75歳の数学的考察?

75歳の数学的考察?  安斎育郎

75という数は、日本では「前期高齢者(65歳~74歳)」と「後期高齢者(75歳以上)」を区切る年齢という意味があります。もっとも、「前期高齢者」「後期高齢者」という呼び名には批判もあるので、昨年7月、当時の田村憲久農林水産大臣は、それぞれ「若年高齢者」「熟年高齢者」のような呼称に改める考えも示唆しました。

75という数は、数学的には、48と互いに「婚約数」です。
婚約数(betrothed numbers)というのは、「1と自分自身以外の約数の和が、互いに相手の数に等しいような自然数の組み合わせ」のことです。“betroth”という英語は「婚約させる」という意味です。

75と48について、実際に確かめてみましょう。
75の約数は、1, 3, 5, 15, 25, 75です。1と75以外の約数を合計すると、

3+5+15+25=48

48の約数は、1, 2, 3, 4, 6, 8, 12, 16, 24, 48です。1と48以外の約数を合計すると、

2+3+4+6+8+12+16+24=75

どうです?「婚約数」の定義通り、「1と自分自身以外の約数の和が、互いに相手の数に等しいような自然数の組み合わせ」になっていますね。75と48は特別な関係で、この組み合わせは「最小の婚約数」なのです。もっと大きい婚約数の組み合わせは、

(140、195), (1,050、1,925)、(1,575、1,648)、(2,024、2,295)、(5,775、6,128)、(8,892、16,587)、(9,504、20,735)、(62,744、75,495)、(186,615、206,504)…

ですが、現在知られている「婚約数」の組み合わせは、すべて偶数と奇数の組み合わせになっています。現代数学でも、「婚約数の組み合わせは無限に存在するか?」、「偶数どうし、あるいは、奇数どうしの婚約数は存在するか?」は分かっていません。それくらい特別の組み合わせなんですね。

私は48歳の時に立命館大学国際関係学部の教員になり、平和学や平和博物館運動の分野に深く関わるようになり、75歳のいま、「平和のための博物館国際ネットワーク」(International Network of Museums for Peace, INMP)の役員や「立命館大学国際平和ミュージアム」の名誉館長を務める立場にあります。したがって、確かに、「平和学」は現在の私の重要なアイデンティティになっています。

皮肉なことに、前半生の主たる専門だった「放射線防護学」を教えることは立命館大学に赴任してから一度もありません。古巣の東京大学には、原子力政策批判に取り組んだ結果として居場所がなくなり、新たな赴任先の立命館大学では、「自然科学概論」などを担当する一般教育の教員としての役割を担いました。それまでのアイデンティティを貫けないということは不幸な面もあるでしょうが、私はいわば「学問的無宿者」としていろいろな分野を渉猟することが可能になった新たな人生を楽しみつつ、「スペシャリスト」から「ジェネラリスト」への道を歩み、自分でも「何が専門か?」と問われて即答できない、一種「怪しげな存在」になりました。今もそのことを楽しんでいます。

しかし、皮肉なことに、2011年3月11日の福島原発事故は、私をもう一度「放射線防護学者」に引き戻しました。そして、いま、40年来批判してきた原発政策の破綻の象徴としての福島の地に毎月通い、放射線防護学の専門家として被災者支援のボランティア活動に取り組みながら、「やはり、これが天職なのか?」というほどの感懐にも囚われています。

人生の前半生と後半生を大まかに区切った48歳から新たな道に踏み込んで75歳を迎えた今日、もう一度、「48と75は婚約数」ということを想起しながら、前半生の「放射線防護学」と後半生の「平和学」とを結合させ、何よりも「命の目線」で生きていきたいと思っています。現代平和学では、「平和」の概念は、「人間能力の全面開花を阻害する原因の不在」という理解が一般化しつつありますので、原発災害の問題は、まさしく平和学的な問題でもあります。
一昨年、日本平和学会が私に第4回平和賞を授賞した選考理由には、「暴力なき世界を構想する平和学にとって、原発は喫緊の重大な課題にほかならず、安斎氏の揺るぎなき精神に裏打ちされた活動は、平和学の最も先端的な実践というべきものである」とも書かれています。

実際には、私の人生は、信念を「揺るぎなく」貫き通せるほど平坦ではありませんでしたが、今後も、「しなやかに、したたかに」生きたいと感じています。この言葉は、今年、東京学芸大学教授となった元ゼミ生・李修京に書き送った言葉でもありますが、私自身のある種の「座右の銘」でもあります。

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