平和友の会会報安斎育郎連載「世相裏表」5月

◆平和友の会会報安斎育郎連載「世相裏表」原稿

広島への平和ツアーに行ってきました─その2

  • 「安齋肇・しりあがり寿・安斎育郎三人展」開催報告

 4月14日(土)~4月21日(土)、予定通り、京都藝際交流協会JARFO京都画廊で「安齋肇・しりあがり寿・安斎育郎三人展」が開催され、平和友の会関係者も沢山ご来場頂きました。甥の安齋肇君はイラストレータ、アート・ディレクター、陶芸家、映画監督、テレビタレントなどとして活動中で、最近では、みうらじゅん企画、安斎肇初監督の青春ロックポルノ映画『変態だ』がプチョン国際ファンタスティック映画祭で特別表彰を受けたことがちょっとした話題になりました。

 今回の三人展は、昨年の「福島クダラナ庄助祭り」での共同以来三人の間で取り交わした絵手紙を基調とし、しりあがり寿さん、安齋肇君が書や絵を、私・安斎育郎が絵手紙、だまし絵、原発および核問題展示パネルを持ち寄った奇妙な展示会で、見た人もかなり戸惑ったようです。受付で住所を明記してくれた200人余りの人々には全員お礼の絵手紙をお送りしましたが、大変面白いことに「絵手紙には絵手紙を」というのか、礼状に対する絵手紙返事をくれた方が予想以上にいました。

 表通りのショウ・ウインドウに怪しげなお宮の形をした実験装置を置いたものですから、新興宗教かと思った人もいたみたいですが、案内状をみてきた人の外に、通りがかったら気になって入った人や、京都民報・京都新聞・朝日新聞などの記事を見てきた人など、様々でした。ショウ・ウインドウに掲げた3人の紹介には「座右の銘」が書いてありますが、安齋肇君が「融通無碍」、しりあがりさんが「悠揚自在」、安斎育郎が「で、どうする?」。私は、必ずしも一貫性がつかみ難い絵手紙展示やだまし絵展示や原発・核問題のパネル展示の中にも、「で、どうする?」という姿勢を緩やかに貫いたつもりでいます。

 展示会は舞鶴や石塀小路や京都市内の美術館などに巡回する話も出ており、今後もこの怪しげな三人はうごめき続けます。

 

  • 「平和ツアーin広島」に行きました─「やまとミュージアム」のこと

 前号で、「安斎育郎先生と行く平和ツアーin広島」での経験について、大久野島毒ガス資料館と広島平和記念資料館のことを述べました。両方とも「科学と戦争」、「科学者と戦争責任」の問題に関わる20世紀の2つの重大な経験でしが、前回は毒ガス開発についてはフリッツ・ハーバーを、また、原爆についてはジョセフ・ロートブラットを切り口に述べました。5月3日の憲法記念日の集会で物理学者の池内了さんとお会いしましたが、話は自ずから科学者の社会的責任の問題に及びました。池内さんは、少なからぬ科学者が、「たとえ科学が軍事目的に使われることがあっても、結果として科学が進歩するのであればいいのではないか」と考えていることを慨嘆していました。

今回はその続きで「大和ミュージアム」について述べたいと思います。

通称「大和ミュージアム」の本名は「呉市海事歴史科学館」で、日本一の海軍工廠の町として栄えてきた呉市の施設です。その目的は、呉市によれば、「明治以降の日本の近代化の歴史そのものである『呉の歴史』と、その近代化の礎となった造船、製鋼を始めとした各種の『科学技術』を、先人の努力や当時の生活・文化に触れながら紹介し、わが国の歴史と平和の大切さを深く認識していただくとともに、科学技術創造立国を目指す日本の将来を担う子ども達に科学技術のすばらしさを理解していただき、未来に夢と希望を抱いていただくことのできる『呉らしい博物館』とすることにより、地域の教育、文化及び観光等に大きく寄与すること」とされています。建艦技術の面で呉海軍工廠が果たした「技術史上の輝かしい歴史」が綿密に展示され、呉空襲被害の展示コーナーで「平和の大切さ」が語られるという展示展開になっていますが、後者は多くの地方の民俗資料館と同類で、やはり前者がこの博物館の特徴でもあり、圧倒的な印象で迫ってきます。改めて言うまでもないことですが、この博物館はその本質において「海事歴史科学館」であり、「平和博物館」としての性格は付随的です。学校の修学旅行や社会科見学などで、「安芸の宮島」「大和ミュージアム」「広島平和記念資料館」を三点セットにしているケースも多い反面、実態として、「戦艦大和」を「カッコいいもの」として見るマニアックな人たちやいわゆる「ミリオタ」(ミリタリー・オタク)と呼ばれる人たちが沢山訪れている傾向はあるでしょう。「ミリオタ」は「軍事・戦争・兵器に関するオタク」のことですが、理系・文系も含めて必ずしも政治思想的に特定の傾向をもつとは限りません。平和友の会の片山一美さんから伺った話でも、平和ミュージアム見学に訪れる子どもたちの中にも時おり「兵器マニア」の子もいるようで、おそらく、兵器・艦船・航空機・戦史・戦略・戦術・軍人・国際関係などの要素を含むゲーム(サバイバルゲームを含む)にハマって、軍事オタクになったといった可能性もあるでしょう。「で、君のお気に入りの兵器で何を破壊して、誰を殺すのかな?」と聞いてみたい気もしますが、ちょっと意地悪かしら?

