ラジオ 安斎育郎 平和・原発ひとりごと 8月号

平和・原発ひとりごと 8月号

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みなさん、こんにちは。
安斎育郎 平和・原発ひとりごとの時間がやってまいりました。
8月号をお届けします。
今日、録音しているこの日は7月25日で、まだ京都は祇園祭りの最中なんですよね。
今収録しているスタジオから、ちょっと窓の外を見ると、まだ祇園祭の雰囲気を表しているちょうちんが、いっぱいぶら下がっておりましてね。

そういう雰囲気なんですけれども、一方では京都は、日本一暑い都市ということで、この間、38度を超えるような日々がずっと続いて、今、人類生息環境としては非常に厳しい都市ですね。

あまりに暑いので、この前、アメリカ気象局が発表したデータに基づいて気温と湿度で、分類して、まぁいわゆる、体感温度ですね。それを整理して、その体感運温度が54度を超えるような状況になると、極めて危険っていう領域のなのですが、それを図に表してみました。

そして、このところの京都が、どの辺にあるかというと、図の上で表して見てみたら案の定、
極めて厳しいというところに、この10日ほどが入っておりましたね。

「言うまいと思えど今日の寒さかな」

っていう俳句はあるんですけども、この頃の京都では、言うまいと思えど今日の暑さかなということで、なかなか厄介であります。

で、厄介の中で私は世界の平和博物館のネットワークの代表に選出されてしまったのでその仕事も、大わらわ
ですね。

それに加えて、いつもお伝えするように、毎月福島通いを続けていまして、7月5、6、7。

これが、第53回目の福島調査ということになりました。
まぁ、完全ボランティアでやっているんですけれども、できるだけ、福島の被災者たちが、農業を再開したいとか
避難先から戻りたいが、そうそういう時に放射能の面で心配はないだろうか?っていう不安を持っているんですけれども、そういう不安に対応していきたいと思っています。

まあ、この53回というのだいたい、5年間でやっているので、1年間に10回ぐらいの平均で行ってるんですが、1年は12ヶ月あるので、2回足りないのは、真冬の冬があるんで雪がが積もっている時には、雪が積もると、あの地面に積もっている放射能から出てくる放射線が、雪で遮蔽されるので人間の被爆減ってうれしいんですけども、まぁ、実態が分からなくなっちゃうんですよね。

それから夏の暑いときはさすがに地元の人も、福島も暑いんです。38度とか39度になることもあり
ますので、そういう中で、ハードな調査をするのは危険であるということで、まぁ、夏はパスすることもあるんですね。それで、大体年平均して10回ぐらいということなんですね。

この7月6日に、福島市の桜の聖母短期大学、さくらの聖母短期大学、桜の聖母短期大学というところに行って、我々の調査の内容なども踏まえて講義をする機会がありました。
7月6日だから、7月6日に京都を朝早く立てば間に合うですが、普通は。

ご存知の様に、大雨で西日本が鉄道が乱れていて、私が住んでいる宇治市から福島に
行くには、まず何といっても奈良線を使って、京都に出ないといけないんですが、その奈良線が7月6日は、朝から全面運休の見透しであるっていうのを、7月5日の夕食中に知りましてね、で、夕食なんか食べてる場合じゃないって言うんで、やめて、その日のうちに東京まで行って、おこうっていうんで、行ったんですね。

正解でした。

7月6日、なんとかお昼頃に桜の聖母短期大学に到着して、講義を始めたんですが、講義の冒頭にですね、7月6日、今日は何の日っていうのを学生諸君に問いかけたんですね。

1年生2年生合わせて100人ぐらいの、保育科の学生と先生方
将来、保育士になる可能性がある若い女性たちですよね。
さっき言ったように名前が桜の聖母短期大学ということから分かりますように、カトリック系の大学なので抗議の冒頭はですね、いつも「ごきげんよう」で始まるんですね。先生が「ごきげんよう」っていうと、生徒たちもそれに呼応し「てごきげんよう」って返してくるんですね。
ちょっと変わった大学の講義の始まり方でありました。
で、7月6日は何の日ですかって言ったんですけれども、あまりピンと来ない良いようでしたですね。
俵 万智(たわらまち)っていう短歌を読む人がいますけれども、俵 万智(たわらまち)さんが作った短歌で、「この味が、いいねと君が言ったから七月六日はサラダ記念日」って有名な短歌があるんですね。
「この味がいいねと君が言ったから七月六日はサラダ記念日」
だから「7月6日は、サラダ記念日」ってことになってて、これは若い人は知ってるかもしれないと思ったんですが、ほとんど誰も知らなかったですね。

