ラジオ番組:平和・原発・ひとりごと 2019年11月号

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皆さんこんにちは、安斎育郎平和原発独りごと十一月号の時間がやってまいりました。
十一月というと十二進法の世界ではおしまいの一歩手前んですね。まあ今年も、もうおしまいの一歩手前まできたってわけですね。

人間はこれまで面白いことに大体指が10本あることが基本になって十進法ってのが発達してきて、今基本は十進法ですけれども一年が十二カ月であるということで十二進法っていうのも広く歴史上使われて今日に至ってますね。
もう一カ月で年の暮れだと思うとちょっとあわただしい気がいたしますけれども。

先月を振り返ってみると台風による水害がものすごい深刻な被害をもたらした月でしたね。
河野太郎さんっていう防衛大臣が演説の中で自分が地元では雨男と言われていて、自分が防衛大臣に就任してから既に三つ台風が来たって言って、出席者の笑いを取ったんだけれども、そのことが批判の対象になってね。
翌日、謝罪をしておりました。

もちろん台風は特定の人間が雨男とか雨女とかそういうことによって発生したり日本列島に襲い掛かったりするわけではなくて、これは世界的な気象の条件によってそういう現象が起こる。
特にそこに人間の生産活動、二酸化炭素など大量に生産活動によって気候変動が起こって、それが台風の発生あるいは発生した台風の勢い猛烈な台風とかよく言いますけども、そういうことにも影響してるのではないかっていう、かなり深刻な問題も含まれている中で自分が、雨男であるということを引き合いに出して三回の台風が来たと、しかもそのたびに自分が統括している自衛隊が支援のために活躍したってようなことを紹介する流れの演説はいかがなものかっていう気は確かにいたしますよね。
私はですね、もう自衛隊災害出動で活躍しているありさまは、それなりに見聞きしてしておりますので、いっそのことを自衛隊というのを、憲法上の問題もある存在なんですが、これをいっそのことを災害救助隊というふうにして、災害救助の専門部隊にした方が遥かにいいと思っているんですね。
それで防衛省っていうのも私がもし内閣総理大臣だったら平和省にするっていう政策なんですけれども。

あるいは防災省の方がいいという人もいるかもしれませんけれども。

とにかく日本が戦争に備えるのではなくてですね、この間戦争で亡くなった日本人というのはほとんど皆無なんですが、災害で亡くなった日本人というのは大震災含めて何万人といるんですよね。
だから、この国は戦争に備えてアメリカの戦闘機を一兆円も金をかけて買うっていうんじゃなくって、この国のやっぱり防災の手立てを強化するためにですね、あるいは防災の教育や実際身を守る手段を普及するためにそれ相応のお金を使ってですね防災立国にもっとてした方がいいと思っています。
そのためには自衛隊の軍隊がなくって大後なのかって議論をする人もいますけども、日本が憎まれたり恨まれたりすることのない、愛され尊敬され敬意を表され訪れてみたくなるような平和な国日本であるってとことをもっとおおいに世界的に広めてですね、平和に力を入れるそういう国で国連平和大学なんてのも日本に招いてもっともっと日本が平和に貢献している戦争はもともと憲法上やらないことになって放棄したことになってんだから、平和な国日本としてるんで防衛省を平和省にして自衛隊を災害救助隊にする。
もちろんこの国は海に囲まれてるので外的な外から来る可能性があるっていうことであれば、海上自衛隊や海上保安庁の一部を国境警備隊として再編して国の警備にあたる。それ軍隊じゃなくて警察部隊ですけれども、そういう形でこの国の平和的な外交安全保障政策を組み立て直した方がいいんじゃないかっていうことも、河野太郎さんの演説を聞きながら再び考えていたところですが、この問題はたいそう重要な問題なので、あらためて語ることにしたいと思いますね。

さて十月私は何をしていたかっていうとこれまたたいそう忙しい月でありましたけれども、福島の調査に二回行っておりました。
私は二千十一年の三月十一日に震災に基づいて原発事故が起こって以来ずっと福島通い続けて、二千十三年の五月からは福島プロジェクトっていうプロジェクトを仲間といっしょに組んで、ほぼ毎月二泊三日で福島に行って農民や学校の生徒たち、保育園の園児たちその安全を守るためにですね、放射線防護学という放射能の専門家としてやれることをずっと続けております。

