ラジオ番組:平和・原発・ひとりごと 2019年4月号

皆さんこんにちは。平和原発ひとりごと。
2019年の新年度も続けますので、よろしくお願いします。

桜の咲いて、まぁ、この花は散り急ぐように散っていく、出会いと別れのはかなさみたいなものを同時に味わうこの季節ですけれども。
卒業された人、あるいは入学した人、そういうお子さんをお持ちの方もたくさんおられると思います。

今日このスタジオに来る時にいつもより15分ぐらい遅く着いたんですが京阪電車、いつも乗ってくる電車で人身事故があったってことで、全線が遅れているようでした。
春休み人がたくさん出ておりますので、ホームの混雑などで、思わぬ人身事故が起こったりしないように、どうぞ気をつけてこの季節を楽しんでいただきたいと思います。

4月になると何故か、年度が変わるっていうんですよね。

1年の年度は日本では4月から始まって3月に終わるんですね。
なじかは知らねどってわけですね。アメリカの9月から始まって8月に終わるとか。
国によって年度っていうのもちょっと違うんですね。

それに奇妙なことにカレンダーを見ると大体のカレンダーが日曜日から始まって月間水木金土となってるんですが、1週間の始まりは日曜日なのかなと思うと
「この週末どっか行かない?」っていう時の週末は土日を指してることも多いので、日曜日が1週間の終わりのような気もするんだけど、だけどカレンダー見ると曜日から始まってるっていう。
これも歴史的にいろんな面白い物語りがあるんですけれども、普段何気なく見ていることが実はそこに深い歴史的な事情が隠されたりしてなかなか興味深いものですね。

最近経験したことをお伝えしたいと思いますけども「平和・原発ひとりごと」ってことでどうしてもそういう問題に偏りますけども実は、3月の21日にですね。
お彼岸の日で世間一般はお休みでしたけども私はあるん集会に呼ばれましてね。
そこでトークセッションといいところで、まぁ難しいことですが核兵器禁止条約の意義と課題について5分間で話せっていう、そういう要求を受けたんですね。

この集まりはコリアン・ワールドっていう財団が主催したところで、基本的には朝鮮通信使というのが18世紀江戸時代にあったんですけども、朝鮮からいろいろな情報もたらした通信使。

この歴史は大変貴重なものだっていうんでユネスコの記憶遺産、世界記憶遺産に登録された。
2017年に登録された。そのことを記念する集まりんだったのと、もう一つは日本と韓国に日韓パートナーシップ宣言っていうのが1998年になされてから20周年を迎えたってことで、そのお祝いもかねて日本と韓国の関係者がで参加して盛大に行われたんですね。
その記念公演は千宗室(せんそうしつ)さん、千利休のずっと末裔にあたる方で、茶の湯、チャ道とかサ道っていますが、その世界ので大御所ですね。
大宗匠っているんですけども、宗室さん96歳にして1時間立ちっぱなしで情熱的に聴衆に語りかけました。

なんでそんなに元気なのか、ちゃんと千宗室さんは講演の中で、「お茶のせいだ」と言ってましたけれども、「カテキン」とかいろいろ言ってましたが、もともとお元気なDNAの持ち主なのに、3人世界を飛び回って英語も駆使してお話になってる。いかにも元気をいただきましたね。
それからやってお茶精神については、さすがに学ばせられることがたくさんありました。

その後、大総長の記念講演1時間に続いて、トークセッションってのがありまして、我々5人がですね、それぞれの与えられたテーマについてで、10分以内。5分から6、7分ですね。

お話しなさいっていうことなんですが、日本と韓国の間で共通の関心になってるようなテーマを、それぞれの専門家、例えば京都ユネスコ協会の相 大二郎会長、あるいは京都精華大学のウスビ・サコ学長、アフリカのマリ共和国から来られた学長ですけども、
それぞれの方が、それぞれのテーマについて話すこと求められたんで、私は何を話すかと思ったらば、まあ朝鮮半島の非核化の問題が今米朝間で問題になっているおりがらですね。

核兵器禁止条約について話しなさいってことだったんですよね。

ご承知と思いますけど核兵器禁止条約っていうのは2017年の7月7日七夕様の日ですね。
国連で122対1対1参戦120に反対1棄権1っていう大差で採択された条約です。
ところが国連で条約が採択されてもそれは条約として有効性は持たないので、それぞれの国々が国へ持って帰って、それぞれの国の民主的な手続きで国としてその条約に参加するかどうかっていうのを決めなきゃいけないですね。

それを批准っていうんですよね。

で、この核兵器禁止条約。核兵器を作ったり保存したり配備したり使ったり、譲渡したりすること一切を禁止する徹底的な条約でこれができるっていうのはものすごい画期的なことなんですが、これを批准する国が50カ国に達したら、その3カ月後にこの条約は発行する効力持つってことになってるんですね。

今日現在ですね、ベトナムとかタイとか南アフリカとかキューバとかニュージーランドとか含めて22カ国が批准しております。

もう少しと見るか、またそれだけかと受けとめるか、両方の見方がありますけれども、とにかく核兵器を廃絶するっていうのは、広島・長崎で核兵器の使われて以来、ずっとみんなの願いであり続けてきましたけれども、なんかこの夢の夢みたいで、アメリカとかロシアとかイギリスフランス、中国、イスラエル、インド、パキスタン、北朝鮮、次々と核兵器持つ中で核兵器を禁止するなんてことはできるのかなっていう思いもありましたけれども、

ついに国連というね、圧倒的多数でこれが採択されたということで、ちょっと希望が出てきたんですね。

明石康さんって昔、立命館大学の名誉教授を客員教授やっておられた方で、国連の事務次長として活躍した人がいましたけども、この明石さんが演説の中でこういったんですね

「Idea today will become a reality tomorrow」

今日の理想は明日の現実になるっていう意味ですね。なかなかいい、名言だと思いますけども。

まさに核兵器禁止条約が国連で採択されたそのことによって、夢のまた夢だと思ってたことが目の前の現実としてわれわれの視野に捉えられてきたいうことですね。
そしてどんな話をそれに付け加えたかっていうと、原爆あるいは核兵器っていうとすぐ広島、長崎を思いだして、日本は世界で唯一戦争で核兵器による被害受けた唯一の被爆国ってよく言うんですけどもね、果たしてそうかっていうことですね。

あの頃、朝鮮は日本の植民地だったんですね。
1910年明治43年に日本が朝鮮植民地化してから朝鮮の人々は日本政府の戦争政策の中で沖縄戦などにも動員されたし、たくさん労働者としても徴用工っていう問題が今問題になってますけども、日本に来ていたんですね。
広島、長崎にもたくさんの朝鮮半島出身の人いたので何万人っていう原爆被害者を出したんですね。
だから、決して日本人だけが原爆の被害受けたわけではない。朝鮮韓国の人々も大量に核兵器の被害を受けた。だから今、被爆者たちが被爆者国際署名、原爆被爆者は核兵器の廃絶は廃絶を心から求めますという署名運動が、何千万なんていう規模で展開されようとしてるんですがその呼びかけには日本の被爆者3人に加えて韓国被爆者協会の名誉会長なども名を連ねているんですね。

日本と韓国の間には今いろんな問題がありますし、或いは原爆投下の意味についても日本人は確かにそれに先だってアジア太平洋にいろいろな加害行為、侵略行為などをしたというう前歴はあるんだけども、たとえそういうう加害の前歴があるにしても、核兵器だけは戦争で使ってはならないっていう思いを持っているんですが、韓国とか中国の人からみると日本帝国主義による植民地支配あるいは、侵略そういうものにとどめを刺したあの核兵器は韓国や中国を開放するための必要な核兵器だったっていうふうに見る向きもあるんですね。

だから原爆投下思った意味についての解釈に違いますし、今現在われわれの目の前には慰安婦問題や徴用工問題や竹島独島の問題などいろんな見解の違いはあるけれども、しかし日本人も韓国人も原爆によって被害を受けてその被害を受けた結果として戦後社会で人生にとんでもな災害を味わなければならなかったという事実だけは確かなんですね。

だから、原爆投下の意味については今後とも意見交換していくにしてもですね、日韓の枠組みを超えて核兵器による非人道的な被害、これについては体験した人々が共通の声あげてですね、核兵器禁止条約がこのできたこの機会にですね。それに加わってない核保有国やその核保有国の傘の下に守られてるっていうふうに思ってる日本や韓国やドイツはこの条約に背を向けてるんですけども、それをさらに一歩進めるためにですね。
日韓両国の国民がともに核兵器被害核兵器の非人道性を体験した民族としてですね、おおいに声を合わせて世界に発信していくべきではないか、そんなお話しました。

そのときついでに、実は広島に原爆の10日された昭和20年、1945年8月6日の2週間ぐらい前までは、実はここ京都が原爆投下の第一目標であり、投下目標が今、鉄道博物館の中に機関車の円形転車台ですが、そういった形で保存もされているので、機会があれば鉄道博物館を訪れてみて下さいって、この番組でもお話ししたことですけど。

