第17回-2 「早川篤雄さん、福島反原発住民運動」(後半) -放射能から命を守るシリーズ-

放射能から命を守るシリーズ- 第17回 後半部

放射能から命を守るシリーズ第17回目の今回は、福島からゲストを迎えて、福島原発の住民反対運動についてお話をお聞きしました。
ゲストは、福島県楢葉町の宝鏡寺住職、早川篤雄(はやかわ とくお)さんです。

早川さんは,福島原発訴訟(1975年1月7日)原告団事務局長など、福島火発・原発建設計画が浮上した当初から現在にいたるまで、長年にわたり住民反対運動をつづけていらっしゃいますが、2011年3月11日の福島第一原子力発電所事故で被災し、現在いわき市で避難生活を余儀なくされています。

安斎育郎:
安斎科学・平和事務所の映像シリーズで、今日は特別番組の第2弾ですけれども、福島の浜通りにずっとお住いだった、早川篤雄(はやかわ とくお)さんという、浄土宗のお坊さんですけれども。早川さんに、お話をうかがいたいと思っています。

安斎科学・平和事務所は、いま福島市の保育園などで子どもたちが、実際にどのくらい放射線を浴びているかということを、測定する仕事などをやってるんですけども。
そのもとになったのがその、2011年の3月11日に起こった東日本大震災をきっかけとする福島第一原発の事故だったんですけども、そのとき、早川さんは、どこにおられて、どういう行動をとったんですか?

早川篤雄さん:
あの日は、ちょうど私は、自分の家におって楢葉町の自宅におりまして。
私は、百姓をやるもんですから、3月のあの時期っていうとまもなくお彼岸になりますから、ジャガイモ畑をね耕す時期なんですよ。
ジャガイモっていうのは、蒔く時期が、かなり幅があるのですが、早く作ると、早く食べられるんです。
おそいと、おそく出来上がるだから、かなり時期に幅がある。
まぁ、だいたい私どもの地方では、霜にジャガイモの芽が出ても霜にやられな時期を選んでやるので、その日(2011年3月11日)は、ジャガイモ畑を、お昼からおこそうかと。

そこで、まず、一服してさて畑に出かけようかなと思ったら、地震が来たと、こういうことです。
で僕は地震のたびにね、それまでも何回も経験しておるものですから、パッとあたまに浮かぶのが、「原発!」と、こう思うんです。
ただならぬ地震でしたから、日本人の誰も経験したことないような地震ですから。
これで原発が大丈夫なはずないと、直感したんです大変なことになった。

ボォーっとなったですね。「さてどうする?どうする?」と。
チェルノブイリに僕は2回行ってきていますから。

あたまが、ボーっとなって。
しかしね、地震がおわったら、町の防災無線がね入ったんですよ「津波の警報がでてるから、避難しなさい」と、もうこれは繰り返し繰り返しやるもんですから。

ところがね、原発の情報は、ひとっつも(入ってこない)。
防災無線、本当は、その防災無線というのは
原発の災害に備えのものとしてそもそも作られたものなんです。
それが津波の警報は「はやく避難しろ」という命令は繰り返しあるんだけど、原発の方の情報は、ひとつもない。
「あれぇ?あれで原発が、大丈夫なはずはないけれども、(原発事故の)防災無線が入んないだから、大丈夫なんだろうな」と思わざるをえない。テレビ・ラジオなど、全部ダメですよね、あの停電になったので、もう情報なしです。
ケータイ電話は、これもまたパンクでしょ。

でね、夜になって、僕は、あの全村が、全町が停電になったんじゃないんだ、
(停電になったのは)部分的なんだけど、僕の集落は、朝までダメだった。電気がこなかった。
ろうそくで過ごしました。

情報は一切なし。
ただなんとなくね、騒々しいな、というふうに思っていたんですよ。
そしてら、その情報を得た(原発)労働者あたりが、第一原発の近く辺りの人たちが、どんどん逃げてたみたいですね。
そんなことは、後にもなってからわかる。

ということで、結局、避難をすることになって、避難をすることになったのは、明けて
12日の午前9時過ぎに、いきなり、今度は防災無線で「楢葉町民は、いわき市へ避難しなさい」
と、こうなったわけです。
それも最初はね、
「6号国道から太平洋側、海側の住民は、避難しなさい」
と、こうなったんですよ。そこで僕ね、へぇー、その程度で終わったかな?て、あたまがあった。

安斎育郎:
早川さんのお寺は、その外側ですか?

