平和友の会「世相裏表」2018年11月号原稿

第25回日本平和博物館会議が開かれました

安斎育郎

  • 日本平和博物館会議

2018年11月8日~9日、第25回日本平和博物館会議がピースおおさかで開催されました。現在、この会議のメンバーは、沖縄県平和記念資料館、ひめゆり平和記念資料館、対馬丸記念館、長崎原爆資料館、広島平和記念資料館、ピースおおさか、立命館大学国際平和ミュージアム、神奈川県立地球市民かながわプラザ、川崎市平和館、埼玉ピースミュージアムの10館ですが、今回は対馬丸記念館を除く9館が出席しました。

この会議の構想は今から四半世紀前、立命館大学国際平和ミュージアムによって発議されました。法に基づいて1950年代に設置された広島平和記念資料館と長崎原爆資料館は別格ですが、その後、1980年代から活発化した戦争展運動や非核・平和宣言自治体運動を力に1990年代に地域レベルで平和博物館が開設されるようになって、1991年ピースおおさか、1992年立命館大学国際平和ミュージアムと続いた時代の勢いの中で、創設されたばかりの平和ミュージアムが大胆にも「日本平和博物館会議」の創設を発想したものです。当時は「日本平和博物館学会」の創設も視野に置いていました。

広島平和記念資料館が趣旨を深く理解され、第1回目会議の担当館として立派なスタートを切って頂きました。以来25年、極めて生真面目に年1回の1泊2日の会議が回り持ちで開催されてきました。①協議事項、②聴取事項を予め各館に照会し、会議当日には各館の見解も含めて詳細な資料が用意され、その上で2時間の討議・意見交換が行われます。

会議後には約2時間、その年の会議担当館の施設見学があり、夜は「意見交換会」と称する夕食懇親会があります。この「意見交換会」は本当に大切で、設立理念も展示手法も置かれている状況異なる各館が最も忌憚のない意見交換や交流を行なう場です。

いつも言うことですが、平和博物館の展示はすべて事実に基づいていなければなりませんが、どの事実を展示し、どの事実を展示しないかの判断には自ずから各館の歴史観や価値観が反映されます。日本平和博物館会議は、理念的な問題については自由な相互批判を認め合いながら、博物館に共通の普遍的な課題について経験や知識を交流しあい、意見交換を行う良い慣行を形成してきました。今後も続くといいなあと期待しています。来年は地球市民かながわプラザ、再来年はひめゆり平和祈念資料館が担当館の予定です。

  • 今年の協議題から

会議の討議の全貌をお伝えするには紙幅に制約がありますので、沖縄県平和祈念資料館から提起された問題に限って紹介したいと思います。

沖縄県は、地域の特質上、沖縄戦の実相を中心に戦争の悲惨さや平和の大切さを訴える博物館としての性格が中心ですが、原田直美館長の問題意識の中には、その上でなお「過去の問題」だけでなく「現代の問題」にどれだけ取り組むかについて見極めきれない思いや戸惑いがあるということのようです。過去にあった悲惨な問題を伝えることは常に重要な課題に相違ありませんが、来館する子どもたちなどには、現在の日常生活の中で起こっている身近な問題を切り口に平和創造に取り組む主体性を刺激するような活動も求められているのではないか─これは確かに平和博物館の枠組みをこえた共通の問題です。一渡り各館各様の問題意識が紹介された後自由討論になりました。

私は、例によって、現代平和学における平和の再定義(平和は「戦争の対置概念」ではなく「暴力の対置概念」として理解される傾向が広がっており、その場合の「暴力」とは、人間能力の全面開花を阻害する諸原因〈=飢餓・貧困・社会的差別・人権抑圧・環境破壊・医療や教育や福祉の遅れなど〉と理解されている)を紹介し、「戦争がなければ平和ですか?」という問題意識の重要性には言及しつつ、しかし同時に、各地域の平和博物館にはその地域に固有の特異的な課題があることも事実であり、どの館も「平和一般」を展示すべきだということではないという側面にも言及しました。

平和博物館会議から帰った翌日、ちょうどこの問題に関連する事案に遭遇しました。国際平和ミュージアムの学生スタッフ(文学部1回生の崔君)が「学徒出陣」についてのミュージアムの展示に関して質問してきているので対応して貰えないかということでした。崔君は、ミュージアムが学徒出陣を展示するに至った経過や、その中で、動員された植民地の学生についての記述がない理由などを知りたいようでした。私の回答を紹介して、今回の筆を置きましょう。

〈学徒出陣に関して展示するに至った経緯〉

多くの場合、平和博物館は「平和一般」を展示するのではなく、その地域に固有の戦争や暴力に関する体験を核として展示するのが普通です。広島平和記念資料館や長崎原爆資料館なら核兵器被害、沖縄県平和祈念資料館やひめゆり平和祈念資料館なら沖縄戦、大阪国際平和センター(ピース大阪)なら50回にも及んだ大阪空襲、東京大空襲・戦災資料センターなら東京大空襲といった具合です。