韓国の人もよくそのことはご存じないしね。
京都人でも知らない人が多いので、そのことについても触れておいたところであります。

その後も、私は長野県の満蒙開拓平和記念館をなどを訪れて忙しく過ごした3月でしたけども、4月以降も引き続きできるだけ健康でがんばりたいと思いますのでまた来月もお会いしたいと思います。

さようなら。

 

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ラジオ番組:平和・原発・ひとりごと 2019年3月号

以下、放送聞き取りテキストです。

皆さんこんにちは。

ええ安斎育郎 平和 原発 ひとりごとの時間がやってきました。もう三月ですね。

一年のうちの四分の一のコーナーをことにさしかかろうとしています。

外はまだなんとなく肌寒い日もありますが、日差しがだんだん暖かくなりましてね。

私は宇治市に住んでいるんですが平等院まで歩いて十五分ほどのところに住んでますけどもJR奈良線っていう京都と奈良を結んでいる路線はよく使っています。その途中に桃山って駅がありましてね。その途中に桃の花が満開ですね。もう春が来たなっていう感じです今日も、京阪三条駅で降りてこのスタジオまで歩いてくるんですが。

いつものように駅伝発祥の地っていう碑が立っているところをやってくるんですけども、鴨川を渡ってしばらくずっと高瀬川っていう川がありましてね。森鴎外っていう作家に高瀬川という作品がありますけども、その横を見ると佐久間象山遭難の地とかね「さくましょうざん」っていう人もいると思いますが。

実際は象山です。そう佐久間象山遭難の碑とか大村益次郎そうなんの日とかね。いろいろ十京都には史跡が山ほどありますね。

でそういうのを一つ一つ見ながら歩いてるととても時間掛かりますが、大体興味関心が旺盛のほうなもんだから福島の調査へいっててもスタスタと放射線だけ測ってればいいという気分にならないでね。

そのところところにお寺とか記念碑とか、開拓する記念日とかそういうものの前で足を止めるもんですから、調査仲間から見るとちょっとやっかいな調査員かもしれませんけれども、その分報告書にはそういうものも載せるので一月二十四日から二十六日まで行った時の報告書つい一週間ぐらいにできましたが四十二ページ埋まって、それは放射能の測定結果だけじゃなくてそういう景色とかどんな花が咲いているかとか、そんなこと書いてあるっていうところであります。それで七十八歳ええだんだん枯れつつあるもののやっぱり感性はなるだけ豊かにね研ぎ澄まして四季折々を感じたいものだと思っています。

さて今日はですね、ちょっといつもと違って平和原発ひとりごとっていう番組だけどもちょっと離れて。

あることを紹介したいと思うそれNHKに文化センターっていうところの京都教室。

NHKでやってる文化センター京都でやってる教室。そこに四月から私の新しい講座が開かれましてね。タイトルが育郎先生の知る楽しみ1、だます心、だまされる心っていうんですよね。

ええ安斎先生じゃなくて育郎先生というふうに親しみを込めてタイトルをつけてくれたんですが、だます心、だまされる心。

全六回四月から九月にかけて展開されるんですけども。

これについてちょっと紹介したいと思います。

NHK文化センター、今日このスタジオから歩いて十五分ぐらいかな?のところにあるので近い。ちょっと近いんですけれども。

そこでものすごくたくさんの講座が開かれてましてね。その中の一つに入れてくれてね。だます心、だまされる心っていうんで全六回を展開しようっていいうわけですね。

なぜNHK文化センター京都教室とご縁があったかっていうと昨年の八月一日にNHKから相談受けたんですね。「京都と戦争」ということで何か講座を組みたいっていうんですね。八月っていうと戦争を考えるのに、時期といえば時期ですね。

八月十五日が昭和二十年八月十五日、昭和天皇がもう戦争はやめますというラジオの放送した日ですね。

それで何となく八月になると、広島、長崎のこともあり平和とか核兵器の問題とかで日本中がいろいろなつどいが開かれてるんですね。でNHKとしては何か「京都と戦争」ってことでやりたいと。

事前に相談があった時に京都と戦争でどんなテーマがあるでしょうか?って言われたので、僕は二つあげまして、一つは「京都と原爆投下計画」あまり広く知られてないみたいだけど京都は、

原爆投下の第一目標だったんですね。広島に実際には最初の原爆が投下されたけどもその前、十日ほど十日あまり前、二週間ほど前までは。

それから「京都と戦争」っていったら欠かせないのは、やっぱり応仁の乱ですよね。ちょっと古いけど、もう十年以上にわたって首都、京都がですね内戦にまみれて死屍累々たるありさまになった。世界でもそう無いことだからで京都と戦争を語るのには応仁の乱は欠かせないのではないかってわけですね。

それでいいんそうことにしましょうっていうことになって、で京都原爆投下計画は私が担当して応仁の乱人のほうはですね、別の歴史の先生で新しい観点から京都応仁の乱について現在的に論じられる先生にやっていただくってことで、それでご縁を結んだんですね。

京都原爆投下計画にも何十人かの受講者の方がお見えになって、外国人など相手にボランティアガイドをしている女性など来ていただいたんですが、やっぱりあまり京都が原爆投下の第一目標だった、それは今の京都駅のすぐ近くにある鉄道博物館の中にある転車台、列車の方向を変える回転テーブルみたいなものがあるんですが今でも残ってますが、そこがその狙い目だったっていうことを歴史的事情を含めて細かく紹介したんですが、そんなこと知りませんでしたっていうんで、その後やっぱりこのラジオ局の界隈などにやってくる外国の方、特に原爆を投下したアメリカからの観光客に京都が原爆投下の第一目標だったって知ってる?っていっても知らないって今こんなんすばらしい街を原爆で破壊するなんていうそんな計画があったのかって、どこの国だ?ってわけですが、じつはあなたの国のことだけども。

原爆落とした方のひとも落とされた方の国のひとも、もうあまり京都原爆投下計画は知らないんですね。

どうしましょう?ってわけで少し詳しく紹介したんですね。

で、それがご縁となって、じゃあ先生で語りぶりもなかなかおもしろそうだから別のテーマで、来年はシリーズでやって下さいっていうんで、話が持ち上がったのが、だます心、だまされる心。

これ実は何年か前にNHKのテレビで全八回でてテレビでやったんですよね。

同じタイトルでテレビでやったんですよね。
一回二十五分番組でしたけれども、なかなか面白かった。
で一番最初の回は祇園のワインバーを借り切りましてね。まぁ、十二月に撮影しましたけれども朝七時ごろにワインバーに集まるように言われて、しかもタキシードかなん着てこいってんですね。

それでワインバーで、僕はてタキシードを着て手品をやる画面から始まったんですけど。もうんまさに騙しと言うと手品というとになってるんで、そこから話に始まりまして、今度のお盆四月八日お釈迦様の誕生日に第一回目でNHK文化センター京都教室をやるんですが、トリック人為的な不思議現象ってんで、うん。

僕いくつかの手品を演じることにしています。
手品は僕は中学一年生から趣味にしてるので、それから東京大学の学生のころは大三代奇術愛好会会長やってましたのでね、ええで今も国境なき手品師団の名誉会員をやってるので、手品はお手のものなんですけれども、でまず人間ほら簡単にだまされでしょってのやっていただいて、その上で第二回目には文学芸術の中のだまし、

探偵小説とか推理小説と呼ばれてるものは、悪い意味では作家が読者をだます訳ですよね。
すぐには見破るれないような騙しのすじだてを考えて、おもしろおかしく、しかも文学作品だから、いかにも名文をつらねてそういうトリックを仕込んでいくんですけども、シャーロックホームズ始めどんなそこにはトリックの原則があるかってこともお話しするんですね。三回目の霊とカリスマの世界ってんで。

これは日本にとっては1995年で三月二十日に東京地下鉄サリン事件というのがオウム真理教事件て大問題になったんですけども、そこで麻原彰晃って人が持っている一種のカリスマ性。

これに惹かれてですね、東大とか早稲田とか慶応をでた人が他愛もなく教祖が超能力て宙に浮くなんてこと信じて、とんでもない犯罪集団になっていったんですが霊とカリスマの世界を論じてみよう。

そして四回目には科学者もだまされるっていうんで科学者はだまされないか?そんなことはなくて歴史を見てみると科学者もとんでもないうそのことを本当だと思い込んで研究した失敗の歴史もありましたですね。まあ今でも私のまわりでも科学者も詐欺にだまされてるからね。科学者も騙されるっていうのをやろうと。

五回目には実生活に潜むだましっていうんで、まあオレオレ詐欺といわれるものを始めとして、このごろそれでは大変進化しているので自分は騙されないと思ってる人が一番危ないってんですけども、これをまとめようと。
もうつい三日ぐらい前に私にも、フランスからだましのメールが来たんですね。
いかにも親しそうにフランスまで旅立ってきたけれども、財布を盗まれて困ってるんでとりあえずいくらいくら貸して欲しいって僕の知り合いの名前を語っているメールをよこすんですね。
こういう経験は何回かありますので騙されたりはしませんけども、日常いつ騙されるか分からんない。