だから、こんなことは知っているはずだという思い込みで講義すると、こっちの伝えたい事が伝わらなかったりするので、改めてそこでなるほど知ってるつもりで、講義を展開すると伝わらなかったりするって事を
改めて感じたところでありました。
まあ、その日は安斎育郎の保育論から始まって、福島が、この放射能で汚染された
あの2011年の直後、福島の保育がちょっと外遊びを禁止するとか、それから散歩はしないとか、そういうことでみんな
家にこもってしまったんですね。その結果、まあ、園児たちが身体を動かして、思う存分自然と戯れて、自然の四季の変化など体で感じ取るそういう感性を磨いていくっていうチャンスが失われたんですね。その結果、子供たちは
運動不足に陥って、福島の子たちは、肥満傾向があり運動能力が全国的に見てもね低下している、そして四季折々に咲く花などを見る機会もないもんですから、そういう四季の変化等に対してする感性の点でも、発達がちょっと障害を受けてるんじゃないかということで、そういう体験を話して、で、いったい福島の放射の環境は、今どうなっているのかっていうことを、53回の調査の結果に基づいたお話で、どうかこの福島の保育に当たる若い人たちは、しっかりと放射能環境の事を学んで、保育をモリモリといきいきと展開して大丈夫な、そういう状況になってきているので
そうして欲しいものだっていう話をしたんですね。

その時ですね、ちょっと変わった話をしたんですが、福島の保育があの原発4事故のあと、縮こまっちゃって
お子さんたちを保育園が預かったんだけども、あまり積極的な保育活動ができないまま外遊びを禁止したり散歩を禁止したり、運動会もこの家の中でやったりということで、縮こまっちゃった。その時、僕はたとえ話で
ワールドカップの予選第3戦の日本チームの戦いぶりみたいになったっていう風に言ったんですね。あの時、最後の何分間か、日本チームは負けていたにもかかわらず、勝つということをあきらめて他の試合会場で行っている試合で、セネガルが負けるならばこの試合、今の状況で負けても決勝をリーグに出られるっていうんで、そういう道を選択したんですね。
居合は負けているんです。にもかかわらず、もう勝つための
そのプレーを止めてですね、パスのまわしで時間つぶしました。
まるで保育園が、あの事故の後ですね、まぁ、ご両親からお子さんを預かって、あまり積極的なことをせずにですね
時が過ぎていくのを待っているだけみたいな、そういう消極的な保育になったっていう内容を表すために、どうもワールドカップ第3戦の日本チームみたいな積極性を欠いて、家にこもった、そういうことになってしまったって言ったんですね。

皆さんは、あの日本のワールドカップ第3戦をどう見たかったわけですが、面白いことに、「よくやった」っていう意見、つまり
決勝リーグに出ることが目的であれば、別にそれがルールで決まってやるのであれば、そういうルールにのっとって、そういう方法を選ぶ事も極めて合理的であって、采配は大したもんだと、割に経営感覚のある人は、そういう評価してみたいですが、一方では「見てて面白くなかった」っていうことで、観客を忘れ勝つことを忘れたあのゲームに対して、批判もあるんですね。

私はどう見ているかっていうと、まあ、ルール違反をしたわけじゃないから、采配で決勝リーグに進出したということ自体については、まあ、そういう面で咎め立てを受ける必要がない。ところが、日本サッカー連盟の行動規範、行動規則っていうのを見てみると、勝つためにプレーするっていうのが、一番最初に出てるんですね。

それなのに勝つことを諦めて、他の会場でやってる試合でまあ、対抗馬のチームの負けることにかけたっていうのは、日本サッカー連盟が掲げている行動規則の第一番目にある「勝つためにプレーする」ということがないがしろにされたのではないかいう感じはどうしてもしますね。