大和ミュージアムの名誉館長陣には、松本零士(漫画家、テレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト』の制作に参加するとともに、『銀河鉄道999』でも知られる。1938年、福岡県出身)、的川泰宣(宇宙科学者、小惑星6526は「Matogawa」と命名されている。1942年、広島県呉出身)、半藤一利(ジャーナリスト・作家、原発への懸念や「憲法を守るから育てるへ」などの発言で知られる。陸・海軍史や昭和史への造詣が深く、名誉館長就任前から大和ミュージアムの展示に助言してきた。DVD全集『太平洋戦争』の監修なども手がける。1930年、東京府出身)、石坂浩二(俳優・司会者・画家で、映画やテレビ・ドラマの常連として「国民的俳優」と言われる。テレビ番組「開運なんでも鑑定団」に出品された戦艦「長門」の軍艦旗を1,000万円で自費購入して大和ミュージアムに寄贈した。1941年、東京都出身)、故・阿川弘之(海軍兵学校出身の小説家で、文化勲章受章者。人に媚びない姿勢をもち、大江健三郎とは「犬猿の仲」と伝えられる。1920年、広島県出身)という錚々たる名前があります。的川さんは日本のロケット開発の第一人者だった東大工学部・糸川英夫教授の最後の弟子の一人で、私とは2歳違い。東大大学院時代には一緒に日常的な活動をしていた仲間でしたし、私がジャパン・スケプティクス(超自然現象を批判的・科学的に究明する会)会長を務めていた頃には記念講演者として招待したこともありました。これらのメンバーが名誉館長になった理由は上の略歴からも分かるでしょうが、別に特定の政治傾向をもつ人々という訳でもありません。

ツアーのバスの中でもお話ししましたが、数年前、呉市の複数の市会議員が大和ミュージアムの展示のあり方について私の事務所に相談に訪れたことがありました。私は、「博物館に展示されていることはすべて事実でなければならないが、どの事実を展示し、どの事実を展示しないかは、その博物館運営者〈この場合は呉市〉の価値観・歴史観によるもので、客観的基準で決められるものではない。大和ミュージアムの参観者に対するアンケート調査などで、展示内容がバランスを失していないかどうかについての意見を集約し、運営者である市として、『展示が偏り過ぎているという指摘があるから修正しよう』とか、『こういう面も展示すべきだという意見があるから追加展示しよう』とかいった判断が必要だ。市議会の中に『大和ミュージアムの展示のあり方委員会』のようなものを作って参観者の意見、市民の意見を反映したミュージアムづくりに努力するしかないのではないか」といった意見を具申した記憶があります。

もう一つ重要なことは、展示見学に訪れる側の事前・事後学習の大切さです。これは国際平和ミュージアムの場合も同じですが、ただ漫然とミュージアムに生徒を起こりこむというのではなく、教員たちがミュージアム訪問を通じて生徒に何を「見て、感じて、考えて、一歩を踏み出してもらいたい」と期待しているのかについてよく検討し、事前・事後の学習を通じてミュージアム学習内容の豊潤化を図ってもらいたいということです。そして、展示内容のあれもこれも満遍なく見るというよりも、学習目標に的を絞った主体性のあるミュージアム参観を心がけてもらいたいということです。博物館を利用した(平和)教育は、そこに設えられている展示内容の中から、子どもたちの発展段階やカリキュラムの展開に有効な要素を抽出し、事前学習+現地参観+事後学習を通じて活用すべきものでしょうから、博物館の展示任せの「送り込み型」の利用ではなく、学習目的に合致した要素を吸収する「宝探し型」の利用が望まれるのではないでしょうか。

結局、「あのでっかい戦艦大和を建造した日本の技術は大したもので、それが戦後の技術開発にも役立ったことを分かって欲しい」ということなのか、「蓄積された日本の造船技術が結局戦争目的に使われて徒花を咲かせたものの、建艦の町もそれゆえにこそ空襲被害にさらされる結果を招いたことについて考えてみよう」ということなのか。もちろん、何でもかんでも教師の側の思惑通りに見させようとすることにも「型にはめた教育」として批判されるべき面はあるにしても、ただ何となく博物館施設に送り込むスケジュールをこなす以上の、意味のある社会教育施設の利用のあり方を吟味し、洗練させ、実践結果についての総括・経験交流・相互批判を通じて経験知を共有していく努力が必要なのでしょう。これは、翻ってわが身に対する自戒でもあります。