そして一番最後に六回目どうすればだまされないのかなっていうお話しをしてまとめよというわけですね。

でNHKの受けつけは〇七五の二五四の八七〇一、〇七五二五四の八七〇一ってところで、お電話で受けつけているようですが、出足好調。

そうのようななので関心のある人は一度電話をして様子を伺ってみてもらうとよろしいと思います。
さて私の三月は福島を調査の延長線上で福島の農家の方々が商品にならないエゴマを使って石鹸の開発をしたいというので、京都に集まって、そのをシャボン作り石鹸作りの可能性について関係者と話しし、四月以降の福島調査をまた続けていくその足がかりにしたいと思っています。
今年も基本的に毎月をベースにして福島通いをして、もう被災から八年が経ったんですけども、まだ困難を抱えている福島の人々を何とか私のできる範囲で支援し続けたいいと思っています。

また来月お会いしましょう、さよなら。

 

カテゴリー: 原発関連

ラジオ番組:平和・原発・ひとりごと 2019年2月号

ラジオ番組:平和・原発・ひとりごと 2月号

以下のURLから、ラジオ音声ファイルをダウンロードできます。

FM797京都三条ラジオカフェ
番組ダウンロードURL

http://radiocafe.jp/201704001/episodes/2019-2-6oa/

以下、放送聞き取りテキストです。

 

皆さんこんにちは。

安斎育郎 平和 原発 独り言の時間がやってまいりました。

もう2月ですね。この前、あけましておめでとうと言っていたんですが、もう一年の8%が経っちゃったのかな。

早い気がします。今日このスタジオに来る時にも、いつものように京阪三条で電車降りて、三条大橋を渡りながら来たんですが、お昼時に近い時間帯に来ると、あの土手に座ってお弁当などを広げると、ハトとかカラスがやってくるんですよね。

狙ってるんですね。私も前、狙われたことがありましたけれども。橋を渡って自分自身の買い物をするためにコンビニに寄って、三条河原町の交差点まで来ましたら、物凄い音を立てたパトカーが2台、30秒間隔ぐらいで、ものすごいスピードで北の方に走って行きましたけど、何か交通事故なのか、あるいは事件なのかですね、ただならぬ雰囲気でありました。

まあ、そういうのを見聞きするにつれて、自分が今のところ安全に日々暮らしてることについてホッとするような、これからも気をつけなくちゃっていう感じになりますね。

さて1月にも下旬に福島に行ってきました。57回目の訪問でしたけれども、今、保育園に火傷の散歩ルートの見立てとか、あるいは毎日出す給食の食材の放射能検査・・・このところ、やってもやっても放射能無しという結果しか出てこないので、資料を作るのがかなり大変で、労力を取られるんですね。

だからもうやめてもいいのではないか?っていう声が保育園の保育士の間にもおこってるなかで、いつ、どういう理由でやめたらいいのか?っていうのを悩んでるので、その相談にも行ってきました。

人間なんかことを始める時には、理由があるもんだから、放射能の汚染が心配だから食品を計ろうとかいうそういう理由があって始めるんだけれども、ずっとやってるうちにも、もう何も放射能が検出されない くなって毎日毎日、測定表に” ND = not detectable ” 測定限界以下ですね。

そういうの書き込む為に終了時間がかかって作ってるっていうのが、保育の他の仕事も忙しい中でいつまでやる必要があるのかちょっと悩ましいところなんですね。その相談に乗ってきました。

でも、ちょっと前に示唆したかもしれませんけれども、私は「10年目、軟着陸作戦」っていうの提案してきたんですけども。

今すぐやめても、まあ放射線防護学的には、何の問題もないけども、人間がやっぱり気持ちが大事だからね。今急にやめると、保護者も含めて大丈夫か?という不安が残るといけないので、10年目、事故が起こったのが2011年3月11日だったから、2021年 3月11日をきしてやめるかどうかの最終判断をすることにして、それまで今までやってきた測定を少し緩めてね、測定する品目を減らすとかいう工夫をして、だんだん減らしていって、2011年3月11日から10年目、2021年ですね。

今から2年後ですけども、そこに、何か学習会とか講演会とか、市のこういう放射能担当の人を呼ぶとかして、保育園における給食の放射能汚染の現状はどういうものかってことについてみんなで学びあって、それならこの保育園で測定するのを一区切りさせてもいいでって、判断をしたらどうかってんで、「10年目、軟着陸作戦」の提案したんですが、わりに気に入られたようで、これから具体化するってことになりました。

それから、農家が今年も作物の栽培をするんだけども、汚染環境は大丈夫かどうかっていう相談にものった上で浜通り太平洋側の楢葉町っていうところにある、宝鏡寺、宝の鏡の寺と書くんですが、浄土宗の室町時代以来の古いお寺で、ここに行って、和尚さん早川篤雄さんと言うんですが、この和尚さんと40年来、原発反対運動一緒にやってきたので、「原発悔恨伝言の碑」、原発を批判する活動をやってきたけども、それをついに作らせてしまったうえに、こんな大事故を起こしてしまったことについての悔恨ですね、そして、そういうことを二度と起こさないようにという伝言が伝わるように、一生懸命取り組んましょうっていうことになったんですね。

私がその「原発悔恨伝言の碑」に刻む詩を書いたんですけども、その詩を高さ1 M 幅2 M ぐらいの畳一畳よりも大きいぐらいのものに書いて、そこに、浄土宗のお寺だから阿弥陀菩薩の像をどてんと置いてですね、そして、少なくとも数世紀その伝言が伝わるように、一生懸命取り組みましょうっていうことになったんですね。

その時にちょっと和尚さんと話したんですけれども、浄土宗っていうのはあの鎌倉時代に現れた仏教で南無阿弥陀仏という風に唱えると救われるって言うんだから、念仏を一所懸命唱えようということですね。

それまでの平安仏教は京都を中心にしてありましたけれども、真言宗とか天台宗とあったんですけども・・・鎌倉時代になると 戦争ですね。武士の間の戦いが起こって武士の中には、人を殺した人もいるわけです。当然ね、そういう人でも救われるのか、どうかって、武士にとっては非常に深刻な問題なんだけども、南無阿弥陀仏と一緒に唱えれば救われるって言うんだね。

それはかなり高い支持を受けたわけですね。まあ、天台宗、比叡の山にある天台宗のお寺などでは、ご存知かと思いますが千日回峰行なので1日に30 km ぐらいの道のりを山を駆け巡ってそれを1000日やった上で、一週間ぐらい飲まず食わずで修行すると救われるてんだけども、とてもそんなことやってられないのだからね。それで、しかも自分はの戦争で戦に駆り立てられて、刀で人を殺したりなんかもしてる、命を殺めているので もう絶望的なんですけど、それでもやっぱり死んだ後はできれば極楽に行きたいっていうわけで、そのためにはどうしたらいいかって言うと、南無阿弥陀仏と唱えれば言ってんだからこれはすごいですね。

浄土宗の後に、ご承知でしょうが浄土真宗っていうのができて、親鸞って和尚さんがつくる。

こちらも南無阿弥陀仏と唱えるんですけども、親鸞聖人は南無阿弥陀仏と唱えれば救われて、唱えないと救われないなんていうケチなことを仏様言わない、仏様は全員救うんだってね。

思わず口をついて南無阿弥陀仏と出た時には、自分が救われてるって事は自覚した瞬間だってんで、同じ浄土宗、浄土真宗で南無阿弥陀仏を唱えるけど、その意味合いは歴史的にそれなりの違いがあるんですけども、和尚さんさんと話したのは、阿弥陀仏という音阿弥陀様の「あみだ」というのはどんな意味だったのか?