で、日本サッカー連盟だけじゃなくて、世界サッカー連盟の行動基本でもですね、「プレイ・ツゥー・ウィン」一番最初に出てくるのが、「play to win」勝つためにプレーをするということであって、いかなる試合といえども、勝つことがゲームの目的であるって書いてあるんですね。
だから、いいかなる試合であってもですね、勝つためにこそ、ゲームをやらなければいけないっていうのが、まあ、日本のサッカー連盟でも世界のサッカー連盟でも、行動規範の大原則なんですね。
それを念頭に置くとですね、ああいうふうにまぁ、決勝リーグに出るためのルール違反ではない行動の取り方だったとはいいながら、やっぱり、これはですね、そもそもサッカーの精神あるいは、世界サッカー連盟の精神に反するのではないかということでは、大いに批判がありますですね。

まぁ、飲み屋に行ってこういう話題になると、両方の意見があって、いやぁよくやったっていう、いいじゃないかっていう意見もあれば、あれはもう、日本のサムライ精神に反するっていうわけで、喧々諤々、口角泡をとばして、多分ビールを飲む回数が一、二杯増えるという状況が続いています。

おそらく、これは今後とも語り草になると思うんですけれども、一番良くないのは、この問題に触れない、ねっ
ちょっと西野監督に申し訳ないという気分があって、せっかくとにかく決勝リーグまでいった、その采配は全体としては大したものなんだからについては、咎め立てするのはよそうっていうことで、あまりこれは話題にしないということになるとですね、ここから積極的な教訓をみいだして、次の大会方に活かしていくという、そういう心意気がなくなるのではないか?

まあ、そんなことも平和・原発以外に考えている安斎育郎であります。
ではまた、来月お会いしましょう。

ありがとうございました。

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ラジオ 安斎育郎 平和・原発ひとりごと 9月

平和・原発ひとりごと 9月

みなさん、こんにちは安斎育郎 平和・原発ひとりごと、9月号の時間がやってまいりました。
まだ相変わらず暑いんですけれども、いつもこのスタジオに来る時には京阪電車の三条ってとこで降りて、とことこ歩いてくるんですが、その途中で、だいたいコンビニを見つけて、そこでお昼の弁当を買うんですよね。

小さなサンドイッチと、おにぎり、あるいは納豆巻きなんていうのを買って、飲み物にちょっと目に留まるこれで1日の野菜が摂れますなんていうジュースを加えてね。
それで録音を終えて、立命館大学の国際平和ミュージアムて言う所に帰って、そこでお昼をいただくという、そういう日常であります。
このスタジオの側の道には、外国人の観光客なども一番たくさん見られるような、そういう場所で、窓越しにそういう人たちの姿を見ながら今日も話をしたいと思っています。

9月になりましたけども、先月8月は私が関心を抱いている、例えば原水爆禁止運動などが非常に盛り上がる季節なんですね。
8月の初旬にはNHKの京都放送局に頼まれて、市民講座ですね。
そこで京都原爆投下計画についてお話しました。
京都は、原爆投下の第一目標だったっていうのは、案外、京都に住んでおられる方でも知らない人もいるんですが、昭和20年1945年の、結局、8月6日に広島に、そして8月9日に長崎に投下される計画は、8月2日に「センターボード作戦」と言って、第一目標広島、第2目標小倉、第3目標長崎という形で決まったんですが、その一週間ちょっと前までは、京都が第一目標だったんですね。
狙いはどこかというと、京都駅の西1kmの所に行った、梅小路蒸気機関車の車庫ですね。

それから、機関車を、ある線路から別の線路に入れ替える時には、よくお話しするように、中華料理屋の回転テーブル板の上に機関車をのせて、ぐるっと方向を変えて別の線路に乗せてあるその、転車台って言うんですけども。
それが一万メートル上空から原爆を落とす時にも目印としてよく見える、しかも京都盆地のど真ん中だったのものですから、そこが狙われたんですね。
その原爆投下するはずだった場所は、今は京都駅の近くにある鉄道博物館、そこの中に保存されていますので、機会があれば見ていただきたいと思います。