二千十三年の五月に福島プロジェクト立ち上げてから今日まで二六年半経っていますけども。
合計福島に行った回数が次へ二三千葉に帰ってきたんですが六十五回目でしたで六年半で六十五回ってことから大体一年間に十回、二月の雪の降る時期は地面に放射能が積もっているんですがその上に雪がかぶさると人間にとってはありがたいことに放射線が少なくなるんですけども測定する側にとっての実態がよくわからなくなるので二月数は概ねパスですね。
それから八月はやっぱり福島も酷暑ですので、案内する人々も大変なので八月はむしろ原水爆禁止運動など広島や長崎に出ることが多くてそれをパスするとやっぱり一年間大体十回ってことになるんですが、先月10月は二回行っておりました。十九、二十、二十一と行って、一週間後の二十五、二十六ともう一回行ったんですね。

ご承知の通りに台風が、猛烈な台風がやってきて十月十二、十三日のころに日本列島にものすごい被害をもたらしたんですね。千葉県とか福島県が大変でした。特に福島県は大変で亡くなった人が三十人、全国一多かったんですね阿武隈川が氾濫したりあるいはいわき市のように水道施設が使えなくなったりして、今でもたくさんの人が避難していてそこにノロウイルスの影響が広がりつつあるってなこともあってなかなか大変な状況でした。

その中でエゴマ農家、浜通りって太平洋に面した浪江っていう原発に割に近いところですが、そこでエゴマを栽培。
シソ科の植物でごまの一種のエゴマってのが取れて、とっても健康に良いと言われてるんものですけど、これでエゴマのオイルを作ったり、ドレッシングを作ったりジャムを作ったり、いろんなことをやってるんですが、それの栽培をしている畑が放射能で汚染されているってんで、その調査で行ったんですね。

畑の土には測ってみると放射能があるんです。

しかし、驚くべきことに放射能が一番高い場所でエゴマの栽培を試験的にやってましたけれども、そこで栽培されたエゴマを収穫して測ってみたところ、エゴマの根っこにも茎にも葉にも実にも検出されないんですよね。福島の土の特徴でして福島の土は層構造を成していて、その層と層の間にセシウム百三十七って放射性物質が重点的に吸着されて離れないんですね。

だから土の中にそれが仮にあったとしても、そこに水を張って植物を育てても、その放射能が水に溶けてこないのでそこで栽培した植物にはほとんど全く放射能が吸い上げられることがないですね。

したがって、放射線防護学的にはこれで大丈夫っていうお墨付きを出すことができるんですけれども、社会的にはですね、風評被害っていうのはやっぱりあって、福島から離れた東京その他の都会でも福島の野菜など売ってますけども、畑は汚染しされてるけれども、野菜は汚染されていないということで、納得する人と納得しない人がいるんです、やっぱりね。

実際に口に入る野菜には放射能が検出されてないんだから、それはそれで科学的には他の畑で栽培したものと全く同じ扱いをして構わないので、それは理解ができるんでしょうけれども、やっぱり畑の土の中に放射能が残っているってことが何となく気持ち悪さ、気味悪さを残していてですね。

やっぱり福島産の野菜と、例えば大分産の野菜と並んでいれば原発事故がなかった大分のほうの野菜を選びがちであるってことで、福島の生産者たちは一生懸命管理をして放射能の監視をして世界で一番福島の農産物ってのは放射能のチェックが厳しいところですが、そこで生産したものでも原発事故の経験をしてしまったという、そのことが科学とは別に心理的な影響を与えているんですね。そのために福島の人は懸命に、農作業にいそしんでですね。放射能の入っていない物を作ってるにも関わらず都市部にそれを出荷するときには買い叩かれるんですよね。
農産物と全く同じ遜色のないあるいは、おいしいものもあるんですけれども、福島産であるということだけで買い叩かれるようなことが起こるんですね。私の放射線防護学者として放射線の面で大丈夫ですよというお墨付きを与えたものについては、風評によって、福島産だからという理由だけによって、それを買い控えるってことが無いように、そして、そのことこそが福島の農民たちを励まし復興の助けをすることであるっていうふうに思っています。