僕は何か物事の元々の意味とか考える癖があってね。「あみだ」ってのはサンスクリット語の「あみた」は、「ア プラス ミタ」、「ア」ってのは、何々ではないっていう否定の接頭子なんですね。

「ミタ」っていうのは、推し量るという意味なので、「アミタ」っていうのは、推し量ることができない広大無辺な宇宙の原理ですね。とても人間が推し量ることができない、計り知れないそういうものの存在を「アミタ」とこう言ったわけですね。

それに対してですね、僕の方は原子力なんていうものにずっと関わってたので、「アトム」の世界に関わっていたんですが、「アトム」ってコトバは、また「ア プラス トム」から成り立っていて、「ア」ってのは、何なにではないって言う否定の接頭で、「トム」というのは、ちょん切るっていう意味なんですね、ギリシャ語でね。

今でも病院に行くと 「CT スキャン」 「コンピュータテッド トモグラフィ」という「断層撮影」っていうのがありますが、「トモグラフィー」の「トモ」は、切るって意味で、人間を輪切りにするように撮影するので 「CT スキャン」「コンピューテッド トモグラフィ」ですね。

だからアトムの世界っていうのは「ア プラス トム」切ることができない、それ以上細分化することができない物質の最小の単位のことを「アトム」と、こう名付けたんですね。

ジョン=ドルトンっていう人が名付けたんですけども、この人はもう小学校の時代から学校の校長先生だったっていう変な人っていえば、変な人ですけども、驚くべき人ですけども、この人の時代にはまさにこれ以上細分化できない最小の単位として「アトム」と名付けたんだけども、その後の研究によって原子そのものが内部構造を持つ、つまり、原子もさらにちょん切ることもできて、原子核と電子とかね、その原子核のさらに陽子と中性子とか、より細い素粒子ってのに分けられることが分かってきたけども、今でも原子のことは、「アトム」と言ってんですね。

片っぽの浄土宗の早川和尚さんは、計り知れない広大無辺なものに対する信仰をベースに人生を刻んできて、私と同じ今78歳なんですけども、一方の私はこれ以上切り刻むことができない宇宙の最小単位としてのアトムの世界に関わって78年来たんですね。

その二人、広大無辺なるものとこれ以上細分化できない二人が福島の原発問題で会って、今は共同で記念碑を作ろうとしてるってのは、何かそれ自身とても面白い事に感じてね、お金もかかることに相違ないんですけども、2021年のそれこそ3月21日、さっき保育園が食材の放射能のチェックを一区切りつけをかって、その原発事故から10年目には、お披露目ができるようにしたいということで、今、私がその畳一畳分あまりの詩をためしに書いていって、その上にどれくらい大きな阿弥陀様の像も置けばいいかってね、それをさらに次に 会う時には詰めていこうということになったんですね。

まあ、我々、1968年ぐらいから私はこの国の原発政策批判をやって、もうだからちょうど50年前ぐらいになるんですけれども、その原発が反対運動にもかかわらず、日本に54基もできて、そのうちの一基が自然災害に巻き込まれて、とてつもない人類史的な事故を起こしてしまったっていうことについては、とても悔やまれる、もっと何かやり方はなかったのか?っていう風に悔やまれますけどね。

まあ、これからも早川和尚さんとも協力しながら、後世にこういうことが起こらないように、みんなで努力しようではないかっていうことを伝えていきたいというふうに思っています。

福島は、今2月、今月は寒くて雪が降る恐れがあるので、放射能の測定も 実態が雪で放射線が隠されてしまう恐れがあるので、2月はお休みですが、3月からまた福島に赴いて毎月の福島調査を続けていきたいと思っています。

来年には80歳になりますけども、この調査には年齢制限はないので、今しばらくは続けていきたいと思っております。

また来月お会いしましょう、さようなら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カテゴリー: 原発関連

ラジオ番組:平和・原発・ひとりごと 2019年1月号

ラジオ番組:平和・原発・ひとりごと 1月号

以下のURLから、ラジオ音声ファイルをダウンロードできます。

FM797京都三条ラジオカフェ
番組ダウンロードURL
http://radiocafe.jp/201704001/episodes/2019-1-2oa/

以下、放送聞き取りテキストです。

皆さんこんにちはあけましておめでとうございます。 2019年1月2日、早いもんですねぇ。78歳、今年79歳になりますが、歳をとるにつれて一年の経過が、やや早まったような気がするんですね。 気のせいって言えば、気のせいなんですが。 まあ、78歳にふさわしくないほど忙しい慌ただしい生活をしているせいか、何か一年がかなり足早に過ぎ去っていくような気がします。

去年2018年の流行語大賞っていうのが発表されましたけども、カーリング女子日本チームが試合中とか、あるいは、あの作戦会議の途中で使っていた「そだねー」って言うの がまあ予想通りですね、大賞に選ばれました。
「そだねー」っていうのは単純なことばですよね。「そうですね」っていう意味だから、相手の発信しているメッセージに同意を表明することばということですけども、日本人はわりに相手の言ったことによりそうっていう姿勢とか発想はごく普通にありましてね。

それで僕は失敗したことがありますね。
1980年代にヨーロッパのジュネーブにある国連ヨーロッパ本部の職員たちに講演を頼まれて行ったことがあるんですよね。
軍縮平和のための国連職員の会っていうのがあって、国連職員はいろんな国から来てるんですけども自分たちもただ各国代表の会議の場を設定したりしてるだけではなくて自分たち自身も、軍縮や平和のために努力したいって言うんで、そういう会を作ってね。
それで、はるばる日本から私を選んで当時ヨーロッパで問題になっていた中性子爆弾の配備に関して講演をしたんですね。
その時に講演の始まるちょっと前にアルゼンチンから来たピアニストで、今国連職員になってるって女性が国連の内外を案内してくれたんですけども、まあ裏庭のようなところで、ちょっとは彼女の写真を撮りたいと思って、「写真とっていいですか?」って聞いたらば、彼女が「アイム ノット フォトジェニック」って言ったんですね。
私、写真写りが良くないからって言ったんです。だから、写真撮ってもらうのはどうかなっていう意味で言ったんでしょうけども、「私、写真写りが良くないから」っていう言葉に僕の頭の中で翻訳されて、そんなことはないっていう意味で「 ノー! 」って言っちゃったんですね。

これは最悪の事態ですね。
私に「写真写り良くないから」っていうのに対して英語で「 ノー 」って言うと、「そう。あんた写真写り良くない」って、「そだねー」って言ったことに相当するんですね。
この時は、相手が何と言おうと相手の写真写りが良ければ「 イエス! 」と言わなきゃいけないんだけど日本人には、ちょっと覚悟がいるんだよね。
「私、写真写り良くないから」っていう時に「そう」って言ったような感じになってね。だから、つい「 ノー 」って否定したくなっちゃうんだけども、ヨーロッパの発想では、英語ではね、写真写りが良ければ相手がなんと言おうと・・・・相手が写真写りが良ければ、「イエス!」と言わなければいけないんだけれども、日本人にはちょっと覚悟がいるんだよね。「写真写りが良くないから」って時に、「そう」って言ったような感じになってね。
だから、つい「ノー!」って否定したくなっちゃうんだけども。
ヨーロッパの発想では、英語ではね、その写真写りが良ければ相手がなんと言おうと
「ノー!」って「ユーアーフォトジェニック」あなたは写真写りが良いってヨーロッパの発想では、英語ではね、その写真写りが良ければ相手がなんと言おうと「ノー!」って「ユーアーフォトジェニック」「あなたは写真写りが良い」って言わなきゃいけないのに、つい相手の言ったことに寄り添う日本的発想で大失敗をしたことがあります。

状況は彼女も僕の気持ちがわかりますから写真撮らせてもらったけどね。

国際会議上での講演は大変うまくいって、いろんな国の大使級の人とかなんかも来て、中性子爆弾に関する私の話を聞いてくれました。

その日の夜の僕を歓迎するパーティーを街なかのワインバーみたいとこでやってくれたんですけども、9カ国の人が来ていたんですね。

そのときに、今日は9カ国から9人の人が来て安斎さんを歓迎してるっていうメッセージをイギリスのハンターっていう、狩人ですよね。ハンターっていう名前の国連職員が
言ったら東ドイツから来ていた➖当時は西ドイツと東ドイツにドイツは別れたんですが➖東ドイツから来た科学者がですね、西ドイツからも科学者が来ていたので、9カ国ら9人が来ているのではなくて8,5カ国から9人が来ているというふうに言ってもらえないかってことでね。

いずれ東西ドイツは統一するんだっていう意味合いが、そこに込められていて、なかなか感動的な話し合いになったと思います。

それで「そだねー」っていうのは、流行語大賞になったものの、どうもこの間の国会の事情や、政府の動きを見ていると「そうだー」とばかり言ってらんないような気がして、去年の12月5日に京都府庁の記者会見場で記者会見しましてね。憲法を変える
とか言っている現政権に対して、早期に退陣してもらいたっていうんで改憲安倍内閣
の早期退陣を促す京都アピールというのを発表したんですよね。
会見場には、読売新聞とか毎日新聞とか京都新聞など5社が来ていて、翌日に読売新聞や京都新聞や新聞赤旗などに、その様子が報道されたのようで、早速翌日に岡山に住んでいる人から心強いってようなメッセージを頂きました。
だから、まあ「そだねー」っていうのは、人間関係をゆったりとまろやかにする独特の味わいを持った言葉で、これからもときにおいて使っていきたいと思うものの
やっぱり国の政治のあり方とか何かに対しては、きちっとそれを見据えてですね
「そだねー」とばかり言っていられない、そういう問題があれば、きちっと意思表示
をした方がいいと思いますね。

今年2019年には参議院選挙とか国政選挙も控えている中で、我々がきちっと選んだ国会議員が指名した内閣がどういう日本の国の憲法にふさわしい、行政やその政治のあり方を取っているかどうかってのはね、ぜひチェックしていきたいものだと思います。