京都への原爆投下は、一度計画に浮かんだり、また消えたり、再び浮上したりという経緯を繰り返して、結局7月の24日頃までに、京都は原爆投下しないってことになったんですね。

軍部には、京都は盆地であって平らであって、原爆の効果を試すのに適してるし、しかも知識人もたくさんいて、この原爆投下が、今、日本が続けている戦争にとって、どういう重大な意味を持つかっていうことも理解されるだろうし、人口も多いしですしね。あるいは、産業もいっぱいあるし、他の都市が爆撃して破壊されるのかで、京都にそういう産業がうつってきたりしてる中で、適地であると判断されていたんですが、(ヘンリー・ルイス・)スティムソン陸軍長官と言う 新婚時代に京都を訪れたことがあるともいわれていますけれども、彼が京都のような古い天皇の都を爆撃したら、日本人の心をアメリカがつかみきれなくなって、ソ連に側に向けてしまうであろうという、そういう戦略的な判断から最終的に京都は外されたんですね。

しかし、原爆投下を予定している町には原爆投下を純粋に調べるために、あらかじめ爆撃を禁止していたんですね。
京都のもそうでしたけれども、原爆投下計画がなくなった後も、京都は爆撃が禁止されていたために馬町、今の京都女子大学がある辺りの方、馬町付近に限定的な空爆があって死傷者も出ましたけれども、東京とか大阪のような一面焼け野原になるというような、大規模な爆撃はなかったその背景に原爆投下計画があったっていうことなんですね。
それを8月初旬に公演した後8月6日にはいつものように広島の爆撃の記念日ですけれども、原水爆禁止世界大会ってのは広島で開かれておりそこに参りました。
ちょうどその8月6日付で、新しい著書を「核兵器禁止条約を使いこなす」っていう共著で書いた著書が出版されたもんですから、その宣伝販売もかねて原水爆禁止世界大会に行って、売り子をやりました。
わりに短時間の間に100冊完売してきたんですけれども、その事を後に広島長崎の原爆資料館の館長などに、お知らせしたところ、原爆資料館平和記念資料館ていいますけども、この加藤周一副館長から、まあ、京都原爆投下計画について京都でNHKで話したそうだけれども、内容に関心があるということでしたので、その資料をお送りしました。
まあ、京都が爆撃の対象になったり、消えてみたり、また再浮上したりそういう詳しい経過について知って、勉強になったという感想を後で頂きました。
なかなか、原爆あるいは平和に関心を持ち、それを業としてやっているような方でも、なかなか京都の原爆計画の詳細については知られていないっていうのが現状かもしれませんね。

京都市民は今、向こうして多くの観光客が来る世界的な古都をとしての京都、その歴史の背景に、原爆で焼け野原になるかもしれなかったという、そういう歴史があったっていうことを、しっかりと認識することも必要ではないかと思います。
そうこうしてるうちに、今度は長崎の原爆資料館の中村彰利館長からメールがやってきました。
ちょっと変わったメールだったんですね。
何かって言うと、中村彰利館長は、また青来有一さんという芥川賞作家なんですよね。
今度、新しい「すばる」っていうのの9月号にある小説を発表したので、機会があれば読んでほしいという、そういうご案内だったんですね。
どんな小説家って言うと、「フェイクコメディ」という名前の、まぁ、喜劇めいた書き方で、原爆あるいは、現在の核兵器が持っている深刻な内容について、解き明かすような、そういう小説だったんですね。
「フェイクコメディ」という名前から、ビビっとくる人がいるかもしれませんが、「フェイク」ってことはよくトランプ大統領が使っていることばですよね。
実はこの小説はですね、金正恩朝鮮労働党の責任者と、トランプ大統領がシンガポールで会談をする直前に、トランプ大統領がお忍びで、長崎原爆資料館を訪れたっていう、現実とは違う仮定に基づいて、そこでトランプ大統領がこの中村館長を翻弄する話として、コメディ仕立てで作られているんですけども、その中でも核兵器を持ってる国の大統領っていうのは、今の核兵器についてどんなに意見を持ってるのかっていうのことが、まあ面白くも、また恐ろしくも描かれているような、そういうものであります。
集英社の「すばる」9月号ってのを読む機会があったら 「フェイクコメディ」 セイライユウイチっていうのは、青来ていう字を書くので、アオキって読みそうになるんですけども、セイライと読みますから、「セーラームーンからとったんじゃないか?」とかいう勝手な噂が流れ、本人は違うとこ言ってるんですけども、なかなか面白いコメディになってますので、お読みいただくとありがたいですね。
同じ集英社から「小説すばる」っているのも出ているんですが、そっちじゃなくて「すばる」の9月号っていうのが書店に並んでいると思います。