今ですねエゴマの油を使って何をやろうかってんで、いろいろ考えてるんですが、ごく最近思いついたのは、ハロウィーンランタンですね。小さいかぼちゃランタンの中にエゴマの油で灯りをとって、それで楽しもうということで、来年のハロウィーンには、エゴマのハロウィーンランタンを世に出したいと思っておりますので、それで見つけたらぜひ使って楽しんでいただければいいと思います。もちろん災害の時にもそれで灯りをとったりで使えるようなものとして今、工夫をしつつありますので、ぜひ来年のこの時期ですね。
登場するかもしれないので、楽しみにお待ちいただきたいと思います。

ではまた来月お会いしましょう、さようなら。

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ラジオ番組:平和・原発・ひとりごと 2020年2月号

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こんにちは。安斎育郎 平和 原発ひとりごと 2月号を届けしたいと思います。

世界で今一番話題になってることの1つが新型コロナウイルスによる肺炎が急速に拡大してるように見えるんですね。

実は僕は今日から一週間後に、重慶という武漢の隣りの町に平和ツアーにアテンドすることになっていたんです。

「安斎育郎先生同行 重慶 無差別爆撃平和ツアー」という長い名前のツアーだったけども、日本軍が1937年昭和10年から数年に渡って重慶という町を無差別爆撃した歴史があるのです。

その後を追いながらですね、無差別爆撃というのは、戦争中に最後に起こった広島、長崎に至る無差別爆撃の歴史を辿って戦争というものの非人道性それを改めて考えようということで既に昨年の11月にこの旅行の準備として、東京に行く予定の人に集まってもらって東京大空襲戦災資料センターというところで学習講演会もやったんです。

もう、このツアーに行く人も決まっておりました。その延長線上で7月にはドレスデンといういうドイツのこれまたに差別爆撃をソ連軍によってうけた町、それからゲルニカというスペインの町です。

これは1937年に無差別爆撃受けた歴史上最初の無差別爆撃の町ですけれども、そこも訪れる旅も予定されているんですが、とにかく新型コロナウイルスの肺炎が急速に広がってきたもんですから、旅行会社も判断して2月13日から二予定されていたその旅行は無期限延期ということにしたんです。

ちょっと見くびったといいますか、このコロナウイルスの影響力っていうのの拡大のスピードも思ったよりもずっと早くて死者も既に百人を超えている訳ですけども。

これからどうするのかピークは4月から5月だっていうんですね。

今まだ2月ですけども、もう2、3か月後に、このコロナウイルスの影響がピークを迎えるだろうというんですね。

東京オリンピックの直前です。

そうするとたくさんの人にそれが拡がって、いったん収まったかと思うと第二波が下手をすると9月10月頃になってやってくるかもしれないようなことを言われてるので、ちょっとオリンピック期間中も気を抜けない、そういう状況です。

厄介なことに私は、9月に国際平和博物館会議という国際会議を京都で開く責任者を勤めています。

そのころ、台風シーズンでもあるんですけれども、それよりも世界の人々にとっては、日本に行って大丈夫かしら?という、そういう不安の中で国際会議を成功に導くにはどうしたらいいかということを、ちょっと悩ましいこの頃であります。

そういう悩ましさを一方に抱えながら、昨年の年末から今年の年初に、久しぶりに家に居られたものですから、一計を案じて我が家の塀の色塗り変えた。今までは、深い緑色で、これが孫が決めた色だったんですけれども、深い緑色で、それ自身大変珍しい色の塀でしたけれども。

今度は孫に何色にしたらいいか提案してもらったら、黄色って言うんですね。

これまた、凄い色ですね。

御近所見まして、黄色い塀なんてありゃしませんけども、黄色に塗ったんです。

11月だったかな。

それでそこに絵を描くつもりでいたんですよね。

12月の暮れから年の初めにかけて家に居られたものですから、ここぞとばかりその絵を描こうというんですけれども、何を描こうと思っていたかと言うと僕の構想ではですね、トナカイのそりでサンタクロースがやってきて、僕は宇治に住んでるんですけれども、宇治のヒロインとも言うべき紫式部の源氏物語を書いた紫式部ね・・・十二単を着た紫式部にプレゼントを渡しているという、東西文化交流の絵を描こうと思って