まあ、そんな、ちょっと厄介な記者会見もやったんですけれども、同時に12月には岐阜県の高山市ってとこに行ってきました。

高山祭ってのは結構有名で、京都の祇園祭と同じように山車が出て、特徴はそのてっぺんで、からくり人形ですね。人形がいろいろ演じたりするんですよね。

凄いですね、江戸時代以来の日本の手工芸の発達ぶりを示すような、とっても面白いからくりをするんですね。

で、せっかく高山来たんだからってんで、そのからくり人形が今でも見られる”からくり会館”ていうとこへ、行きたいと1つは思っていたんですね。えぇ、行ったんです。
行ったらですね、前日から冬期休館中ていうんですよね。見られない。
残念ながらね。えぇ、そういうことがありました。
まぁ、からくりっていうのは実に面白いですね。江戸時代、皆さんもどっかで聞いたことあると思うんですが、そのからくり人形のなかに、お茶を運ぶ、お茶運び人形というのがありますね。

お客さんが来るとロボットですよ、するにね。お茶を乗せて来てですね、お客さんにお茶を渡すと、くるっと180度方向を変えて元に戻っていくって、それを自動的にやるからくり人形がもう江戸時代にできていたんですね。日本は、そういう点では、手工業の発達がもう素晴らしかったんですよね。

まあ、それを見損なってしまって残念だと思ってて、もう一つ高山に来たんだ見たいと思ったのが、”福来友吉資料館”ってのがあるんですね。福来友吉さんなんて名前は皆さんは、全然知らない。知らなくて不思議はない。元東京帝国大学、東京大学の助教授なんですけれども、とっても変わったを人で、明治から大正の時代にかけて彼は超能力にいれあげたんですね。それで御船千鶴子とかね、長尾郁子っていう透視術の大家がいてですね。箱の中に入れたものを箱の蓋を開けずに、中を透視してみせる、そういう能力持ってるという人がいたんです。

それからもう1つはですね、三田光一っていう男性がいましてね。

この人はね、霊視ですね。例えば月の裏側の写真を作って見せるような、そういうことができた月の裏側ってのは見えないですよね。じつに不思議なことといえば、不思議なことだけども、地球と月というのは、おんなじ面を向き合って何億年も回ってるんですよね。

こんなで、少しもずれないってのは素晴らしいんですが、その見えないはずの月の裏側の念写写真を撮ったと、それ以来、福来友吉東京大学当時の助教授が、これは本物だっていれあげましてね。

うん、まあ、ついにどうなったかっていうとを長尾郁子さんや、御船千鶴子さんのご透視術も、また三田光一さんの念写術もインチキだってことに、わかってきてですね。

ついに彼は東京帝国大学の助教授の職を奪われて、そして結局高野山大学で真言宗の和歌山県の高野山にある大学の教授として移っていったんですけども、うん、その途中でゆかりの地、高山でいろんな足跡を残しているので、その高山に行くとちょっと珍しい、マニアックだけどもこの福来友吉、まぁ、ある意味で悲劇の学者人生をたどった人の何かどういう生き方だったのか見たいと思って、高山の駅前の観光案内所に行ったら移転したってんですので、結局これも見られなかったんですね。

それで最後にですね、高山市の図書館の建物が見えたんですけども、この建物が馬鹿に福井県の坂井町っていうところにある”みくに龍翔館”という、前NHKの「だます心だまされる心」っていう8回続いた番組で、第2回目を撮影したその建物に馬鹿によく似てるんですね。

そこはコーネリアス=エッシャーというだまし絵で有名な絵描きさんの父さんが設計したので、きっとこの高山市のあのそっくりに見える建物高山市の図書館も、何かエッシャーと関係あるんじゃないかと思って見たいってんで、これも観光案内所にかけこんだらですね、1週間休館してましてですね、結局、僕が見たいと思った3つは3つとも見られずに高山の古い街並みなどを見て帰ってきたんです。それはそれはそれで楽しいですね。
ちょうど通りがかったらば、杉玉って知ってますかね?
杉の葉っぱを球状にね、ボール状につくったものを、酒屋さんが店先にぶら下げるですね。(お酒の)新酒ができましたって合図なんですけども、ちょうどその古い杉玉を新しい杉玉に取り替える現場に出くわしたしました。

テレビの中継もしてました。まぁそういう、珍しい体験もしながら、しかし一方では見たいと思っていたことが見えないで複雑な面持ちで帰ってきた高山の旅でありました。

きっと今年もやりたいようには出来ない1年かもしれないけども、ええ、79歳になる今年もひき続き福島の放射能の調査などに頑張っていきたいと思います。

ではまた今年もよろしくお願いします。

 

 

 

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安斎育郎からのご案内 「2・9京都アピール市民集会」

 安斎が呼びかけ人代表を務める「9条改憲に反対し、安倍内閣の退陣を求める京都アピール」が緊急に「2・9京都アピール市民集会」を開きます。お誘い合わせの上、是非ともご参加下さい。

◆日時:2019年2月9日(土)14時30分~17時50分

◆場所:キャンパスプラザ京都4階第2講義室(下京区西洞院塩小路下る、京都駅から徒歩5分

◆問題提起:安斎育郎(国際平和ミュージアム名誉館長)/岡野八代(同志社大学大学院教授)/宮本憲一(大阪市立大学名誉教授)ほか。

◆主催:9条改憲に反対し、安倍内閣の退陣を求める京都アピール実行委員会

※当日:20頁程の資料をお配りしますので、若干の資料代のご協力をお願いします。

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ラジオ番組:平和・原発・ひとりごと 12月号

ラジオ番組:平和・原発・ひとりごと 12月号

以下のURLから、ラジオ音声ファイルをダウンロードできます。

FM797京都三条ラジオカフェ
http://radiocafe.jp/201704001/episodes/2018-12-5oa/

番組ダウンロードURL

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FM79.7MHz京都三条ラジオカフェ 平和・原発・ひとりごと11月号

ラジオ番組:平和・原発・ひとりごと 11月号

以下のURLから、ラジオ音声ファイルをダウンロードできます。
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FM79.7MHz京都三条ラジオカフェ 安斎育郎 平和・原発ひとりごと

安斎育郎 平和・原発ひとりごと 10月号

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皆さんこんにちは。安斎育郎 平和原発独り言 10月号をお届けする日が参りました。

秋になってですね、やっぱりあの涼しくて過ごしやすいという感じもありますが、周りのひとに聞いてみると、なんとなくなる憂いを秘めていてというかですね、心浮き立つというよりは、しんみりする時間が多いっていうようなこと言ってましね。 
しんみりする秋を読書その他で十分に味わいながら、秋の味覚の楽しみたいものだと思います。

今日ここに来るまでに歩いた距離が2000歩ぐらいなんですけどね、帰りがけそれと同じくらいは歩くだろうから今日は仕事中も含めて5000歩ぐらい歩くのかなと思いますが、歩く距離は毎日、どんな仕事してるかで全然違いましてね、朝から晩までパソコンに向かって原稿書いてるなんて言うとの携帯の歩数計を見てみると1日で64歩とかね、そんな日があるかと思うと、福島に調査に行って散々歩き回ったってと1万何千歩なんてこともあったり日によって随分違います。

歩かないよりは、歩いた日の方がはるかに体調が良い気がしますので、できるだけこれから秋の涼しい 日を選んでですね散歩もしたいものだって思っています。

今日は、あの電車に乗ろうとしたらですね、交通系の電子カードを使ってるんですけども、入り口で拒否されましてね。いつものようにポケットにしまって、いつものようにそっから出してまだ何千円か余裕があるはずなんですが、跳ねつけられるんですよね。

それで、いやもしかしてチャージしないといけないのかなと思ってチャージしようとしたらそれもできないんですね。
駅員の方に聞いたら、カードが壊れてますっていうんですが、再発行しますかってんでしていたいたんですけども、してもらうって言っても証明書をそこで作ってもらって実際に再発行するのは、翌日から2週間の間に特定の駅に行きなさいっていうことで、なかなか厄介ですね。交通系の電子カードはもう日本中、ほとんどどこでも乗れるので便利極まりない。ただあれですね、これから乗って行く先までいくらかかるのかよということを調べなくなったですね。
そのまま電子カードに入っちゃえば、余裕がある限り何のお咎めもなく目的地まで行きますので、だからいったいどこからどこまでが、いくらかっていう感覚がこの頃鈍ってきた感じがしますが、便利は便利だけどそれが不都合をきたすと、大変回復するのに厄介な手続きをしなきゃいけないっていうこともあるようでしたね。

さて、そんな経験をして、このスタジオにやってきたんですけども、今日は、あまり平和、原発に直接関わらない手品マジックの話をしようかなと思ってんですね。それから最後にできればですね、皆さんへのプレゼントについてちょっと話したいと思うんですけども、僕はもともと原子原子力科学者、放射線防護学っていう結構ややこしい学問分野の研究者ではあるんですけれども、趣味の世界もそれなりにあって実は中学1年から手品をやってんですねマジック英語ではマジックトリックていいますけれどもやっているんですよね。

