平和友の会会報2019年10月号原稿 「表現の不自由展」について

◆平和友の会会報2019年10月号原稿

「表現の不自由展」について

安斎育郎

  • ドーハの世界陸上を見る

 時差の関係で放送が真夜中になるのは致し方ないが、ドーハで開催中の世界陸上を折に触れて見ています。信じられないかもしれませんが、今でこそずんぐりむっくりの私ですが、中学校の頃は東京都江東区で短距離走では常勝選手でした。中学2年生のころ、当時は素足で100m12秒台で走り、東京都大会にも出た経験があります。初めてスパイク・シューズをはいたときの感触は今でも忘れられません。地面を蹴っ飛ばしている感覚が心地よかったですが、さすがに東京都大会ともなるとトップという訳には行かず、前を走る選手のスパイクが蹴り上げる土が口にぺっぺぺっぺと飛んできて、やっぱり競走はトップでないとだめだと感じた苦い経験があります。

 ドーハの世界陸上を見るにつけ、100m、200m等の短距離はラテン系か黒人系、1500mなどの中距離やハードルは白人も上位に入りますが、5000m以上の長距離になると圧倒的に黒人系といった特徴がみられます。そして、道具を使うフィールド系の種目(棒高跳び、円盤投げ、ハンマー投げ、砲丸投げなど)は、そういう道具を使って練習する環境も保障されていないせいか、黒人選手は稀です。

 しかし、出場選手のヘアスタイルなどを拝見すると、色といい編み方といい、なんと自由自在なことでしょう。そこには多様性を誇らしげに自己主張する自由な心と実践があります。「こうでなくちゃ」と思いますが、彼らが所属する国家そのものはさまざまな暴力的な状況を抱え込んでおり、「平和」という点では非常に大変な国柄です。オリンピックは「平和の祭典」のように言われますが、標準記録とか決めた途端に出場条件さえ得られない発展途上諸国の選手がたくさん出ますし、何かメダル争いの「国別対抗運動会」のようになって、日本人も日の丸をかざし「にっぽん、にっぽん!」と連呼して一斉にナショナリズムに燃え盛るのは、さてどうしたものかという悩ましい問題に直面します。スポーツを愛好する純粋な心とある種の愛国心(ナショナリズム)の狭間で、皆さんは揺れ動くことはありませんか?

  • 「表現の不自由展」について

 8月にあいちで開催されたトリエンナーレ展の中の企画として開幕した「表現の不自由展」は、電凸という形の脅迫的・暴力的メール攻撃や、名古屋の河村たかし市長の批判の中で、たった3日で中止に追い込まれました。平和ミュージアムも何か一言あるべきだと思っていましたところ、ミュージアム運営関係者から具体的な提起があって、下のような「館長・名誉館長声明」を発することになりました。

あいちトリエンナーレ「表現の不自由・その後展」中止及び文化庁による

補助金交付取り消しについての国際平和ミュージアム館長・名誉館長声明

 2019年8月3日、「あいちトリエンナーレ2019」における企画展「表現の不自由展・その後」展が、脅迫行為により開催中止となりました。このような脅迫行為が「表現の自由」「国民の知る権利」を脅かす由々しき行為であることは言うまでもありませんが、今回の「表現の不自由展・その後」展については、同展中止に先立つ8月2日には河村たかし名古屋市長が展示内容を批判し、菅義偉官房長官が補助金の交付決定の見直しに言及するなど、政治家による批判的言及が相次ぎました。そして9月26日には文化庁が「あいちトリエンナーレ」への補助金交付取り消しを決定しました。

 これらの一連の動きは、個人の思想・信条の自由な表現である芸術表現に対し、公人としての政治家及び国家組織がそれを抑圧するものであり、日本国憲法第二十一条に記された「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」、同条2「検閲は、これをしてはならない」という条文に違反する惧れのあるものです。

 これまでも自治体首長の歴史観・価値観によって平和博物館が展示の変更を迫られた事実をもふまえ、「戦争の被害と加害の両面に目を向け、過去と誠実に向き合う」ことを基本姿勢とする立命館大学国際平和ミュージアムとしては、このような一連の動きが個人の思想・信条の自由な表現としての芸術表現・展示表現を抑制する検閲の効果を及ぼす可能性を危惧し、文化庁の決定に対して遺憾の意を表明するとともに、「あいちトリエンナーレ」への補助金交付取り消しのすみやかな撤回を求めます。

                     立命館大学国際平和ミュージアム

                          館長   吾郷真一

                          名誉館長 安斎育郎

2019年10月

 吾郷館長のもとでの最初の館長・名誉館長声明ですが、昨今いろいろと上目遣いに生きることを強制されていると感じることの多い「忖度全体主義的」な世の中にあって、こうした声明を出せる自由度がちゃんと息づいている国際平和ミュージアムは、なかなかのものだと自画自賛したい気分ではありますが、報道の自由度ランキングが70位以下の日本ではとかく「口を閉ざしがちな雰囲気」「お上に立てつくのを回避しがちな傾向」がある中で、こうした認識と心意気を大事にしたいものです。

 10月26日・27日に中帰連の世話で埼玉県の国立女性教育会館で予定されている「平和のための博物館市民ネットワーク」全国交流会でもこの問題について意思表示することが決まっており、私はその起草作業に追われています。

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