虎視眈々と機会を狙っていたんですが、家族に話したらあまりにも珍奇に過ぎると、反対をよびましてね。

それでちょっと構想を変えなきゃいけなくなって、結局何にしたかと言うと昨年のラグビー人気にあやかって鳥獣戯画・・・ラグビーをやる鳥獣戯画を描こうということにしてですね。

結局、ウサギさんチームとカエルさんチームがラグビーをやってるという絵を描くことにしたんですね。

で、これは私には魂胆があって、ウサギさんチームとカエルさんチームをなぜ選んだか、鳥獣戯画というのは、御承知だと思いますけども平安時代の後期から鎌倉時代の前期にかけて描かれた京都の僧侶たちよって多分、鳥人僧正が描いたと歴史の本によっては書いてあるんですけども確証はなくて、何人かの絵の達者なお坊さん達が描いたんじゃないかということです。

そこにはウサギとカエルだけじゃなくて、鹿とか猿とか、龍とか色々、空想上の動物とかを含めていっぱい出てくるんですね。

そんなの中からわざわざ私がウサギとカエルを選んだのには訳があって、因幡の白兎は御存じですかね。

オオクノヌシノミコトという神様が傷付いた因幡の白ウサギを救う物語ですね。

神様に救われたウサギさんということをちなみにしてウサギさんは神様チームの象徴ということにしたんですね。

一方カエルさんは何か、奈良に金峯山寺というお寺があります。

金色の金に山の峰という字を書いて山と寺。それで、金峯山寺というんですけれども。

ここに伝わるの話でありまして仏教をないがしろにした為にカエルにされてしまった人間これが結局、佛法の力で金峯山寺で人間に戻してもらえたという、そういう物語があって今でも金峯山寺ではカエル祭りなんていうをやってるんですけども。

この伝承されているお話に因んで、カエルさんは仏教チームを象徴してるものとして、だからカエルさん対ウサギさんのは、

仏教対神道、神様対仏様のラグビーということにしたんですね。

それでラグビーというゲームは、激しいゲームだけども、ちゃんとしたルールがあってそれを守りながらみんなで楽しむんですね。

そして、この塀はですね、合計するとずっと7、8メートル。10メートル近くあるんです。

ラグビーをやった後、ノーサイドといって、試合終了の後には、ウサギさんとカエルさんが協力して餅つきをしている姿を描きましてね。

で、その後このカエルさんウサギさんがカラオケを楽しんで、宴会をやって、最後は結婚式をあげるというストーリーの漫画を塀に描いたんです。

ずっと。

だから、仏教と神道が仲良くしてもらいたいという、そういう思いで描いたんです。

この2020年はちょっと厄介なことに中東方面でただならぬ対立模様が伝えられていて、大丈夫かなと思った危機一髪の瞬間を体験したんですけれども。

2020年が平和であってほしい。

実は日本は神様と仏様で、とっても仲良かったんですよね。

神仏習合と言って、神と仏は同じものの別の現われ方だという考え方が基本になって別に神様と仏様で喧嘩してこなかったんです、この国ではね。

だから、僕は毎月福島に調査に行っていますけども。

お宅に伺うと、神棚と、仏壇が仲良く並んでいて何の違和感もないんですね。

ところが

明治になってから明治政府が神道、神をこの国の中心的な宗教の主に置いたんですね。

そして明治5年には、廃仏毀釈運動と言って仏様をみんな、例えば仏像のだと首をちょん切るとかね、そういう手荒なことをやって、仏教を敵として、国家神道を築いてそこに天皇制を重ねて天皇陛下を現人神といって、現在生きている神様だということにして天皇陛下の為に命を投げ出しても戦争で戦うような体制が築かれていったので神と仏が、一時的にそういう風に国家の後押しによって一時的に仲たがいさせられてしまった歴史は、二度と繰り返してもらいたくないっていう思いがあって神様チームのと、仏様チームが、仲良くラグビーに興じた後、お互いに餅をついたり、カラオケを楽しんだり宴会をしたりして、ついには結婚するに至るという物語を塀に書いたんですね。

