の存在を否定した画期的な条約ですが、核保有国は不参加、加えて、驚くべきことに、「唯一の被爆国」である日本の政府も不参加でした!

●反対・不参加の国々
オランダが唯一反対票を投じたことを不思議に思うかもしれませんが、北大西洋条約機構(NATO)加盟国から唯一参加していたオランダは、事実上「核保有国の代理」ともいうべき主張を展開し、核兵器禁止条約と核不拡散条約(NPT)が衝突した場合には後者が優先することを条約に盛り込むよう求めていました。今回採択された条約では「核兵器の使用」も明確に禁止されていますが、NPTにはそのような取り決めはありません。核兵器使用の可能性も排除されないような危機的事態に直面したときに「使用の余地を残そうとした」のですが、受け容れられなかったため反対に回りました。
先述の通り、この交渉会議には核保有国は参加せず、「国際的な安全保障の実情にそぐわない」などとして拒絶していることもあり、今後の進展には障害も予想されますが、この条約が国連において採択されたことの人類史的な意義は極めて大きいと思います。
60年以上も原水爆禁止運動に取り組んできた私たち日本人にとってとりわけ深刻に受け止めるべきことは、アメリカの「核の傘」に依存している日本政府が、唯一の実戦被爆国として果たすべき人類史的な役割をないがしろにし、交渉会議初日に不参加を表明しただけでなく、「北朝鮮がこんな状況なのに、核保有国の存在を認めない条約には絶対反対だ」という立場を表明していることです。私が普段あまり使わない表現で言えば、「恥を知れ!」というところでしょう。
「唯一の被爆国」が「最強の核保有国」の「拡大核抑止政策」に依存し、核兵器の呪縛から抜け出せないでいる─深刻にして滑稽ともいうべき状況です。こうした状況の中で、日本の被爆者や原水爆禁止運動関係者は、国際社会に積極的な働きかけをしてきました。40年以上にわたって被爆者とともに原水爆禁止運動に関わってきた私も、「やっとここまで来た!」という感慨に囚われます。

●核抑止政策から核兵器全面禁止政策への転換を
「拡大核抑止政策」というのは、核保有国が核兵器による威嚇によって自国だけでなく同盟国も守ろうという政策です。日本はアメリカの拡大核抑止政策に依存し、過去には国内にアメリカの核兵器が持ち込まれたこともありました。国民の反発もあって、「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」という「非核3原則」を国是(=基本方針)とはしたものの、日米同盟の枠組みの中で核兵器禁止に向けて「アメリカの意向の外に出る」ようなことには一切取り組まず、国際社会からも批判の目を向けられてきました。核抑止政策はしばしば「国家的信用詐欺」とも呼ばれますが、核兵器の保有によって戦争は抑止されず、核保有国も9か国(アメリカ・ロシア・イギリス・フランス・中国・イスラエル・インド・パキスタン・北朝鮮)に拡散してきました。北朝鮮の核兵器保有についても、核保有国による働きかけは「ヘビー・スモーカーの禁煙運動」と揶揄されるように説得力に欠けています。核の脅威を克服するには核兵器の全面禁止以外にはありま
せん。
日本の私たちは、核兵器禁止条約への加盟を「国政マター」にし、国政選挙の重要な争点にしなければならないでしょう。いま、日本の政権党への国民の信頼が大きく揺らいでいますが、来年にもあるかもしれない国政選挙にあたっては、「公正で透明性のある民主的政治」を求めるだけでなく、広島・長崎の原爆被災とビキニ水爆被災を体験してきた国の国民として、「核兵器禁止条約への加盟」を国政選挙上の重要な争点にしたいものだと思います。森友学園や加計学園問題や南スーダンへの自衛隊派遣に関わって明らかになった政府の虚偽・隠蔽体質は、国民の「隠すな、ウソつくな」の声となって力を増しました。その背景には政権の驕りがありましたが、核兵器禁止条約については、平和的国づくり、世界づくりの必須の要件として「非核の価値」を選び取るのかどうかを明確に争点化し、それでもなお日米同盟の枠組みに囚われて「核抑止体制の擁護」という主張にしがみつくのであれば、そのような勢力には歴史のステージから退場してもらわなければならないと確信します。

●核兵器廃絶へさらに力を合わせよう
第1回国連軍縮特別総会が開かれた1978年、私は日本のNGO代表団の運営委員の一人としてアメリカを訪れましたが、ボストンで開催された市民集会で日本の一人の僧侶が流暢な英語で、「1975年に生物兵器禁止条約が発効した。“Why not nuclear weapons!”(どうして核兵器禁止条約ができないのだ)」と訴えかけました。その後、化学兵器禁止条約や対人地雷禁止条約などが作られてきましたが、そのために市民運動が大きな力を発揮しました。対人地雷の被害者の大半は子どもを含む「非戦闘員」です。これを禁止するためにさまざまなNGOが活動しましたが、1992年にアメリカ、イギリス、フランス、ドイツの4カ国、6つのNGO が「地雷禁止国際キャンペーン」を発足させました。そして、趣旨に賛成する国々の大臣とともに禁止条約の原案の起草を進め、1996年、カナダのアクスワージー外相が「1997年にオタワ会議を開催し、条約の調印を実施する」ことを宣言、実際オタワ会議で、地雷全面禁止条約を認めないアメリカ、ロシア、中国などの大国の存在にも拘わらず条約案を議決、ついに条約が成立するに至りました。核兵器は広島・長崎以来、実戦使用されていません。被爆者たちの世界へのアピールによって、その非人道性は広く認識されるようになり、使用へのバリアーはかなり高くなっています。しかし、条約が出来れば、仮に条約に反対する核保有国や同盟国があったとしても、核兵器使用へのバリアーはますます高くなるでしょう。そして、極めて非人道的な核兵器を保有し、それによる威嚇によって戦争を防ぐ核抑止政策のような主張は人々の支持を失い、核兵器廃絶の実現に貢献するに相違ないと私は確信しています。

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