「ノーベル平和センター」と協力しました

2017年10月6日、今年のノーベル平和賞がICANに授与されることが発表されました。ICANについて は10月号の本欄でも紹介しました。この原稿は、まさに授賞式の直前に書いています。
授賞発表の翌日、平和のための博物館国際ネットワーク(INMP)理事であるノーベル平和センター のLiv Astrid Sverdrup(リヴ・アストリド・スヴェルドルプ)さんからINMP役員にメールがあり、ノーベル平和賞授賞式の翌日(12月11日)から同センターで始まるICAN受賞にまつわる長期展示(2018年 11月まで展示)に協力して欲しい旨の要請がありました。
ノーベル平和センターでは、今年のノーベル平和賞受賞者についての手時の準備を始めつつありま す。展示会は12月11日から始まります。何か展示で使えるものについてのご示唆についてお聞きしたいとおもいます。とりわけ、広島・長崎の原爆被災者とどうすればコンタクトがとれるか、情報が頂ければ 大変有難いです。また、原爆投下以降保存されている物資料についても関心をもっています」
この要請を受けて、INMP執行理事である山根和代さん(立命館大学国際平和ミュージアム・前副館長 )は、さっそく広島で被爆されたご尊父の体験や被爆2世としてのご自身の体験を踏まえた詩、被爆者 の証言DVD、ヒバクシャのピースマスクの展示、峠三吉や栗原貞子の詩、丸木位里・俊夫妻の「原爆の 図」、ヒバクシャが描いた絵、原爆についての漫画など、多くのアイデアを伝えました。
私 安斎も INMP諮問委員として、また 立命館大学国際平和ミュージアムの関係者である立ち場か ら、ミュージアムの学芸員情報を踏まえて、収蔵する被爆資料を紹介するとともに 広島平和記念資料 館および長崎原爆資料館とのコンタクト情報を送りました。また、どうせなら、立命館の資料だけでな く広島・長崎からも借り出した方がいいと思いましたので、さっそく10月19・20日に広島平和記念資料 館、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念資料館、長崎原爆資料館を訪れ、館長・副館長らにノーベル平和センターの展示企画への協力を要請しました。 博物館の収蔵物の貸し借りは、実は、手続きといい輸送料といい、非常に大変です。リヴさんは国際 平和ミュージアムの被爆学生服にぞっこん惚れ込み、ぜひ借り出したい思いは強くありましたが、何しろ往復の輸送費用だけでも150万円ぐらいかかりますし、貸し出した相手の展示環境についてもかなり 厳密にチェックが入りますので、「日本から被爆資料を借りだすのは諦めよう」と心が揺らぎました。 貸出し条件は交渉事項として残し、心に訴えかける被爆資料はノーベル平和センターの展示にとって極 めて重要かつ有効だから、「そんなこと言わないで日本に来なさい」と、こちらも強く働きかけました 。
 11月15日、ついにリヴさんが来日、被爆学生服は諦めたものの、結局京都と広島を訪れて合計5点の 被爆資料(立命館の「弁当箱」、広島の「防空頭巾」と「かばん」、長崎の「ロザリオ」と「腕時計 」)を借り出すことが出来ました。リヴさんの在日可能日数に限りがあるため、広島までは行けるが長 崎には行く時間がないということで、長崎原爆資料館の松尾隆課長自ら被爆展示物を携えて広島平和記 念資料館に届けて頂きました。リヴさんは大変喜んで、自ら空路でノルウェイに持ち帰りました 実に 、山根さんは、リヴさんの関空到着の11月15日から離日の11月18日まで、リヴさんが目的以外のこと に一切気を遣わなくていいように「徹底的に」アテンドしました。『きけわだつみのこえ』の編集を担 った中村克郎さんを父に持つ中村はるねさん(産婦人科医)が多額の資金援助を寄せて頂き、山根さん や私の広島─京都間の移動費用などに充当することができました。大変助かりました。  今回の協力関係はINMPを通じて可能となったものであり、国境をこえた平和博物館のネットワーク の有用性、重要性が改めて確認されました。INMP理事のクライヴ・バレットさん(イギリス)からも 、「INMPがこのように機能しているのは嬉しいことだ」というコメントが送られてきました。INMPは いま組織・財政などの抜本的改革が求められており、私も「戦略グループ」の一員としてその改革を担 いつつあります。INMPの運営形態がどうなるにせよ、今後、世界の平和博物館のネットワーキングを 一層発展させ、こうした平和博物館どうしの協力関係を国境を超えて発展させることは基本政策の中核 に位置づけられるべきことでしょう 11月17日、広島平和記念資料館で、リヴさん、山根さん、広島平 和祈念資料館の加藤秀一副館長、長崎原爆資料館の松尾隆課長、そして私などが一堂に会し、調整のための打ち合わせを行ないました。その席で私は、「INMPは創設から25年たち、その間、イギリス・ブ ラッドフォード大学のピーター・ヴァン・デン・デュンゲン氏が統括コーディネータとしての役割にな ってきたが、2017年4月の第9回国際平和博物館会議(ベルファスト)を機に第一線から退いた。INMP は現在統括コーディネータ不在の不正常な事態が続いており、われわれに魅力的な将来を提案する仕事 が委ねられているが、どうなるにせよ、こうした平和博物館どうしの収蔵品の相互提供のような活動は 強められるべきだと信じる。1940年生まれの喜寿の老骨は大したことは出来ないだろうが、もう少し努 力してみたい」という趣旨のことを述べました。
 12月11日から2018年11月までの11か月間、日本の平和博物館が大切に保存してきた被爆資料が、オスロのノーベル平和センターの展示室で若い来館者たちを含む来館者に核兵器の非人道性を訴えかけま す。ノルウェイの子どもたちも弁当箱(ランチ・ボックス)にサンドイッチなどを入れて学校に行くの で、立命館から貸し出した「被曝弁当箱」は若い来館者の感性に訴えかけ、ICAN受賞の背景にある核兵 器の非人道性を考えるための「小さいが大切な」展示物になると期待しています。

山根さん、リヴさん、安斎(国際平和ミュージアムにて)

原爆投下時間で止まったままの長崎の被爆腕時計(毎日新聞、2017年11月18日)

カテゴリー: 平和関連