とても面白かったのは寒かったですけども、寒風吹きすさぶ中でペンキで、ちょっとざらざらした表面の塀に描くので、描きにくいことこの上なかったですけども。

描いてるとですね、近所の人々が声を掛けてくれるんですよね。

面白いですねとかこれは、何の絵ですかとか言ってくれて、一年に一回ぐらいしか会話をかわさないひとですとかを含めて随分会話を楽しむことができました。

それで、気心も通じたように思います。

後に京都民報という新聞に我が家の塀のことがニュースとして報道されましてね。

わざわざ塀を見学する人が最近現われたりしてています。

正月に寒い中でこの絵を描いて、それで結構大変だったけれども、ご近所集との会話も成りたったし、みんなに楽しんでもらって散歩中の人が見ながら、うちの孫も連れてこようとか、ということで楽しんでもらってるようです。

で 、この 壁画そのものには、これは神と仏を融合することを願っての、現代鳥獣戯画であるということは、一言も書いていないので見る人はカエルとウサギが遊んでるという風にしか見えないかもしれないけれども、実は奥深いわけがそこにはある。潜んでいるのですよね。

で元々描く予定だった、トナカイのサンタクロースが紫式部にプレゼントを渡すというのは、東西文化交流のために描くつもりでいたんですけれども今度描いた絵は、東西文化交流とよりも宗教対立のようなことを起こさずに、日本が平和であってほしい、特に2020年はオリンピックを含めて平和の祭典と言われているのがある中で、やはり国と国、宗教と宗教が対立するような、そういうことを無くしてお互いに理解をして、お互いを尊敬しながら存在を認めあって楽しく平和的に暮らしたいものだとそういう思いを重ねて描いた一幕でありました。

という訳で また来月お会いしましょう。

ありがとうございました。

カテゴリー: 原発関連

ラジオ番組:平和・原発・ひとりごと 2020年1月号

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あけましておめでとうございます。

安斎育郎 平和原発ひとりごと

2020年もよろしくお願いいたします。

我々新年の挨拶には必ず「あけましておめでとうございます」と言いますけれども。

もの開けると自動的にめでたいという訳じゃないことは言うまでもないことで我々が時代の新しいドアーを開ければ、めでたいこともあるだろうということですね。

ちょっと考えてみると2019年振りかえっても、めでたいことばかりではなかった訳です。

どうもこの国の現在の政治や行政のあり方を見ていても、めでたくないことがたくさんある2019年の後半には、首相が主催する桜を見る会の事実関係をめぐって、随分紛糾しました。事実を認めるところからしか正しい政治になり行政なりは、始めようがないと思いますけれども、事実関係を確認することさえもできない事態が長い間続きました。

この国の政治行政のあり方についてはかねて平和の分野に身を置くものとしても、事実との付き合い方が大丈夫なのかどうかという心配をずっと感じておりました。

私は今、立命館大学国際平和ミュージアムという平和博物館の終身名誉館長をやっておりますけども、平和博物館は過去と誠実に向き合う、過去と誠実に向き合うというのが基本姿勢であるべきだということで、立命館大学の国際平和ミュージアムは戦争の問題を論じる場合にも戦争によって日本国民を受けた被害の事実だけではなくて、日本がアジア諸国に対して派遣した軍隊がどういう加害行為を行なったか、そんなことは、あってほしくなかったと思うけれども実際に起こった事実に対しては、誠実に向き合うということで平和ミュージアムには被害の事実に加えて、加害の事実についても、それなりの展示をしてあるんです。

そういう面で言いますとやはり事実と誠実に向き合うということはとてもこれから先の議論を過去の過ちなりあるいはしでかした失敗なり、そういうものを踏まえてあなたに平和な世界として切り開いていく為にも是が非でも必要なことだとおもうんですけども。

それが我々の目の前で展開されている現代史、政治や行政のあり方の中で事実に向き合おうとしない、そういう自体があるとすればそれに対してはやはり危機感を持たなければいけないでしょうし、そういう政治や行政を行なっている人達に対しては、それは違うのではないかというメッセージをやっぱり鋭く提起していく必要があるだろうともんです。

