平和友の会『会報』安斎育郎連載「世相裏表」2019年11月号

老いるということ

安斎育郎

 

  • 川畑さん逝く

 「姓は川畑、名は康郎!」と名乗りを上げて場を盛り上げた元・平和友の会会長の川畑康郎さんが、88歳の米寿で亡くなられました。奥様の嘉子さんともども、「オシドリ平和夫妻」として広く知られていました。確かに近年は老いの衰えを感じさせる立ち居振る舞いだったように思いますが、人間老いるのは必然で、誰も否応なく通る道です。

 9月25日に福島県の磐梯熱海で開かれた第33回日本高齢者大会に記念講演者として招かれました。テーマは原発問題でしたが、私が演台に立った時点で参加登録者は1937人、会場は大盛況でした。なぜ参加者数を私が下一桁まで知っているかと言えば、講演の直前、事務局長が舞台横に座る私の耳元で、「現在の参加者数は1937人です」と囁いたからです。何だか1937という数字が西暦年のように感じられて、スペインのゲルニカへの無差別爆撃、ドイツの飛行船ヒンデンブルグの爆発、盧溝橋事件、ナチスによる「退廃芸術展」の開催、南京虐殺事件などの事件が次々と頭の中に駆け巡り、刷り込まれてしまったからです。

 私は冒頭で、「私は1940年、昭和15年、皇紀2600年生まれの79歳。高齢者ですが、実は「高齢者」という呼び方が好きではありません」と切り出しました。なぜかと言えば、「前期高齢者」「後期高齢者」などと呼びならわしているうちに、人生のその後の時期を「終期高齢者」「晩期高齢者」「末期高齢者」などと呼ばれかねないからです。どうでもいい問題ですが、ちょっとしたこだわりがあります。

 「姓は川畑、名は康郎!」と名乗りを上げていた「平和男」が逝ってしまったのは、順番と言えば順番なのでしょうが、寂しい限りです。

 

  • 有馬頼底さんとの対話

 10月9日と11月5日、相国寺の承天閣美術館で有馬頼底師と対談をする機会がありました。臨済宗相国寺派の管長で、金閣寺・銀閣寺の住職も兼任しています。二人は憲法9条京都の会の共同代表だったりするので、見知らぬ仲とは大違いなのですが、こうして相対して会話をするのは実は初めてのことでした。合計3時間にも及んだ対話は、面白かったです。

「老いるということ」についても話題になりましたが、少なくとも私は定年以降は(国際平和ミュージアム終身名誉館長のような、生業に関係のない、つまり「無給の名誉職的肩書」は残ってはいるものの)、「責任を伴う肩書」はなくなって大層自由になった気がしています。有馬和尚さんも、「そう、何かに束縛されたり、執着したりしないで、心を空(カラ)にするのがいい」と言いました。有馬和尚は86歳、私よりも7歳年上です。老年期の対局ある幼年期はどうだったのかというと、次男坊で禅寺に預けられていた和尚は寺内の掃除やらなにやら忙しくしていたようです。へまをすると竹ぼうきの柄でボカッと叩かれて、今でいう体罰をちょいちょい受けていたようです。子どもどうしの諍いで頭から血が出るほどの傷を負った時、先輩の禅僧から、「体から血が出ようが、おまえの人格が傷つくことはない」と言われたそうで、それがいたく心に残ったということです。

傷を負って痛いというのは不快な体験ですが、私はちょっと変わった感じ方をしています。痛いというのは「常ならぬ状態に対する体の反応」です。つまり、外から加えられる攻撃に対して、体がちゃんと反応している証拠です。喜ばしいことですね。私は食中毒にかかったことが何度かありますが、食べた物を体が受け付けずに悪心・嘔吐を催すと、「気分は最悪」というところでしょうが、私は、微細な食中毒物質に体が反応したことに「うん、良くやった!」と感動し、時には深く感謝さえします。

2015年4月20日、私は大腸内視鏡検査で長さ5㎜程のポリープを発見され、「内視鏡手術」を受けました。そのときちょっとしたミスが発生し、針の船体でつついた程の小さなピンホールが開いたらしく、そのせいで帰宅後2~3時間で気分が悪くなり、悪心・嘔吐を催しました。結果として3日程入院したのですが、私の感じ方はちょっと変わっていました。当時のエッセイというか、メモには、「私は、私の体がそんな『最新鋭のCTスキャナーでも見えないような』微細な傷に鋭敏に反応したことを誇りに思います(笑)」と書いてあります。痛いとか不快感があるとかいうのは、「生きている証」なんですね、私にとっては。それは、私の体内の防御機構がちゃんと働いて、異常ありと警報を発しているということです。もしもこういう事態のもとで痛くもかゆくも感じなかったら、それこそ深刻です。この歳になってもちゃんと防衛機構が機能しているというのは、なんと素晴らしいことでしょう。

 

  • 痛みを微分する方法

 2009年6月28日、数日前の北九州の講演先で私を見送った車が大型二輪車と激突したことに起因すると思われる激甚な腰痛に見舞われました。当時の記録には、「明くる6月29日(月曜日)、私は妻に付き添われてノロノロと宇治武田病院に出向いた。朝7時40分、受付番号10番。しかし、これはあらかじめ予約してある人を含んでいない順番だから、私が診療を希望した整形外科の本当の順番が何番目なのかは分からない。結局、受付→整形外科→放射線科→整形外科→内科→超音波診断検査室→放射線科→内科→予約受付→会計→薬局と巡り歩いてこの日の診療から解放されるまでに合計7時間を要した。『元気な人以外は病院に行けない』という冗談は、あながち非現実的ではないかもしれない」と書いてあります。

 急性期をすぎて慢性的な痛みの時期になると、私は「痛みを微分する方法」に気づきました。高校の数学で習った初期のころを思い出してもらえばお分かりのように、「微分」とは「変化率」のことに外なりません。だから、変化のない関数を微分すると「微分係数」つまり「変化率」はゼロになります。同じ強さの痛みがある場合、気持ちの上でそれを微分すると「痛み=0」になるのです。「そんな馬鹿な」とお思いでしょうが、「この状態が普通の状態だ」と受け止めれば、少なくとも痛みを嘆き悲しんで悶々と時を過ごす気持ちからは解放されます。

 

  • 「へーわボケ漫画展」のこと

 来年の9月16日~20日、第10回国際平和博物館会議が京都と広島を舞台に開かれ、吾郷眞一国際平和ミュージアム館長が組織委員長、私が事務局長を務めて準備に当たっています。会期3日目のプログラムは京都国際マンガミュージアムでの「へーわボケ漫画展」の鑑賞と意見交換ですが、「平和ボケ」という世にも珍しい概念のある日本では、ある意味では、社会の平和状況に異変が起こっても痛くも痒くも感じずにボケッとしている状態が起こっています。いわば、私の体が大腸内のピンホールほどの異常にも敏感に反応するような、防衛機構が働かなくなっている危機的な状態です。痛みや不快感を感じるわが身に改めて「オッ!ボケてないな!」と感動・感謝しつつ、「平和友の会」のように平和の問題に鋭敏な人々が息づいていることに心より感謝するこの頃です。痛いときは「痛い」と叫び続けて下さい。