早川篤雄さん:
外側です。
その程度で終わったかな?ったら、少し安心したわね。
そしたら、なに5分もしないうちに「全町民避難!」と、こうきたんだ。

あぁ、やっぱり、やった!
そうなんだ、と。
その防災無線の「全町民避難しなさい」ということで、わかった。
あ、やっぱりダメだったんだと、初めてわかった。

やっぱり、ダメだったと。

安斎育郎:
で、結局、いわき市に避難して・・・まぁ、お寺のご住職だから、仏さんも運び出すのも後でやられたんでしょうけども、避難生活をやりながら
もう、3年近くになろうとしている中で、今、一番の問題だと思っていることは、なんですか?原発事故に関して。

早川篤雄さん:
このまま安全に、収束することはないだろうと。

安全に収束するはずがない。
今の汚染水の対応について、処理の仕方とか見聞きしていてもね、そこが、先ず問題。
だけど、仮に安全に収束されるとしても、私は、もう74歳ですから。

生きている間に収束することはない。
収束はない。
収束したとしても、我々亡き後に、収束したとしても、問題は、そこに高濃度放射線廃棄物が残ることになるだろう。
あの地域は、はっきり言って消滅するだろうと、思っている。
そこのところを、どう考えていいか・・・まあ、これは私だけでなく警戒区域に指定されている20km圏内、あるいは、飯舘村のような放射能濃度の高いところの人たちが、みんな同じ思いだと思います。

故郷が消滅するという思いです。
深刻です。

安斎育郎:我々、原子力にかかわってきた者から見ても、原発災害の特徴で、とにかく原子炉の中でどうなってるのかというとは、直接見に行けないので、実際何が起こっているのか、分からないというのが、一番の不安ですね。
何が起こっているのかわからないから対策の取り方も推定で、手探りでやらざるを得ない。
実際どうなのか?ってことが、一番心配。

心配になりに、しかし、収束に向けて労働者が、いろいろ作業をやっていて、この被爆とかあるいはよく言われているのに、(原発)労働の現場では、搾取構造があって、労働者にとって魅力的な職場ではないということもあって、これから50年くらいかかる収束作業を担い切るだけの良質の労働力が確保できるかどうか?これも心配。
おまけに、付随して起こった汚染水問題も東電や国の対応を見るにつけ、これも、心配。

ええ、そして、初期に出た放射能によって、子どもたちが、チェルノブイリと同じような甲状腺のガンのような、健康被害をうけるか、うけないか?これも心配。

そして今なお、11万人ぐらいの人が故郷を離れて避難して生活をしてるんですかね?

早川篤雄さん:
14万人です。

安斎育郎:
で、その人たちが、故郷へ帰れるようなことを、国が匂わせながら中途半端なことをやっている気がしますが、これは、避難している人の間でも意見が分かれているのではないですか?

帰りたい人、オレは帰らない、という人。

早川篤雄さん:
国が、今、先生が言うように、見通しをね、現時点でのきちっとした見通しを、住人にやっぱり示すべきなんですよね。
「この地域は、帰れないだろう」
というようなことは、一定程度専門家ならば、住民がどう思おうが正しく情報として、現時点で考えられることを言ってほしい。
ついこの間、大熊町長は帰還断念宣言を、におわせましたけどもね。
これは、将来において、そうならざるを得ないと、誰が考えても、我々素人が考えても、予定できることなんですよ。
非常につらい選択なんだけども。
現実、そこには住めないんだから!
(核廃棄物)最終処分場の問題とか、中間貯蔵施設の問題
一定程度の見通しをもって、住民がそこを・・・故郷を捨てる。やむをえないけども、新しいところで、
生活が再建できるように、きちっと!示してくれるべきなんだ。それをうやむやにしておいて、住民を対立させておいて
あの、”帰還困難区域”、”居住制限区域”、”帰還準備区域”、帰還準備区域なんて、これでね、おんなじ町に住んでても
ここを境にして、おんなじ町でも隣が別れるわけだ。