自分達にとって都合の悪いうことが起こるともうそれはなかったことにしたり、あるいはそれがあったはずだという事実を示しなさいと言っても消してしまいしたとか、忘れてしまいましたとか、あるいは場合によっては公文書を改善するというような形で、そういう事実関係を認めようとない、そういうことをやれば当然のことながら行政の担当者の中には責任を感じてあるいは、忖度のあまり、ストレスにまみれて自ら死を選び取ったような人もこの間、出たんですけれども深刻な命にかかわるような問題が起こっても過去に会った事実にについて素直に認めよとしない。これはもう政治行政のあり方の根本においてとても危険なことが起こっている言わなければいけないと思います。

どうも最近見ていると人びとが、もうそういうことに慣れっこになってしまって、あまり憤りを感じたり今の政治行政改めるべきだというふうに決意したりそういうことが少なくなったと言われているんです。

2020年は新たな年として迎えて是非そういう問題についても国民的な力を発揮して、過ちは正していくという方向に進みたいものだと思います。

今年は2020年。元号で言うと令和2年ですね。

日本の皇記いという、天皇の神武天皇から始まったこの記年の方法によると、今年は二千六百八十年なです。何でそんなことを知っているかと言うと私は千九百四十年昭和十五年皇記二千六百年の生まれなので、今年が皇記何年かということを言う為には、二千六百という数字に自分の年齢を例えば良いんです。今年八十歳になるので二千六百八十年だったの分かるんです。

二千二十年、令和二年、二千六百八十八年、2がたくさん出てくる年。去年の終わりに開かれた忘年会で国際平和ミュージアムの人々に最後に挨拶しなさいと言われたので言ったんですけど、2にゆかりのある年である。2のことを、符牒で何というか?色々な業界で数字を表わす符牒てのがあるのですね。

それはお寿司屋さんの業界とか、あるいは飲み屋さんの業界とか、あるいは泥棒の業界とか数字をストレートに言わずに暗号で言うんです。

2のことをステッキっていったりですね。その中に2を「アヒル」っていう符牒があるんですね。

おわかりのように、「アヒル」の絵を描くと、ちょっと2という字になるという訳で「アヒル」いう訳ですけども。

アヒルという鳥は1年に150個から200個ぐらい、鶏の卵よりちょっと大きめな卵を生んで30日ぐらいでふ化するんです。

生まれてくるんです。とても多産なんです。おまけに、2020年はネズミ年で、ネズミはもうネズミ算式に増えるということばがあるように、多産の象徴みたいな動物ですから今年は是非色んなこの考え方、社会をより良く変革する色んなアイデアを、ネズミ算式にいいたくさん生み出して、そしてより良い年にしていく為にみんなで力を合わせたいものだと感じております。

過去一年間を振り返ってみると必ずしもハッピーでないこともあったと言いましたけれども。

一番最後の十二月四日に、中村哲さんという私も存じあげてる人ですけれども。

命を捧げて復興の為に献身していた国、アフガニスタンにおいて命を奪われるという事態が起こったんですね。とても悲しいことであり

また暴力によって平和を作る力がそぎ取られるというのは、最も憤りを感じることであります。

世界平和度指数というのを前にも紹介したことがありましたけれども、世界の国々が、どれぐらい平和かというのを24のデータ、軍人がどれぐらいいるか、戦争にどれぐらい兵隊を派遣しているか、あるいは兵器の輸出や輸入がどれぐらいあるか、あるいは重犯罪がどれぐらい起こっているかなど24のデーターを大体5段階評価で全部評価して国連加盟国193国のうちの約3分の2にあたる、163か国について比較をして、平和の度合いについてのランキングを付ける。グローバルピースインデックスランキングというのが、毎年6月に発表されるということを紹介してきましたけれども。

その163か国のうち一番平和度の高い国はアイスランドという国でそれから、ニュージーランドとかヨーロッパのオーストラリアとかベルギーが並んで日本は10位前後今は9位ですけれども。

そういうことでずっと序列を作っていくと中国が110位とかアメリカが128位とか北朝鮮が151位だったかな?

