放射能から命を守るシリーズ第20回(最終回) 「脱原発運動の現状と課題」

第20回 ”脱原発運動の現状と課題” 2014年5月30日収録
講師:安斎育郎(ASAP所長) (専門:放射線防護学・平和学)

安斎科学・平和事務所がおとどけする「放射能から命を守るシリーズ」
今回で20回目となります。

第1回目を、お送りしたときに、この撮影会を、20回続けたいというふうに申し上げました。
まず、今回をもって、第一期の撮影会の最終回といたします。

今回のテーマは、「脱原発運動の現状と課題」です。
よろしくおねがいいたします。

安斎所長:

福島原発の事故が、3年3カ月前に起こってから事態は、深刻な状況をずっと続けているんですね。

事故を起こした原発の中が、どうなってるのかということについては誰も見に行けない原発事故の特徴ゆえに、未だに事実がどうなっているかさえも分からないということで、これから数10年から100年単位で、我々は原発事故を見すえていかなければいけない。
そういうことで言うと、このシリーズを20回で切って、お終いという訳にはいかないので、今後とも、その時々の話題を取り上げながら、別の形ででも続けていきたいと思っています。

今日は、一応ここに用意しましたが、「脱原発運動の現状と課題」という風に書きましたけれども、政府や電力会社は、いま再稼働とか原発の輸出に非常に熱心に取り組んでいるという現実がありますね。

それは、原発を止めると、とってもお金がかかるので、100万キロワットの原発を一日動かすと、億っていうお金が入るんだけど、今それが入らなくなった上に、止まっている原発も冷やし続けないと核燃料が溶けるために一日何千万円と、お金を使っているんですね。

だから再稼働したいというふうに、考えているんですね。

ところが、同じ政治家の中にも、皆さんご承知の通り、小泉純一郎氏とか、こうした中、細川護煕さんみたいに、かつて内閣総理大臣を務めたような人々が、脱原発のための動きを示しているという側面もあるわけですね。

そして、大変多くの市民たちは、脱原発の未来を望んでいると、そういう状況の中で、それが、どういう方向に今、進んでいるかということなんですけれども、原発をやり続けたいと思っている人びとは、できるだけ国民が声を一つにそういう要求を突きつけて、それで政治的意思として、まとまらないように対立要因を持ち込むということが、しばしばあることです。

これは原発問題だけじゃなくて、平和や戦争の問題についても、あることなんですけども、今、この原発絡みでもいろんな対立要因が、被災者の中でも、あるいは、被災者と都市住民の間でもこの対立要因が持ち込まれているということがあるんですね。

原発を無くする声を一つに、政府に突きつけていくためにはなるだけ、対立要因を持ち込むような手には乗らずにですね、声を一つに脱原発を目指していきたいものだ。

で、そのためには、実は、日本の原水爆禁止運動の教訓というのを、思い起こしておく必要があると思うんですね。

今年は、あの1954年3月にビキニ環礁でいわゆる第五福竜丸事件といわれている、アメリカの巨大な水爆実験があってから、ちょうど60年目に当たるですね。
まぁ、言ってみれば還暦に当たるわけですけれども、日本の原水爆禁止運動も今日までに至る60年の間に紆余曲折があって、内部に対立が起こったりした経験をしてきたんですけれども、結局、今、この3つの旗のもとにですね、みんなで力を合わせて核兵器をなくす運動を世界にアピールした。

ひとつは、核戦争を阻止しよう。
ふたつ目には、核兵器を無くそう。
そしてみっつ目には、ヒロシマ、ナガサキやビキニの被爆者、被災者ですね援護連帯をしよう。

こういう3つの旗の下で、個別の意見の違いがあっても、まとまって国際社会に核兵器廃絶訴えてきたその結果として国際社会も、やっともう核兵器をなくす方向に国連を含めて動きだしているんですね。

国連総会などで、核兵器をなくす決議、それに反対する国は、もうごくわずかな国になって、大部分の国々が、日本の原爆被爆者たちの、すさまじい体験も、踏まえながら、核兵器をなくすという声にまとまろうとしているわけです。

脱原発運動についても、

放射能被害の根絶。
それから、原発を廃絶する。
そして、被災者と援護連帯をする。

3つの旗のもとで、まとまって、いろんな意見の違いがあるだろうけれども、原発のない社会を作るというその目標に向かって力を合わせていく必要があるだろうと思うんですね。

個別の問題についてはいろいろな見方、考え方の違いが起こるということは、よくあることなんですけれども、見方や意見の違いがあっても、この対立感情を、お互いに煽るような、そういう言動は謹んでですね、お互いに配慮しながら、原発をなくすという大きな目標に向かってともに励まし合っていくということがとても大事だと思います。

もちろん、あの相互に意見の違いがあったらば、それを批判するというのは、まったくの自由であって、ここに書きましたけども総合批判というのは完全な自由ですよね。

違う意見があれば、それに対して自分の意見を述べるということは、だれによっても抑圧されるべきものではないわけですけども、やはり、互いの心情への配慮は大切なんですね。