こういうことをやるんだ。

やるんだったら、町、放射線量が低くても、同じ町の中で線量の高いところ、低いところ、やるんだったら、そういう差別はすべきでない。
やっぱり町全体あの地域社会全体として、対応してくれなかったら住民同士がいがみ合う。支配する側の常套手段として、対立要因を持ち込むっていうのは
よく原発問題だけじゃなくて、公害問題などでもあったことですけども。そういうことに、巻き込まれずに声を一つに被災者が、国および、電力企業を相手に第2の故郷を築くなりと
いうことでやっていくには相当な力量を結集しないといけないので、これからも僕なんかも、できるだけお手伝いしたいと思いますが。

皆さん、ご質問どうぞ。

実際、谷川さんも、何度も福島の被災地に入ってそういうひとの意見も聞いてると思いますけども、どうでしょう?

谷川さん:
私はそこに経済的な、トリックというか、罠がきっと当初からあってね、戦争の後にこれに、武器はないけど原発はあるみたいな。
やっぱり、この2年と8カ月ぐらい飯舘村の人とかと、関わってますけど、やっぱり自分たちの住んできたところが、一体いくらで賠償してもらえるのかとかね。
一番重要なことですよね、そして、彼らはもう三回くらいい、田んぼを植えるのを放棄して、今に至ってますけど、(実際は)働きたいですよね。
だけど、すごく宙ぶらりんで、あんな狭い仮設(住宅)にね、早川さんも、アパートに住んでいらっしゃると思うけど、本当に押し込められたまま、この期間を過ごしている
爆発しているのは、心の中で爆発してるんだけど、爆発したおもいとかエネルギーをどこに向けたらいいのか、やっぱりわからずにおられて。
結局、経済的にどうなるのかっていうことも不安で、もちきりみたいな気がしてます。

中には、まだ少数派だけど、もう新しいお家買って、まぁ小さいけど、土地をもって、もう野菜・花づくりやりたいって言ってる人もいますが
まだ少数派な感じなんですよね。楢葉町でもご近所とか田畑・山林もってらして、どんな風に生きて、でどういう気持ちに、この2年8か月経って、なってらっしゃるか?

早川篤雄さん:
正直のところ、みんな迷っている。
面積は少なくとも、そういう集落によるそれなりに田んぼ山もある。

それぞれの家庭には歴史も先祖代々の歴史もある。
私の場合で言えば、600年前に小さな寺だけれども歴史がある。
私で第30代だけども、私の代で、おそらく終わり消滅になるんだ。

だけど、だったらばもう新しいところに行こうかと、そこに残る人を捨てるわけにはいかない。

そういう、そのあっさり捨てられない。

安斎育郎:
しがらみのようなものがある。

早川篤雄さん:
簡単にはいかないです。

だから、そこで生活するにしても、その新しいとこでやるにしても、
どっちにしてもどっちも保証してもらわなくてはいけない。

ところが、原子力損害賠償法というのは初めから”被災者を救う”賠償法ではない仕掛けだった。
電力会社を救うためだった。
あれをよく読むと、”電力会社を救う”法なんですよ。

運悪く、事故が起こったらそこの被災者は見殺しよ、と。
人柱だよと。

まだ資本の生贄みたいなもんだよね、はじめから。

で、さんざんストレスがたまるよね。我々はじめみんなストレス持ってますよ。
人それぞれに、それぞれの人生にそれぞれの家庭のおかれている状況によって。
子供が生まれたばかりの夫婦別々に分かれて住まなくちゃいけない。
それで、いがみ合いますよ、年寄りと。