それで大学の時代には東京大学奇術愛好会第3代会長ってのやってましてね。入って1−2年目の教養学部の間は勉強もそこそこに手品に明け暮れておりました。キャプテンですからそれなりにうまくやらないと、下級生などに教える手前ですね、示しがつかないので、一生懸命練習して、家へ帰ってくると鏡の前で二時三時まで、カードを手で扱って、消えたりね、また現してみたり、そんなこともやっておりましたし、「シカゴの四つ玉」って言って、赤い玉を一つ、ある白い玉のもありますが、人差しいいと親指の間に挟んで、ちょいちょいとやると、二つ三つ四つと増えてって、またそれが減って、ついに消え失せるとか、そういうマジックですね。

これは結構手先が器用じゃないとできないので、手先の器用さ+練習量が物を言うので、なかなかしんどかったですけども、そのぶん結構うまくなりましてね、今はですね、驚くべきことに、別に誰も驚かないですけどもね、国境なき手品師団、国境なき手品師団の世界で、ほとんど唯一の名誉会員なんですね。手品を始めたきっかけは何だったかって言うと、中学校1年の時のクリスマスの会がクラスであったんですねで先生に何か贈り物をしようよってことになってクラス員で、あの頃のこと昭和20年代の終わり頃のことですから、一人10円とづつ集めてね、僕が代表して、日本橋の白木屋というデパートに買いに行くことになった。当時私は東京の深川ってゼロメートル地帯ってところに住んでおりました。

家は小さな松屋パン店というパン屋さんをやっててね。時々店番してましたけれども、そっから都電、東京都の電車ですね、都電に乗って、日本橋まで。駅は四つか五つ、すぐ近いんですけども。中学生が一人でデパート行って買い物するなんてのは、めったにないことでしたので、少し緊張しながらね。白木屋デパートに行きました。それでそこの6階だった彼に手品売り場があるっての知ってたもんですから、真っ先にそこに行って手品を見ていて、手品を一つ買って帰ってきたんですね。シンブルって言って、縫い物に使う指ぬきですね、何の仕掛けもない指ぬきなんですけども、プラスチック製の一個30円とか、50円だったと思いますが。それを買ってきて、やりはじめたのが、病みつきになったきっかけですね。結構やってるうちに根がわりと器用だったものですから、友達などにやると大変びっくりされたりしたべてね。それで僕は卒業式の謝恩会で、校長先生の前で手品と落語をやったっていうことになってるんですけども。 手品趣味がずっとついた。

高校時代は両国高校という、両国国技館という相撲をやる国技館の割に近いところにある、東京都立の高校で、そこは受験校だったんですね。東大で毎年何十人か入るっていうようなところで、あんまり手品をやってる時間もないままに過ごした。しかし、東大に入ると入学の手続きに入ったら入学試験事務所に行列ができていて、その横で手品部の先輩がですね、まあ、入会の案内をやってる。ちょいちょいと、手品をやってんですね。すると、中学校以来やってきた手品の趣味が、ムラムラと蘇りましてね。これは入らなくちゃってんで入りました。

それで、手品部は教室を借りてそこで、練習もやるんですが、夏になると合宿ってのやりましてね、もう朝から晩まで手品三昧。とくに東大の奇術愛好会は理屈っぽっていうか、神田の古本屋街てとこへ行くと、いろんなアメリカから直輸入された手品の資料が売っているんです。

資料たって本になってなくて、まぁ、日本で言えばガリ版刷りに相当するようなそういうタイプで打った、そういう資料。手品趣味の人が密かに練習なんかで使う資料ですから、そんなものが神田の古本屋街で売っているんですね。そんなの買ってきて、いち早くアメリカ直輸入の手品を練習してね。それで、合宿の時に、仲間達に披露して、どうだってできいないだろってんで、まあ溜飲を下げて、それでもみんなに教える。合宿はなかなか厳しくて、いくつかの規定種目があってね。それができるので帰さないなんていうんで、なかなか一緒懸命やったもんでした。秋になると、学園祭とか、あるいは地域の老人会、その他に呼ばれてそこで披露したりしてね。だんだん人前で手品をやるって事も楽しくまた上手になってきてね、原子力工学を専門とする研究分野に入ってからは、そう度々ある機会はないけれども、安斎は手品をやる、マジシャンであるってのは結構知られていきましてね、学会の懇親会なんて言うと必ず出番があるって言う、そういうことでした。

僕は、東大の時代医学部に就職して原発反対運動に取り組んでた頃は、原発参拝の活動家としても知られておりましたが、一方では手品を夜科学者としても知られていてね。

学会などでは、だから、あれは反原発派だと思われながらも、しかし、懇親会になると必ずお呼びがかかってね。そこで手品をやることでありました。それが未だにずっと続いておりましてね、前に番組でもお知らせしたように、今は世界の平和博物館のネットワーク「平和のための博物館国際ネットワーク」というところの代表を務めていて、毎日国際社会とやり取りしながら平和博物館運動の発展のために、力を尽くしつつあるんですけども、ここでもですね、3年ごとに開かれる国際平和博物館会議このパーティーなどでは必ず手品の出番があるっていうね。

昨日、ジュネーブに行った私の友人の山根和代さんていう人が、ジュネーブの国際赤十字赤新月博物館、国際赤十字博物館ですが、ここの館長のロジェ・マイヨールさんと会ったっていうメールが届いていて、今朝読んだんですけども、ロジェ・マイヨールさんも、安斎さんの手品のことをよく覚えてるって言うんで、よろしく言ってくれてなことだったんですね。

国際的にも知られたので、ウデを落とすわけにはいかず、時々練習してですね、機会を見てそれをやってる。講演活動でも、手品を必ずやって下さいとか頼まれることが多いんです。

手品っていうので、ひとをだますって言うと、聞こえが悪いけれども、人間が如何に騙されやすいかってことを教えてくれる大事な手段なんですね。我々はうっかりすると、社会生活の中でも、政治的にも社会的にも棒色々な場面で騙されがちですので、手品を通じて人間はうっかりすると如何に騙されやすいかってことを、社会的にアピールしていくのは、それなりに大事なことかなという風に思っています。

さて、皆さんへのプレゼントのお知らせなんですけども、実は昨年77歳喜寿になった時に、安斎育郎喜寿記念一筆箋のというのをだしたんですね。これをですね、この番組を聞いてる方で、もし欲しいって言う方がいれば、10名の方に差し上げたいと思いますんで、番組感想などをしたためて、安斎育郎 平和・原発ひとりごとの番組宛にほしいって送ってくれて、ついでに番組の感想でも書いといてくれればね、10人の方にお送りしたいと思っています。

どうぞふるってご応募くださいってことですが、安斎育郎喜寿記念一筆箋を差し上げたいと思います。ではまた来月に、お目にかかりましょう。

ありがとうございました。

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ラジオ 安斎育郎 平和・原発ひとりごと 8月号

平和・原発ひとりごと 8月号

http://radiocafe.jp/wp-content/blogs.dir/276/files/2018/08/anzai180801.mp3

みなさん、こんにちは。
安斎育郎 平和・原発ひとりごとの時間がやってまいりました。
8月号をお届けします。
今日、録音しているこの日は7月25日で、まだ京都は祇園祭りの最中なんですよね。
今収録しているスタジオから、ちょっと窓の外を見ると、まだ祇園祭の雰囲気を表しているちょうちんが、いっぱいぶら下がっておりましてね。

そういう雰囲気なんですけれども、一方では京都は、日本一暑い都市ということで、この間、38度を超えるような日々がずっと続いて、今、人類生息環境としては非常に厳しい都市ですね。

あまりに暑いので、この前、アメリカ気象局が発表したデータに基づいて気温と湿度で、分類して、まぁいわゆる、体感温度ですね。それを整理して、その体感運温度が54度を超えるような状況になると、極めて危険っていう領域のなのですが、それを図に表してみました。

そして、このところの京都が、どの辺にあるかというと、図の上で表して見てみたら案の定、
極めて厳しいというところに、この10日ほどが入っておりましたね。

「言うまいと思えど今日の寒さかな」

っていう俳句はあるんですけども、この頃の京都では、言うまいと思えど今日の暑さかなということで、なかなか厄介であります。

で、厄介の中で私は世界の平和博物館のネットワークの代表に選出されてしまったのでその仕事も、大わらわ
ですね。

それに加えて、いつもお伝えするように、毎月福島通いを続けていまして、7月5、6、7。

これが、第53回目の福島調査ということになりました。
まぁ、完全ボランティアでやっているんですけれども、できるだけ、福島の被災者たちが、農業を再開したいとか
避難先から戻りたいが、そうそういう時に放射能の面で心配はないだろうか?っていう不安を持っているんですけれども、そういう不安に対応していきたいと思っています。