お互いに、もし頂上が同じところであれば、いろんなの登り口から登って行って、そこに見方の違いなどがあったとしても将来をきちっと展望して、互いに励ましあっていくと。
批判があったら、その批判の意見を述べることは自由だけど、その述べ方については、対立感情をあおり立てるようなことは避けていくということが、大事でしょうね。

ごく最近、「鼻血問題」というのがありました。
ある雑誌の上で、マンガの形で、とても大きな話題として、報道でも取り上げられたものですけれども原発被災者の間に、鼻血を体験した人がそれなりに沢山いる、というわけですよね。

まあ、一つの見方は、
”それは降り積もっったセシウム137などが出しているガンマ線をいっぱい浴びたために障害が起こったのではないか?”
という見方の人もいますけれども、それは、おそらく放射線の影響学の専門分野から見るとこういうこのガンマ線を浴びて鼻血がでるためには、例えば、1000ミリシーベルトとかいうかなりまとまった線量を短時間で浴びる必要があるんですけども、私たちが例えば、安斎育郎が、事故の1か月ぐらい後に、80キロぐらい(から)原発の7キロぐらい近くまで近づいて調査を続けた、その6時間ぐらいの間に被曝したのは0.022ミリシーベルトといううふうな量ですから、例えば、新聞記者が現場の取材に行ったということによって、1000ミリシーベルトに近いような被曝をするなんてことは、ちょっと考えられないことなんで、それはないかもしれない。
ということですけれども、それに対して、
”いや、そうでなくて、セシウム137などを含むβ線という放射線を出す微粒子がですね、空気中を飛んできて、それが鼻にくっついてですね、非常に狭い範囲だけれども大きな被ばく線量を与えた結果、鼻血が出たのではないか?鼻粘膜の損傷が起こって出血が起こったのではないか?”
という見方もあるんですね。

これについては、無いことを望みたいと思いますけれども、今このことを心配して調べている科学者もいるんですね。

したがってそれは、そういう科学者たちの研究の成果を待ってみるという必要があるでしょう。

全面的に否定するのではなくて、そういう主張を、科学的主張がある以上、それが正しいかどうかということについての、さらに研究の成果を待つっていうことですね。

その一方ですね、鼻血っていうのはおそらくみなさんも体験したことあると思うんですけれどもごく日常的に起こる現象でもあるんですね。
ええ、安斎育郎も東京大学工学部の原子力工学科というのに1962年に学生になりましたけれども、それ以降は鼻血を経験したことはほとんどありませんが、その前、幼いころにですね、鼻血というのは、年中体験していて、よくチリ紙を鼻に突っ込んで、この遊ぶなんてことやっていた。
鼻血対策としては、あれは非常に悪い方法だと言われてますけれども、そういうことをやっていたんですね。
それでいて、実は、鼻血っていうのは、たびたび起こることだけども、結構重要な、病気の原因だったりもするんですよね。

ギーゼルバッハVっていう、鼻の真ん中にある仕切りの、ちょっと奥にある粘膜の非常に薄いところがあるんですが、そういうところが傷つきやすい、よく鼻を、ほじるなんていう習慣のある人などは非常に傷つきやすいでしょうし、アレルギー性鼻炎ということもあるし、あるいは蓄膿症の人でも症状によっては鼻血という形をとることもあるし、あるいは、内蔵の疾患が原因のこともありうるし、血液や血管の病気ということもあり得るし、あるいは、最悪の場合には鼻孔、この鼻の中にガンができているっていうようなこともありうるということなので、鼻血が出たからといって、バカにしないで、きちっとした医療的な検査を受けて治療を受けるということが、必要ですけども、それをいきなり、福島の放射線の被爆と結びつけるということには、まあ放射線の影響影響学的に見ると理解を越えた部分があるので、それは、これからの研究に待つと部分と、やはりあまり短兵急に直接、被爆と結びつけて、
”福島に住んでいること自体が、とても危険なことだ”
とか、ある人は、
“福島の原発近くに住んでいること自体が犯罪的だ”
と言った人もいますけども、そういう見方をすることによって、福島の人に対する偏見とか、差別とか、不要な風評被害を生み出すことがないようにしなければいけないと思うんですよね。

したがって、まあこういう問題についてもおそらく、いろんな意見があると思いますけども、相互批判の自由を保証しながらも、お互いに共通の原発による災害のない社会をめざしたいということであればそのためにに力を合わせていくことが必要だろうと。

そういう面で、今日いいました脱原発運動の現状と課題のなかに、現状としては、まだまだそれを取り組んでいって声を大に叫ぶ必要があるんだけれども、課題として、やっぱり多くの国民が、この内部的ないろいろな意見の違いを乗り越えて非常に原発を推進したいと思っているそういう構造自体、社会的な構造自体を替えるところまでいっていないということで、いっそう、そういうことに配慮しながら、力を合わせていく必要があるだろうというふうに思います。

20回シリーズ、そういうことで締めくくりますけれども、今後とも、先ほど言いましたように問題は、山積みされているので、これからも次々といろいろなかたちで取り上げていきたいと思います。

では、わたしの話はそこまでにして、質問、あるいは、ご意見があればうかがいたいと思います。

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