それをロシアが154位という風に並んでいって、一番最後から2番目

162番目のシリアという、この間までISが活動をしていた国ですが、

ここで一番ビリはどかというと、中村哲さんが殺害されたアフガニスタンなんですね。やっぱり、暴力的な事態が社会に蔓延していて平和の為に献身している人の命をも奪うような事態があるという訳ですね。由々しき事であります。

2020年にはそういう問題を含めて、それからアメリカと北朝鮮の間の核問題を含めて何がしか前進があるように、是非とも我々はできる限りのことをやっていく為にも今、社会で何が起こっているかということを正確に事実を見据えて事実の中に好ましくない事実があるんだとすれば、それを改めるために、我々に何ができるかという我々自身の主体的な力を発揮して是非その力を足し算して、2020年をより平和なハッピーな年にしていく為に、前進したいものだと思います。

私も立命館大学の国際平和ミュージアムも一つの会場として開かれる第十回国際平和博物館会議っていうのが、今年9月の16日から20日まで開かれます。これの為に海外からもたくさんの平和博物館関係者が来られるので是非意味のある会議にしたいと思いますけれども。

メインテーマは、

「次世代への記憶の継承と平和博物館の役割」ということで過去に起こったことあるいは現在起こっていることそれをきちっとして

記憶としてとどめて次の世代に受け渡していく為に

平和博物館に何ができるかっていうのが、メインテーマなんですが

そういうテーマに基づいて世界から集まってくる若い人やあるいは博物館の館長、学芸員と一緒に意味のある議論を展開していきたいと思っています。

また私は相変わらず、月、1っぺんのペースで福島を訪れておりますけれども、そして福島の原発被災者の求めに応じて色々な調査、相談、学習活動に取り組んできました。

既に昨年末までで68回に及びましたけれども。引き続きこの活動を続けていってですね、福島が事故から10年目を迎えようとしている今、事故の見通しと、そして被害を受けた人々の復興への意欲をかきたてるような、そういう取り組み、是非進めていきたいと思います。

なかなか八十歳を迎える今年、そういう活動を何の苦もなく続けるわけにいかないかもしれないけども、悪戦苦闘しながらでも、是非この活動を続けて平和と安全な社会づくりのために、平和学者放射線防護学者としても貢献していきたいと思います。

では

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

カテゴリー: 原発関連

ラジオ番組:平和・原発・ひとりごと 2019年12月号

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皆さんこんにちは。

安斎育郎 平和原発独りごと。もう今年の最後、12月号をお届けする時間になりました。

寒いと思うとちょっと気温が上がったりして風邪をひきやすいような時期ですね。

昔テレビなんかでを鬼のような怪物が出てきて、風邪をひいてまんねんていうメッセージを伝えるコマーシャルがありました。

鬼のように普段ぴんぴんして元気そうな人が風邪を引いたり、病気になったりすると鬼の霍乱って言ったんですね。

今日は京阪三条という駅から三条大橋を渡って、三条小橋てのがあるのですが、そこからちょいと川面を見ると、桜紅葉がたくさん浮かんでいる。

そういう季節ですね。まぁ、紅葉もちょっとは大丈夫かもしれないけど

そろそろ見ごろを越えた、そういう時期で風邪を心配しなければいけないような時期です。

鬼という字をちょっと例に取ってみると上に田んぼの田みたいなのに毛が生えてると言うか角があるっていうか、そういう部分があって、下に片仮名のルみたいな、ひざまずいている足の形ですけれども上の田んぼの田みたいなのは死んだ人の魂を表わす部分ですね。獅子頭と同じように死んだ人の楽しいを表わしてるもの。それをその上に死んだ人の象徴の頭を被って神様の前にひざまずいているというのが鬼っていう原型ですね。だから、鬼て意味じゃなくて死んだ人の魂のことをあの字で表わしていたんですね。

で、やがてそれにいい足の右側にカタカナのムっていうような字を書き加えるようになりましたね。ムっていうのは、空に浮かんでいる雲という字の、その下半分に云々かんぬんの云ていう字があって二本棒を引っ張って、片仮名のムを書くね。

あれは、もやもやって立ち上がっているものという形から来てるんですが、もやもやとしてよく分からないようなもの。鬼も死んだ人の魂がもやもやと漂ってると意味であれを付けたんです。

それがしかし、やがて鬼という意味に使われちゃっていたので魂いう字をどういう字で表わそうかといったら、今度鬼という字の左側にもう一つ、曇って言う字下側のもやもやいう字を付け加えて、これで魂っていうふうに読むようになったんですね。