まあ、この53回というのだいたい、5年間でやっているので、1年間に10回ぐらいの平均で行ってるんですが、1年は12ヶ月あるので、2回足りないのは、真冬の冬があるんで雪がが積もっている時には、雪が積もると、あの地面に積もっている放射能から出てくる放射線が、雪で遮蔽されるので人間の被爆減ってうれしいんですけども、まぁ、実態が分からなくなっちゃうんですよね。

それから夏の暑いときはさすがに地元の人も、福島も暑いんです。38度とか39度になることもあり
ますので、そういう中で、ハードな調査をするのは危険であるということで、まぁ、夏はパスすることもあるんですね。それで、大体年平均して10回ぐらいということなんですね。

この7月6日に、福島市の桜の聖母短期大学、さくらの聖母短期大学、桜の聖母短期大学というところに行って、我々の調査の内容なども踏まえて講義をする機会がありました。
7月6日だから、7月6日に京都を朝早く立てば間に合うですが、普通は。

ご存知の様に、大雨で西日本が鉄道が乱れていて、私が住んでいる宇治市から福島に
行くには、まず何といっても奈良線を使って、京都に出ないといけないんですが、その奈良線が7月6日は、朝から全面運休の見透しであるっていうのを、7月5日の夕食中に知りましてね、で、夕食なんか食べてる場合じゃないって言うんで、やめて、その日のうちに東京まで行って、おこうっていうんで、行ったんですね。

正解でした。

7月6日、なんとかお昼頃に桜の聖母短期大学に到着して、講義を始めたんですが、講義の冒頭にですね、7月6日、今日は何の日っていうのを学生諸君に問いかけたんですね。

1年生2年生合わせて100人ぐらいの、保育科の学生と先生方
将来、保育士になる可能性がある若い女性たちですよね。
さっき言ったように名前が桜の聖母短期大学ということから分かりますように、カトリック系の大学なので抗議の冒頭はですね、いつも「ごきげんよう」で始まるんですね。先生が「ごきげんよう」っていうと、生徒たちもそれに呼応し「てごきげんよう」って返してくるんですね。
ちょっと変わった大学の講義の始まり方でありました。
で、7月6日は何の日ですかって言ったんですけれども、あまりピンと来ない良いようでしたですね。
俵 万智(たわらまち)っていう短歌を読む人がいますけれども、俵 万智(たわらまち)さんが作った短歌で、「この味が、いいねと君が言ったから七月六日はサラダ記念日」って有名な短歌があるんですね。
「この味がいいねと君が言ったから七月六日はサラダ記念日」
だから「7月6日は、サラダ記念日」ってことになってて、これは若い人は知ってるかもしれないと思ったんですが、ほとんど誰も知らなかったですね。

だから、こんなことは知っているはずだという思い込みで講義すると、こっちの伝えたい事が伝わらなかったりするので、改めてそこでなるほど知ってるつもりで、講義を展開すると伝わらなかったりするって事を
改めて感じたところでありました。
まあ、その日は安斎育郎の保育論から始まって、福島が、この放射能で汚染された
あの2011年の直後、福島の保育がちょっと外遊びを禁止するとか、それから散歩はしないとか、そういうことでみんな
家にこもってしまったんですね。その結果、まあ、園児たちが身体を動かして、思う存分自然と戯れて、自然の四季の変化など体で感じ取るそういう感性を磨いていくっていうチャンスが失われたんですね。その結果、子供たちは
運動不足に陥って、福島の子たちは、肥満傾向があり運動能力が全国的に見てもね低下している、そして四季折々に咲く花などを見る機会もないもんですから、そういう四季の変化等に対してする感性の点でも、発達がちょっと障害を受けてるんじゃないかということで、そういう体験を話して、で、いったい福島の放射の環境は、今どうなっているのかっていうことを、53回の調査の結果に基づいたお話で、どうかこの福島の保育に当たる若い人たちは、しっかりと放射能環境の事を学んで、保育をモリモリといきいきと展開して大丈夫な、そういう状況になってきているので
そうして欲しいものだっていう話をしたんですね。

その時ですね、ちょっと変わった話をしたんですが、福島の保育があの原発4事故のあと、縮こまっちゃって
お子さんたちを保育園が預かったんだけども、あまり積極的な保育活動ができないまま外遊びを禁止したり散歩を禁止したり、運動会もこの家の中でやったりということで、縮こまっちゃった。その時、僕はたとえ話で
ワールドカップの予選第3戦の日本チームの戦いぶりみたいになったっていう風に言ったんですね。あの時、最後の何分間か、日本チームは負けていたにもかかわらず、勝つということをあきらめて他の試合会場で行っている試合で、セネガルが負けるならばこの試合、今の状況で負けても決勝をリーグに出られるっていうんで、そういう道を選択したんですね。
居合は負けているんです。にもかかわらず、もう勝つための
そのプレーを止めてですね、パスのまわしで時間つぶしました。
まるで保育園が、あの事故の後ですね、まぁ、ご両親からお子さんを預かって、あまり積極的なことをせずにですね
時が過ぎていくのを待っているだけみたいな、そういう消極的な保育になったっていう内容を表すために、どうもワールドカップ第3戦の日本チームみたいな積極性を欠いて、家にこもった、そういうことになってしまったって言ったんですね。

皆さんは、あの日本のワールドカップ第3戦をどう見たかったわけですが、面白いことに、「よくやった」っていう意見、つまり
決勝リーグに出ることが目的であれば、別にそれがルールで決まってやるのであれば、そういうルールにのっとって、そういう方法を選ぶ事も極めて合理的であって、采配は大したもんだと、割に経営感覚のある人は、そういう評価してみたいですが、一方では「見てて面白くなかった」っていうことで、観客を忘れ勝つことを忘れたあのゲームに対して、批判もあるんですね。

私はどう見ているかっていうと、まあ、ルール違反をしたわけじゃないから、采配で決勝リーグに進出したということ自体については、まあ、そういう面で咎め立てを受ける必要がない。ところが、日本サッカー連盟の行動規範、行動規則っていうのを見てみると、勝つためにプレーするっていうのが、一番最初に出てるんですね。

それなのに勝つことを諦めて、他の会場でやってる試合でまあ、対抗馬のチームの負けることにかけたっていうのは、日本サッカー連盟が掲げている行動規則の第一番目にある「勝つためにプレーする」ということがないがしろにされたのではないかいう感じはどうしてもしますね。

で、日本サッカー連盟だけじゃなくて、世界サッカー連盟の行動基本でもですね、「プレイ・ツゥー・ウィン」一番最初に出てくるのが、「play to win」勝つためにプレーをするということであって、いかなる試合といえども、勝つことがゲームの目的であるって書いてあるんですね。
だから、いいかなる試合であってもですね、勝つためにこそ、ゲームをやらなければいけないっていうのが、まあ、日本のサッカー連盟でも世界のサッカー連盟でも、行動規範の大原則なんですね。
それを念頭に置くとですね、ああいうふうにまぁ、決勝リーグに出るためのルール違反ではない行動の取り方だったとはいいながら、やっぱり、これはですね、そもそもサッカーの精神あるいは、世界サッカー連盟の精神に反するのではないかということでは、大いに批判がありますですね。

まぁ、飲み屋に行ってこういう話題になると、両方の意見があって、いやぁよくやったっていう、いいじゃないかっていう意見もあれば、あれはもう、日本のサムライ精神に反するっていうわけで、喧々諤々、口角泡をとばして、多分ビールを飲む回数が一、二杯増えるという状況が続いています。

おそらく、これは今後とも語り草になると思うんですけれども、一番良くないのは、この問題に触れない、ねっ
ちょっと西野監督に申し訳ないという気分があって、せっかくとにかく決勝リーグまでいった、その采配は全体としては大したものなんだからについては、咎め立てするのはよそうっていうことで、あまりこれは話題にしないということになるとですね、ここから積極的な教訓をみいだして、次の大会方に活かしていくという、そういう心意気がなくなるのではないか?