立命館の場合、京都の大学という性格上、①京都と戦争の関わり、②大学と戦争の関わりの2つの側面が考えられます。①については、京都は1945年7月24日までは原爆投下の第1目標だったこともあり、原爆の効果を試すために京都を原爆投下以前に爆撃することは禁止されていました。やがて京都は第1目標から外され、広島・小倉・長崎を原爆投下目標とする「センターボード作戦」が1945年8月2日に決められるのですが、京都は原爆投下目標から外された後も爆撃禁止命令が解除されませんでした。そのため、馬町などへの限定的な空襲はあったものの、大阪のような大規模な空襲はなされず、したがって空襲被害は京都と戦争の関係という意味ではあまり中核的なテーマになりません。むしろ、京都が原爆投下の目標とされてから外されたり再浮上したりした過程を綿密かつ実証的に描くことは、もっと中心的なテーマにしていいでしょう。

京都と戦争の関わりという意味では、京都の清水焼が手榴弾などに応用されたことなどに加えて、この地域から戦争に動員された人々がたどった運命はかなり大きなテーマで、地下1階の展示室に「京都コーナー」が設けられています。

しかし、京都の大学である立命館にとって最も大きな、あるいは深刻な問題は、立命館自身が約3,000人の学生を戦場に派遣し、およそ1,000人が犠牲になった事実でしょう。当時の立命館大学が非常に軍事色の強い教学を展開し、「禁衛隊」という私設の武装部隊まで作り、1928(昭和3)年の昭和天皇の即位の大典の時には率先して京都御所の警備に当たり、天皇から「天賜 立命館禁衛隊」というバナー(旗)まで貰った奮闘振りでした(バナーは地下1階の「立命館と15年戦争」コーナーに展示してあります)。東條英機内閣が1943年10月1日に勅令755号「在学徴集延期臨時特例」を公布し、法文系を主とする大学生の徴兵猶予を停止して「学徒出陣」が制度化されると、京都でも立命館大学だけでなく京都帝国大学(現・京都大学)など他大学も学生を出陣させましたが、例えば京都大学の学生の死亡率は約5%だったのに対して、立命館から派遣された学生の死亡率は(3,000人中1,000人ですから)約30%に上ります。より危険な任務につかされた(あるいは、率先してついた)ことを反映しているのでしょう。

立命館はまた、満州事変の立役者とも言われる石原莞爾氏を教授として迎え、国防学研究所の初代所長に就任させるなど、戦時中はかなり軍事色の濃い教学展開に傾いていました(東條英機と対立した石原莞爾氏の評価についてはいろいろあります)。戦後、そのことの真摯な反省の上に「平和と民主主義」という教学理念が確立され、その実践として学徒出陣の象徴でもある「わだつみ像」をキャンパスに招致し(現在は平和ミュージアムのエントランスホールに建っています)、さらにその延長線上で2006年に全学の論議で「立命館憲章」を作りました。この憲章づくりには、理事長、総長、教員、職員、生協スタッフ、院生、学生、付属校の生徒代表など、すべてが関わりました。私もその一人でしたが、起草委員会の日には北海道の立命館慶祥高校の生徒代表も飛行機でやってきたことにある種の感動を覚えました。

こう考えるとき、立命館大学がつくる平和博物館に学徒出陣を描かないという選択肢はあり得ない訳で、「大学と戦争の関わり」の第1の課題というべきでしょう。学徒出陣を展示に取り入れるという選択には、学内的に何の異論もありませんでした。

〈他民族の学徒出陣の記述がない理由〉

1943年10月20日に陸軍省は、陸軍省令第48号として、「陸軍特別志願兵臨時採用規則」を公布して日本の植民地支配下の朝鮮人・台湾人学生を対象に「特別志願兵」を募集しました。志願兵という形はとったものの、志願しない学生を休学や退学にさせるよう各大学に命じたので、事実上は強制力をもった「学徒出陣」と同等のものでした。これは「日本人学生に対する学徒出陣」の一方で行なわれた重要な史実ですから、言及される価値のあるものでしょう。

その当時、立命館も「志願しない学生を休学や退学にさせる」措置をとりましたが、そのことに対して真剣に反省を加え、そのような体験を強いられた当時の朝鮮・台湾の学生を(現地の新聞広告などを使って)調査し、事実関係が判明した学生を立命館大学国際平和ミュージアムに招待して謝罪の意を表明するとともに「特別卒業証書」を手渡す措置をとりました。そのときの元学生の反応には、「今さら謝罪されても」という思いと、「こうした措置をとってくれた母校に感謝したい」という思いとが混在していました。当時、新聞などの報道でも紹介されたと記憶します。

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