そんなことで夏もですね核兵器絡みで、いくつか思い出に残るようなそういう経験をしたんですけども、まあ、この暑い夏、働いてばかりいてはいけないって言うんで、孫と石川県の羽咋(はくい)ってところにあるコスモアイル航空宇宙博物館にも、ちょっと一泊で行ってきました。
サンダーバードって言う特急で行くんですが、雨が降ると止まり、風が吹くと止まりで、なかなか厄介で、前の日は完全に運休してたんですが、たまたま予定した日は10分ぐらいの遅れで。
羽咋(はくい)っていう街に行ってきました。
羽咋(はくい)のクイっていう字は、昨日昨日の意味する昨日の昨っていう字の、左側が日じゃなくて、口になっている珍しい漢字で、羽咋の街を表す時以外は使わないような気がしますが、これは食べるって意味なんですね。
羽咋というのは、大国主命が悪者を退治しようとして、たくさんの弓矢用意しておいたら、その矢の羽を、ネズミが食った羽を食ったっていうところから、そういう名前がついたんだっていう言い伝えがありますけども。
そこに面白いことに、航空宇宙博物館がある。
昔はですね、ちょっと怪しげな「UFOの博物館」だったんですね。
私もテレビ番組の関係でそこへ行って、批判したりしたんですが、その後、羽咋の街が全面的に回収に乗り出して、アメリカやソ連から月面着陸などした実物の飛行隊を購入したりなんかして、今はそれなりの航空科学博物館になってます。
航空科学博物館としてのコスモアイルと、傍らにある怪しげなUFOの展示とのミスマッチといいますかね、それもちょっと面白いとこですけども、孫が喜んでそれを見ておりました。
そんなことで結構忙しい8月を過ごしましたけども、9月も実は、これから大きいのはこのは、後すぐ沖縄で平和のための博物館市民ネットワークの全国交流会が開かれたり、あるいはその翌日には沖縄からも、1日で取って返してくるんですけども、立命館の国際平和ミュージアムで、原爆忌全国俳句大会原爆とか平和を主題にした俳句の大会、その実行委員長のもんですからそこに帰ってきて、それもお世話をしなければいけないって、引き続き暑い中で奮闘しますけれども、まあ、このラジオ局はFM79.7メガヘルツという波長を使ってるんですが、79.7 ていう周波数は、ナクナとも読めるよね。
辛かろうが、苦しかろうが、泣かずに今後も頑張って、福島での原発の調査も含めて、これから78歳。いつも調子がいいとは限りませんけれども、頑張っていきたいと思っています。

皆さんもどうか、残暑が厳しいと言われてますので、それに負けないように泣くなっていうことでね、それなりに頑張っていただければ、また来月お会いしたいと思います。

さようなら。

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安斎育郎・しりあがり寿さん・安齋肇さん 3人展 舞鶴市

展示のおしらせです

舞鶴市のアートスペース973において7月20日から26日まで、安斎育郎・しりあがり寿さん・安齋肇さん 3人展が開催されます。

期間:平成30年7月20日(金曜日)から7月26日(木曜日)

開催場所:アートスペース973
住所:京都府舞鶴市森973‐1
白鳥通り大森神社参道入り口

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ラジオ 安斎育郎 平和・原発ひとりごと 7月4日

FM79.7MHz京都三条ラジオカフェ · 市民が主役の放送局

番組音声ファイルはこちらです.