だから避難をしている人でも、5人家族で、5人揃って一つの家にいることはまずないからね。

谷川さん:
世帯数は、すごく増えているんですよね。

早川篤雄:
それでもう、シッチャチャカメッチャカですよね。それで、今度は仮設(住宅)に生活している人は、やることは無いから4畳半一間か二間かなんかに
預けられてテレビ見ている以外ないわけだよね。それで、仕事もない保証、精神的慰謝料なんてのが10万円ぐらい。
家族だと二人で20万。
お酒好きなら、酒飲むでしょう、昼間からパチンコ好きなら、パチンコ三昧になるでしょう。
すると、それは、やむを得ないから家にいたら、いろんな仕事があって、務めがある行けないからやむを得ないんですよ。
で、ギャンブルもやるし、酒にもはしっちゃう。
それを見ている、いわき市辺りのひとは、「あいつら金もらって、遊んで、いい身分だなぁ」と、どうしてそういう・・・もうちょっと先を考えてくれないのか、と。
大変なんだな、とは思えないんだな。
でも、それをね、お互いに言いあってもダメですよね。
わかってもらえなくても、そうではない、と。
そこでまた、我々が住民同士が、いわき市のお世話になっていながら、「おらのせいじゃなー」なんて、ケンカしてみても、これはもうダメですよ。

なんでこういう状況になったんだ?ということを、理解してもらう事をしないと。

安斎育郎:
今、世界的に見ると核兵器を、無くすという流れは、やっと50年以上の日本の運動の成果も反映しながら政治のながれとして、現実化しつつあるんですね
それはやっぱり核戦争は、絶対やっちゃいけない、と。そのための一番大事な保証は核兵器を無くすことだと。
そしてその核兵器の被害を受けた生き証人である被爆者の声によく耳をかたむけて、いかにそれが、非人道的なものかを世界に訴えて声を1つに、国際社会にアピールしていく必要がある。

というのが、一定、ながれとして、できてきたせいだと思うんですね。
原発もある調査ではもう4分の3くらいの人が、原発はいらないと思っていながらしかし実際に選挙をやってみると、原発を進めてきた人々に政権を戻すということをやっているんだ。
これを無くしていくには、放射能災害根絶、原発は廃絶、被災者支援連帯、この3つの旗の下で大同団結して声を一つに原発なくせ!という力を結集していかないと
なかなかできないんだけど、そこにそういう被災者の間で内部対立の要因が持ち込まれる。
被災者と、そうでないその都市住民の間でも昼間から酒のんでて、いいないということで半目。
そういうことをやっているうちはなかなか団結できないので、それをどうやっていくかというのは、我々の共通の悩みですよね。

どうですか福島の展望、見通しというか。被災者を結集させ、都市住民との間でも力を集められるような展望を描けるかどうか?

早川篤雄さん:
とても難しいですよね。なかなか。ひとつは、交流会というのをやったりしてはいるんです。
部分的に、ではあるんだけどもね、被災者を励ます会とか。
そういう小さなのがね、大きくなっていくということ以外ないでしょうね。

安斎育郎:
この国は、例えば憲法の問題なんかについてはね、「九条の会」というようなものが、この国を代表する知性といいますか、そういう人々に呼びかけられて、日本中に7000以上もの地域支部といいますか、作りながらそれなりの大きな流れをつくってきたんだけれども福島は、原発によって告発されたこの国のエネルギー政策のあり方についてもそういうイニシアチブが国レベルで発揮されるべきだと
思うんだけども知識人・文化人のリーダーシップのもとでね。それが、なかなか今できてないってことについて、私も責任の一旦を感じているんだけれども。
そのためには、被災者の声、どんなに非人間的なことを体験することになったのか、ということを発信し続けてもらうということが、一番大事ですね。

藤田さん:
いいですか?
私が一つ感じるのは、感じるのは、あの原発の被害の問題を、非常に、ややこしくしているのはやはり、あの低レベル放射線の人体に対する影響をどういうふうに評価するのか?
特に、確率的影響という問題があってですね、これは、例えば、(放射性関係の)専門家の間でも意見が分かれている、ということなんですけれども。例えば、同じデータを見てもその評価ということになるとですね、専門家でも、意見が分かれるということは、その人が持っている価値観に、非常に大きく左右される。だから、価値観が違う二人の科学者が、同じ現象を見てもまったく違う判断をしてしまうというそういうところが、一つあるように思うのです。

あの、私は、例えば、安斎育郎先生のような、そういう、放射線防護学を専門にしている科学者の間でですね、価値観の違う人同士で、徹底的な話し合いというそういうことがあれば、ですね。
で、そこに、一般の人も入る議論に入れるるようにする土台ができたら、もう少し問題点が明らかになるんじゃないかなと、そういう気がするんですけれども。