まあ、そんなことも平和・原発以外に考えている安斎育郎であります。
ではまた、来月お会いしましょう。

ありがとうございました。

カテゴリー: 原発関連

ラジオ 安斎育郎 平和・原発ひとりごと 9月

平和・原発ひとりごと 9月

みなさん、こんにちは安斎育郎 平和・原発ひとりごと、9月号の時間がやってまいりました。
まだ相変わらず暑いんですけれども、いつもこのスタジオに来る時には京阪電車の三条ってとこで降りて、とことこ歩いてくるんですが、その途中で、だいたいコンビニを見つけて、そこでお昼の弁当を買うんですよね。

小さなサンドイッチと、おにぎり、あるいは納豆巻きなんていうのを買って、飲み物にちょっと目に留まるこれで1日の野菜が摂れますなんていうジュースを加えてね。
それで録音を終えて、立命館大学の国際平和ミュージアムて言う所に帰って、そこでお昼をいただくという、そういう日常であります。
このスタジオの側の道には、外国人の観光客なども一番たくさん見られるような、そういう場所で、窓越しにそういう人たちの姿を見ながら今日も話をしたいと思っています。

9月になりましたけども、先月8月は私が関心を抱いている、例えば原水爆禁止運動などが非常に盛り上がる季節なんですね。
8月の初旬にはNHKの京都放送局に頼まれて、市民講座ですね。
そこで京都原爆投下計画についてお話しました。
京都は、原爆投下の第一目標だったっていうのは、案外、京都に住んでおられる方でも知らない人もいるんですが、昭和20年1945年の、結局、8月6日に広島に、そして8月9日に長崎に投下される計画は、8月2日に「センターボード作戦」と言って、第一目標広島、第2目標小倉、第3目標長崎という形で決まったんですが、その一週間ちょっと前までは、京都が第一目標だったんですね。
狙いはどこかというと、京都駅の西1kmの所に行った、梅小路蒸気機関車の車庫ですね。

それから、機関車を、ある線路から別の線路に入れ替える時には、よくお話しするように、中華料理屋の回転テーブル板の上に機関車をのせて、ぐるっと方向を変えて別の線路に乗せてあるその、転車台って言うんですけども。
それが一万メートル上空から原爆を落とす時にも目印としてよく見える、しかも京都盆地のど真ん中だったのものですから、そこが狙われたんですね。
その原爆投下するはずだった場所は、今は京都駅の近くにある鉄道博物館、そこの中に保存されていますので、機会があれば見ていただきたいと思います。

京都への原爆投下は、一度計画に浮かんだり、また消えたり、再び浮上したりという経緯を繰り返して、結局7月の24日頃までに、京都は原爆投下しないってことになったんですね。

軍部には、京都は盆地であって平らであって、原爆の効果を試すのに適してるし、しかも知識人もたくさんいて、この原爆投下が、今、日本が続けている戦争にとって、どういう重大な意味を持つかっていうことも理解されるだろうし、人口も多いしですしね。あるいは、産業もいっぱいあるし、他の都市が爆撃して破壊されるのかで、京都にそういう産業がうつってきたりしてる中で、適地であると判断されていたんですが、(ヘンリー・ルイス・)スティムソン陸軍長官と言う 新婚時代に京都を訪れたことがあるともいわれていますけれども、彼が京都のような古い天皇の都を爆撃したら、日本人の心をアメリカがつかみきれなくなって、ソ連に側に向けてしまうであろうという、そういう戦略的な判断から最終的に京都は外されたんですね。

しかし、原爆投下を予定している町には原爆投下を純粋に調べるために、あらかじめ爆撃を禁止していたんですね。
京都のもそうでしたけれども、原爆投下計画がなくなった後も、京都は爆撃が禁止されていたために馬町、今の京都女子大学がある辺りの方、馬町付近に限定的な空爆があって死傷者も出ましたけれども、東京とか大阪のような一面焼け野原になるというような、大規模な爆撃はなかったその背景に原爆投下計画があったっていうことなんですね。
それを8月初旬に公演した後8月6日にはいつものように広島の爆撃の記念日ですけれども、原水爆禁止世界大会ってのは広島で開かれておりそこに参りました。
ちょうどその8月6日付で、新しい著書を「核兵器禁止条約を使いこなす」っていう共著で書いた著書が出版されたもんですから、その宣伝販売もかねて原水爆禁止世界大会に行って、売り子をやりました。
わりに短時間の間に100冊完売してきたんですけれども、その事を後に広島長崎の原爆資料館の館長などに、お知らせしたところ、原爆資料館平和記念資料館ていいますけども、この加藤周一副館長から、まあ、京都原爆投下計画について京都でNHKで話したそうだけれども、内容に関心があるということでしたので、その資料をお送りしました。
まあ、京都が爆撃の対象になったり、消えてみたり、また再浮上したりそういう詳しい経過について知って、勉強になったという感想を後で頂きました。
なかなか、原爆あるいは平和に関心を持ち、それを業としてやっているような方でも、なかなか京都の原爆計画の詳細については知られていないっていうのが現状かもしれませんね。

京都市民は今、向こうして多くの観光客が来る世界的な古都をとしての京都、その歴史の背景に、原爆で焼け野原になるかもしれなかったという、そういう歴史があったっていうことを、しっかりと認識することも必要ではないかと思います。
そうこうしてるうちに、今度は長崎の原爆資料館の中村彰利館長からメールがやってきました。
ちょっと変わったメールだったんですね。
何かって言うと、中村彰利館長は、また青来有一さんという芥川賞作家なんですよね。
今度、新しい「すばる」っていうのの9月号にある小説を発表したので、機会があれば読んでほしいという、そういうご案内だったんですね。
どんな小説家って言うと、「フェイクコメディ」という名前の、まぁ、喜劇めいた書き方で、原爆あるいは、現在の核兵器が持っている深刻な内容について、解き明かすような、そういう小説だったんですね。
「フェイクコメディ」という名前から、ビビっとくる人がいるかもしれませんが、「フェイク」ってことはよくトランプ大統領が使っていることばですよね。
実はこの小説はですね、金正恩朝鮮労働党の責任者と、トランプ大統領がシンガポールで会談をする直前に、トランプ大統領がお忍びで、長崎原爆資料館を訪れたっていう、現実とは違う仮定に基づいて、そこでトランプ大統領がこの中村館長を翻弄する話として、コメディ仕立てで作られているんですけども、その中でも核兵器を持ってる国の大統領っていうのは、今の核兵器についてどんなに意見を持ってるのかっていうのことが、まあ面白くも、また恐ろしくも描かれているような、そういうものであります。
集英社の「すばる」9月号ってのを読む機会があったら 「フェイクコメディ」 セイライユウイチっていうのは、青来ていう字を書くので、アオキって読みそうになるんですけども、セイライと読みますから、「セーラームーンからとったんじゃないか?」とかいう勝手な噂が流れ、本人は違うとこ言ってるんですけども、なかなか面白いコメディになってますので、お読みいただくとありがたいですね。
同じ集英社から「小説すばる」っているのも出ているんですが、そっちじゃなくて「すばる」の9月号っていうのが書店に並んでいると思います。

そんなことで夏もですね核兵器絡みで、いくつか思い出に残るようなそういう経験をしたんですけども、まあ、この暑い夏、働いてばかりいてはいけないって言うんで、孫と石川県の羽咋(はくい)ってところにあるコスモアイル航空宇宙博物館にも、ちょっと一泊で行ってきました。
サンダーバードって言う特急で行くんですが、雨が降ると止まり、風が吹くと止まりで、なかなか厄介で、前の日は完全に運休してたんですが、たまたま予定した日は10分ぐらいの遅れで。
羽咋(はくい)っていう街に行ってきました。
羽咋(はくい)のクイっていう字は、昨日昨日の意味する昨日の昨っていう字の、左側が日じゃなくて、口になっている珍しい漢字で、羽咋の街を表す時以外は使わないような気がしますが、これは食べるって意味なんですね。
羽咋というのは、大国主命が悪者を退治しようとして、たくさんの弓矢用意しておいたら、その矢の羽を、ネズミが食った羽を食ったっていうところから、そういう名前がついたんだっていう言い伝えがありますけども。
そこに面白いことに、航空宇宙博物館がある。
昔はですね、ちょっと怪しげな「UFOの博物館」だったんですね。
私もテレビ番組の関係でそこへ行って、批判したりしたんですが、その後、羽咋の街が全面的に回収に乗り出して、アメリカやソ連から月面着陸などした実物の飛行隊を購入したりなんかして、今はそれなりの航空科学博物館になってます。
航空科学博物館としてのコスモアイルと、傍らにある怪しげなUFOの展示とのミスマッチといいますかね、それもちょっと面白いとこですけども、孫が喜んでそれを見ておりました。
そんなことで結構忙しい8月を過ごしましたけども、9月も実は、これから大きいのはこのは、後すぐ沖縄で平和のための博物館市民ネットワークの全国交流会が開かれたり、あるいはその翌日には沖縄からも、1日で取って返してくるんですけども、立命館の国際平和ミュージアムで、原爆忌全国俳句大会原爆とか平和を主題にした俳句の大会、その実行委員長のもんですからそこに帰ってきて、それもお世話をしなければいけないって、引き続き暑い中で奮闘しますけれども、まあ、このラジオ局はFM79.7メガヘルツという波長を使ってるんですが、79.7 ていう周波数は、ナクナとも読めるよね。
辛かろうが、苦しかろうが、泣かずに今後も頑張って、福島での原発の調査も含めて、これから78歳。いつも調子がいいとは限りませんけれども、頑張っていきたいと思っています。

皆さんもどうか、残暑が厳しいと言われてますので、それに負けないように泣くなっていうことでね、それなりに頑張っていただければ、また来月お会いしたいと思います。

さようなら。

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