ラジオ 安斎育郎 平和・原発ひとりごと 9月

平和・原発ひとりごと 9月

みなさん、こんにちは安斎育郎 平和・原発ひとりごと、9月号の時間がやってまいりました。
まだ相変わらず暑いんですけれども、いつもこのスタジオに来る時には京阪電車の三条ってとこで降りて、とことこ歩いてくるんですが、その途中で、だいたいコンビニを見つけて、そこでお昼の弁当を買うんですよね。

小さなサンドイッチと、おにぎり、あるいは納豆巻きなんていうのを買って、飲み物にちょっと目に留まるこれで1日の野菜が摂れますなんていうジュースを加えてね。
それで録音を終えて、立命館大学の国際平和ミュージアムて言う所に帰って、そこでお昼をいただくという、そういう日常であります。
このスタジオの側の道には、外国人の観光客なども一番たくさん見られるような、そういう場所で、窓越しにそういう人たちの姿を見ながら今日も話をしたいと思っています。

9月になりましたけども、先月8月は私が関心を抱いている、例えば原水爆禁止運動などが非常に盛り上がる季節なんですね。
8月の初旬にはNHKの京都放送局に頼まれて、市民講座ですね。
そこで京都原爆投下計画についてお話しました。
京都は、原爆投下の第一目標だったっていうのは、案外、京都に住んでおられる方でも知らない人もいるんですが、昭和20年1945年の、結局、8月6日に広島に、そして8月9日に長崎に投下される計画は、8月2日に「センターボード作戦」と言って、第一目標広島、第2目標小倉、第3目標長崎という形で決まったんですが、その一週間ちょっと前までは、京都が第一目標だったんですね。
狙いはどこかというと、京都駅の西1kmの所に行った、梅小路蒸気機関車の車庫ですね。

それから、機関車を、ある線路から別の線路に入れ替える時には、よくお話しするように、中華料理屋の回転テーブル板の上に機関車をのせて、ぐるっと方向を変えて別の線路に乗せてあるその、転車台って言うんですけども。
それが一万メートル上空から原爆を落とす時にも目印としてよく見える、しかも京都盆地のど真ん中だったのものですから、そこが狙われたんですね。
その原爆投下するはずだった場所は、今は京都駅の近くにある鉄道博物館、そこの中に保存されていますので、機会があれば見ていただきたいと思います。

京都への原爆投下は、一度計画に浮かんだり、また消えたり、再び浮上したりという経緯を繰り返して、結局7月の24日頃までに、京都は原爆投下しないってことになったんですね。

軍部には、京都は盆地であって平らであって、原爆の効果を試すのに適してるし、しかも知識人もたくさんいて、この原爆投下が、今、日本が続けている戦争にとって、どういう重大な意味を持つかっていうことも理解されるだろうし、人口も多いしですしね。あるいは、産業もいっぱいあるし、他の都市が爆撃して破壊されるのかで、京都にそういう産業がうつってきたりしてる中で、適地であると判断されていたんですが、(ヘンリー・ルイス・)スティムソン陸軍長官と言う 新婚時代に京都を訪れたことがあるともいわれていますけれども、彼が京都のような古い天皇の都を爆撃したら、日本人の心をアメリカがつかみきれなくなって、ソ連に側に向けてしまうであろうという、そういう戦略的な判断から最終的に京都は外されたんですね。

しかし、原爆投下を予定している町には原爆投下を純粋に調べるために、あらかじめ爆撃を禁止していたんですね。
京都のもそうでしたけれども、原爆投下計画がなくなった後も、京都は爆撃が禁止されていたために馬町、今の京都女子大学がある辺りの方、馬町付近に限定的な空爆があって死傷者も出ましたけれども、東京とか大阪のような一面焼け野原になるというような、大規模な爆撃はなかったその背景に原爆投下計画があったっていうことなんですね。
それを8月初旬に公演した後8月6日にはいつものように広島の爆撃の記念日ですけれども、原水爆禁止世界大会ってのは広島で開かれておりそこに参りました。
ちょうどその8月6日付で、新しい著書を「核兵器禁止条約を使いこなす」っていう共著で書いた著書が出版されたもんですから、その宣伝販売もかねて原水爆禁止世界大会に行って、売り子をやりました。
わりに短時間の間に100冊完売してきたんですけれども、その事を後に広島長崎の原爆資料館の館長などに、お知らせしたところ、原爆資料館平和記念資料館ていいますけども、この加藤周一副館長から、まあ、京都原爆投下計画について京都でNHKで話したそうだけれども、内容に関心があるということでしたので、その資料をお送りしました。
まあ、京都が爆撃の対象になったり、消えてみたり、また再浮上したりそういう詳しい経過について知って、勉強になったという感想を後で頂きました。
なかなか、原爆あるいは平和に関心を持ち、それを業としてやっているような方でも、なかなか京都の原爆計画の詳細については知られていないっていうのが現状かもしれませんね。