安斎育郎:
僕は、価値観の違いの前に否定しようもない実態ですね。
事実関係を共有するそういうことが、今、非常に大事ではないかと思っています。
これは、この事務所が支援して、福島市の、わたり地区という放射能が相対的にたくさん降ったといわれるところの、さくら保育園とさくら南保育園の園児とか先生方の被曝を測ったんですが、レベルそのものは、幸いにして非常に低くなってきているんですね。
このぐらいの被曝、これは、自然放射能の15分1とか、20分の1に近い程度のレベルなんですが、そのくらいのことならば、なにもそこで、喧々諤々と学者らが、意見の対立をするってことによって、この事態が改善されないというのことは起こらないと思うけれども、こういう事実関係を、やっぱりはっきりさせて、今そんな心配するよりも、やっぱりこの国の原子力政策そのものが、どういうもので、これからどうなっていくのかということについて問題を、低レベル放射線の問題だけに矮小化させないで構造的な問題として取り上げていく必要があると思う。

そのためには、早川さんのような、被災者の、まあ、今聞いただけでも非常に、非人間的な生活を強いられてきた、そして、現に強いられているわけで、家族の間でも、バラバラになり、地域では、ましてやチリヂリバラバラになっているような状況の中でそういう声を、実態としてあげてもらって、それを踏まえて我々が政策化するようなですね、政府に、圧力を加えていくしかないと思うんですね。

最後に、早川さんは、74歳ということで、これからの、この運動はたぶん時間がかかるでしょう、結構ね。
それで、若い人の関心などはどうですか?

早川篤雄さん:
うーん、あのね、借り上げアパートにぽつんと居るもんですから、今までのつながりのあるところで無いし、楢葉町の集落、おんなじ集落の人間も散り散りバラバラになったものですから、全然、交流がね、無いわけです。
そのへんがね、よく聞かれるんだけれども、答えられないですね。
ただちょっと観点が違っても、いいかと思うんですが、言いたいことがある。
今、福島県では世論調査でもね88%か、87-88%の県民が原発ゼロを希望しているということなんです。
これはね、この原発ゼロっていう福島にある10基。その内6基はアレなんだけど、あと第二原発の4基
これも無くせ!という世論が80数%となっているんですよね。
ここがやっぱり、一つの共通の福島県民の課題であって、
幸いにしてそういう原発ゼロに対する賛成が高い率であるとこれはね、何としてもオール福島の力にしていきたいと。
実は、安斎先生も、その事で12月の15日に、間もなく、(福島に)来て頂いて原発をゼロにする会を設立するんですよ。
これをうまく、そうすると県民のいろんな考え方の一つになっていくかなと思っています。

安斎育郎:
はい、ありがとうございました。
この国は、日本国憲法という前文で、公正な選挙で選ばれた代表が、国を運営するってことになってるのでその主権者たる、国民、福島で言えば、県民が今、80%以上原発を無くすということを望んでいるんであれば、それはやっぱり政治に反映するような仕組みを、きちっとつくっていく必要があるんですよね。
だから、そういう意味であんまり放射線の影響のレベルで学習を随分やったけれども、それだけじゃなくてこの国の行く末を決めるのは主権者としての、我々の行動なんだということ県民のレベルでも、それで実際に中央政府とか地域の政府つくるうえで、反映するように、よろしく。
力を合わせながら。

早川篤雄さん:
福島で、その県民世論の結果として、結果として福島の原発10基を全部廃炉にすることができたら日本全国への影響も大きいだろう。
まあ、それだけに推進側の圧力も相当なものがあると思います。
なんとしても、そこを、52市町村、59市町村ある内52、53かな?今あるのは。
市町村で、議会で決議します。
廃炉を求める。

これは、やっぱりね、形あるものにしたい。
形あるものにするように努力する。

心が一つになるように。

安斎育郎:
今日は、ありがとうございました。今後とも、よろしくお願いします。

2013年12月4日収録 放射能から命を守るシリーズ 第17回 「早川篤雄さん、福島反原発住民運動」(後半部)

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