安斎育郎 平和・原発ひとりごと

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ラジオ 安斎育郎 平和・原発ひとりごと「特別号」6月6日(水)

FM79.7MHz京都三条ラジオカフェ · 市民が主役の放送局

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安斎育郎 平和・原発ひとりごと

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おはなし:
「日大アメフト部の学生選手の抑圧体制から、45年前の安斎育郎の学生時代の弾圧・抑圧1972年-1979年をふりかえる。」
「福島 報告 えごま栽培」
など

 

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ラジオ 安斎育郎 平和・原発ひとりごと

京都三条ラジオカフェ 「安斎育郎 平和・原発ひとりごと」2018年5月2日オンエアー

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ラジオ 安斎育郎 平和・原発ひとりごと

京都三条ラジオカフェ
「安斎育郎 平和・原発ひとりごと」
4月4日オンエアー

2018-4-4OA

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安齋肇、しりあがり寿、安齋育郎 三人展

みなさま、2018年4月14日(土曜日)から21日(土曜日)まで、アートディレクター・イラストレーター・映画監督の安齋肇さん、漫画家しりあがり寿さん(有限会社さるやまハゲの助代表)のお二方とともに、安斎育郎が三人展をいたします。

場所は、JARFO京都画廊です。
前回、同じくJARFO京都画廊において、安齋肇さんと共同開催した安斎育郎絵手紙展での、しりあがり寿さんも交えてのトークのなかでの申し出も、ご縁となり三人展となりました。

安斎育郎は、「絵手紙屋Anzai」コーナー、「だまし屋Anzai」コーナー、「原発・核問題Anzai」展示コーナーで構成します。

開催期間
4月14日(土曜日)-21日(土曜日)
11:00~18:00

JARFO京都画廊
〒602-0841 京都市上京区河原町通り今出川下る梶井町448-17河原町トウキュウビル1階
TEL / FAX 075-255-1308

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安斎育郎 平和・原発ひとりごと ラジオカフェ 2018年1月3日