京都市民は今、向こうして多くの観光客が来る世界的な古都をとしての京都、その歴史の背景に、原爆で焼け野原になるかもしれなかったという、そういう歴史があったっていうことを、しっかりと認識することも必要ではないかと思います。
そうこうしてるうちに、今度は長崎の原爆資料館の中村彰利館長からメールがやってきました。
ちょっと変わったメールだったんですね。
何かって言うと、中村彰利館長は、また青来有一さんという芥川賞作家なんですよね。
今度、新しい「すばる」っていうのの9月号にある小説を発表したので、機会があれば読んでほしいという、そういうご案内だったんですね。
どんな小説家って言うと、「フェイクコメディ」という名前の、まぁ、喜劇めいた書き方で、原爆あるいは、現在の核兵器が持っている深刻な内容について、解き明かすような、そういう小説だったんですね。
「フェイクコメディ」という名前から、ビビっとくる人がいるかもしれませんが、「フェイク」ってことはよくトランプ大統領が使っていることばですよね。
実はこの小説はですね、金正恩朝鮮労働党の責任者と、トランプ大統領がシンガポールで会談をする直前に、トランプ大統領がお忍びで、長崎原爆資料館を訪れたっていう、現実とは違う仮定に基づいて、そこでトランプ大統領がこの中村館長を翻弄する話として、コメディ仕立てで作られているんですけども、その中でも核兵器を持ってる国の大統領っていうのは、今の核兵器についてどんなに意見を持ってるのかっていうのことが、まあ面白くも、また恐ろしくも描かれているような、そういうものであります。
集英社の「すばる」9月号ってのを読む機会があったら 「フェイクコメディ」 セイライユウイチっていうのは、青来ていう字を書くので、アオキって読みそうになるんですけども、セイライと読みますから、「セーラームーンからとったんじゃないか?」とかいう勝手な噂が流れ、本人は違うとこ言ってるんですけども、なかなか面白いコメディになってますので、お読みいただくとありがたいですね。
同じ集英社から「小説すばる」っているのも出ているんですが、そっちじゃなくて「すばる」の9月号っていうのが書店に並んでいると思います。

そんなことで夏もですね核兵器絡みで、いくつか思い出に残るようなそういう経験をしたんですけども、まあ、この暑い夏、働いてばかりいてはいけないって言うんで、孫と石川県の羽咋(はくい)ってところにあるコスモアイル航空宇宙博物館にも、ちょっと一泊で行ってきました。
サンダーバードって言う特急で行くんですが、雨が降ると止まり、風が吹くと止まりで、なかなか厄介で、前の日は完全に運休してたんですが、たまたま予定した日は10分ぐらいの遅れで。
羽咋(はくい)っていう街に行ってきました。
羽咋(はくい)のクイっていう字は、昨日昨日の意味する昨日の昨っていう字の、左側が日じゃなくて、口になっている珍しい漢字で、羽咋の街を表す時以外は使わないような気がしますが、これは食べるって意味なんですね。
羽咋というのは、大国主命が悪者を退治しようとして、たくさんの弓矢用意しておいたら、その矢の羽を、ネズミが食った羽を食ったっていうところから、そういう名前がついたんだっていう言い伝えがありますけども。
そこに面白いことに、航空宇宙博物館がある。
昔はですね、ちょっと怪しげな「UFOの博物館」だったんですね。
私もテレビ番組の関係でそこへ行って、批判したりしたんですが、その後、羽咋の街が全面的に回収に乗り出して、アメリカやソ連から月面着陸などした実物の飛行隊を購入したりなんかして、今はそれなりの航空科学博物館になってます。
航空科学博物館としてのコスモアイルと、傍らにある怪しげなUFOの展示とのミスマッチといいますかね、それもちょっと面白いとこですけども、孫が喜んでそれを見ておりました。
そんなことで結構忙しい8月を過ごしましたけども、9月も実は、これから大きいのはこのは、後すぐ沖縄で平和のための博物館市民ネットワークの全国交流会が開かれたり、あるいはその翌日には沖縄からも、1日で取って返してくるんですけども、立命館の国際平和ミュージアムで、原爆忌全国俳句大会原爆とか平和を主題にした俳句の大会、その実行委員長のもんですからそこに帰ってきて、それもお世話をしなければいけないって、引き続き暑い中で奮闘しますけれども、まあ、このラジオ局はFM79.7メガヘルツという波長を使ってるんですが、79.7 ていう周波数は、ナクナとも読めるよね。
辛かろうが、苦しかろうが、泣かずに今後も頑張って、福島での原発の調査も含めて、これから78歳。いつも調子がいいとは限りませんけれども、頑張っていきたいと思っています。

皆さんもどうか、残暑が厳しいと言われてますので、それに負けないように泣くなっていうことでね、それなりに頑張っていただければ、また来月お会いしたいと思います。

さようなら。

カテゴリー: 原発関連