平和・原発ひとりごと ラジオカフェ
平和・原発ひとりごと ラジオカフェ

1月3日放送 ダウンロードは、こちらから

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「ノーベル平和センター」と協力しました

2017年10月6日、今年のノーベル平和賞がICANに授与されることが発表されました。ICANについて は10月号の本欄でも紹介しました。この原稿は、まさに授賞式の直前に書いています。
授賞発表の翌日、平和のための博物館国際ネットワーク(INMP)理事であるノーベル平和センター のLiv Astrid Sverdrup(リヴ・アストリド・スヴェルドルプ)さんからINMP役員にメールがあり、ノーベル平和賞授賞式の翌日(12月11日)から同センターで始まるICAN受賞にまつわる長期展示(2018年 11月まで展示)に協力して欲しい旨の要請がありました。
ノーベル平和センターでは、今年のノーベル平和賞受賞者についての手時の準備を始めつつありま す。展示会は12月11日から始まります。何か展示で使えるものについてのご示唆についてお聞きしたいとおもいます。とりわけ、広島・長崎の原爆被災者とどうすればコンタクトがとれるか、情報が頂ければ 大変有難いです。また、原爆投下以降保存されている物資料についても関心をもっています」
この要請を受けて、INMP執行理事である山根和代さん(立命館大学国際平和ミュージアム・前副館長 )は、さっそく広島で被爆されたご尊父の体験や被爆2世としてのご自身の体験を踏まえた詩、被爆者 の証言DVD、ヒバクシャのピースマスクの展示、峠三吉や栗原貞子の詩、丸木位里・俊夫妻の「原爆の 図」、ヒバクシャが描いた絵、原爆についての漫画など、多くのアイデアを伝えました。
私 安斎も INMP諮問委員として、また 立命館大学国際平和ミュージアムの関係者である立ち場か ら、ミュージアムの学芸員情報を踏まえて、収蔵する被爆資料を紹介するとともに 広島平和記念資料 館および長崎原爆資料館とのコンタクト情報を送りました。また、どうせなら、立命館の資料だけでな く広島・長崎からも借り出した方がいいと思いましたので、さっそく10月19・20日に広島平和記念資料 館、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念資料館、長崎原爆資料館を訪れ、館長・副館長らにノーベル平和センターの展示企画への協力を要請しました。 博物館の収蔵物の貸し借りは、実は、手続きといい輸送料といい、非常に大変です。リヴさんは国際 平和ミュージアムの被爆学生服にぞっこん惚れ込み、ぜひ借り出したい思いは強くありましたが、何しろ往復の輸送費用だけでも150万円ぐらいかかりますし、貸し出した相手の展示環境についてもかなり 厳密にチェックが入りますので、「日本から被爆資料を借りだすのは諦めよう」と心が揺らぎました。 貸出し条件は交渉事項として残し、心に訴えかける被爆資料はノーベル平和センターの展示にとって極 めて重要かつ有効だから、「そんなこと言わないで日本に来なさい」と、こちらも強く働きかけました 。
 11月15日、ついにリヴさんが来日、被爆学生服は諦めたものの、結局京都と広島を訪れて合計5点の 被爆資料(立命館の「弁当箱」、広島の「防空頭巾」と「かばん」、長崎の「ロザリオ」と「腕時計 」)を借り出すことが出来ました。リヴさんの在日可能日数に限りがあるため、広島までは行けるが長 崎には行く時間がないということで、長崎原爆資料館の松尾隆課長自ら被爆展示物を携えて広島平和記 念資料館に届けて頂きました。リヴさんは大変喜んで、自ら空路でノルウェイに持ち帰りました 実に 、山根さんは、リヴさんの関空到着の11月15日から離日の11月18日まで、リヴさんが目的以外のこと に一切気を遣わなくていいように「徹底的に」アテンドしました。『きけわだつみのこえ』の編集を担 った中村克郎さんを父に持つ中村はるねさん(産婦人科医)が多額の資金援助を寄せて頂き、山根さん や私の広島─京都間の移動費用などに充当することができました。大変助かりました。  今回の協力関係はINMPを通じて可能となったものであり、国境をこえた平和博物館のネットワーク の有用性、重要性が改めて確認されました。INMP理事のクライヴ・バレットさん(イギリス)からも 、「INMPがこのように機能しているのは嬉しいことだ」というコメントが送られてきました。INMPは いま組織・財政などの抜本的改革が求められており、私も「戦略グループ」の一員としてその改革を担 いつつあります。INMPの運営形態がどうなるにせよ、今後、世界の平和博物館のネットワーキングを 一層発展させ、こうした平和博物館どうしの協力関係を国境を超えて発展させることは基本政策の中核 に位置づけられるべきことでしょう 11月17日、広島平和記念資料館で、リヴさん、山根さん、広島平 和祈念資料館の加藤秀一副館長、長崎原爆資料館の松尾隆課長、そして私などが一堂に会し、調整のための打ち合わせを行ないました。その席で私は、「INMPは創設から25年たち、その間、イギリス・ブ ラッドフォード大学のピーター・ヴァン・デン・デュンゲン氏が統括コーディネータとしての役割にな ってきたが、2017年4月の第9回国際平和博物館会議(ベルファスト)を機に第一線から退いた。INMP は現在統括コーディネータ不在の不正常な事態が続いており、われわれに魅力的な将来を提案する仕事 が委ねられているが、どうなるにせよ、こうした平和博物館どうしの収蔵品の相互提供のような活動は 強められるべきだと信じる。1940年生まれの喜寿の老骨は大したことは出来ないだろうが、もう少し努 力してみたい」という趣旨のことを述べました。
 12月11日から2018年11月までの11か月間、日本の平和博物館が大切に保存してきた被爆資料が、オスロのノーベル平和センターの展示室で若い来館者たちを含む来館者に核兵器の非人道性を訴えかけま す。ノルウェイの子どもたちも弁当箱(ランチ・ボックス)にサンドイッチなどを入れて学校に行くの で、立命館から貸し出した「被曝弁当箱」は若い来館者の感性に訴えかけ、ICAN受賞の背景にある核兵 器の非人道性を考えるための「小さいが大切な」展示物になると期待しています。

山根さん、リヴさん、安斎(国際平和ミュージアムにて)

原爆投下時間で止まったままの長崎の被爆腕時計(毎日新聞、2017年11月18日)

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