面白いですね。

人間は何かに応じて色んなものを付け加えながら目的を達成してきた鬼っていう字と魂っていう字、元々同じところから出てる訳ですけれども。

魂は鬼の左っ側に、もやもやとしたものを付け加えた形になっています。

今言ったように、何か人間はあるものを過去のものに色々付け加えながら、新しい目的を達成してきたという面があるのですけれども付け加えた方がいいものと悪いものがあるでしょうね。

ローマ教皇がこの間日本に来て、広島長崎を訪れ、あるいは東北大震災その他の被災者、あるいは死刑を宣告された袴田さんという人、そういう弱者に対してメッセージを残して日本をあとにしていきましたけれども。言ってる内容は、我々が五十年このかた言ってきた

核兵器廃絶のメッセージと同じだけれども、やっぱりローマ教皇という精神世界で圧倒的な影響力を持っている人が核兵器被害を直接受けた日本に来てそういうメッセージを発したというところにとても有意な意味があったと思います。

ローマ教皇がこれはいかがなものかといった核兵器、これなどはやっぱり付け加えてはいけないものですね。

付け加えていいものもたくさんあったからこそ、人間の生活はより文化的になってきたという面はありますけども核兵器とか私にいわせれば、原発とかは付け加えない方が良かったのではないかと思いますね。

そしてそういう意味で我々は核兵器がこのように登場した1945年、昭和20年の8月6日広島8月9日長崎、それからずっと日本の市民は核兵器をなくすというを世界に発してきた。なかなか遅々として成果は上がりにくかったけれども2018年の7月7日国連で核兵器禁止条約というのが122対1対1って圧倒的多数で採択されたんすね。

残念ながら日本は加わっていない唯一の核兵器の実戦使用の被害国だというふうに、総理大臣も度々言いながらこの核兵器禁止条約の政策過程あるいは採択には関わってこなかった。

この最初関わった時期があったんですけれどもアメリカからこういう核兵器禁止条約は駄目と言われて、一切日本政府はそれから核兵器禁止条約に関わっていないですね。

ローマ教皇が日本に来て、総理大臣に会った背景には

広島、長崎の体験をした日本が、なぜ核兵器金条約に加わらないのかということについて、注意を喚起する重要な機会にしたいという思いがあったと思いますけれども。

この核兵器禁止条約は、五十か国が批准

それぞれの国でこの条約は発行すべきであるということ

意思決定の最高機関、国会その他で決めて

50か国が批准してから90日目に効力を持つことになってるのですがそこに日本は加わっていないんです。

まことに残念なことで、我々ローマ教皇の来日を機会にして、もう一度

国会でこの問題を国民的な重大な議題として、きちっと取り上げて政府をあげて核兵器禁止条約批准に向けて取り込むように要請したいと思います。

原発問題もそうですけれども野党5党が原発ゼロ法案という呼ばれるものを、国会にとっくに出してるんですけれども政権党がそれについて審議することを拒んでいでいる為に議論が進まないってこともあります。

この原発も私は、今のエネルギー政策の中では付け加えない方がいいものだと思います。

そういう意味で鬼という字に雲という字の下半分を左側に付け加えて魂という字にした。付け加えることによって新たな意味を獲得するとう営みを人間は色々やってきたけれどもやっぱり付け加えの方がいいものもあるというふうに、感じているところであります。

さてこの間、私は何をしていたかと言うと平和原発ひとりごと、というこの番組との関係で言えば平和の面では日本、平和博物館会議というのに出席しました。

11月21日に22日と横浜で日本平和博物館会議というのが開かれました。

世界には平和博物館が三百近くあって日本にはその中に七十ぐらいの平和博物館が色んな地域に大小合わせてあるんですね。

その中で比較的観客動員数の多い例えば広島、平和祈念資料館、

原爆資料館、長崎原爆資料館、それから沖縄戦を描いている、沖縄県平和記念資料館や、その中の「ひめゆり部隊」という女性達が沖縄戦に巻き込まれた悲劇を描いている、ひめゆり平和記念資料館とか私が名誉館長を勤めている、立命館の国際平和ミュージアムを含めて10館が日本平和博物館会議っていうのを結成してるんですね。

毎年泊まりがけで会議を開いて博物館の枠を越えて共通の悩みなどについて議論しお互いの経験を学びやって、より良い平和博物館作りをしようということで1994年に第一回目が開かれてから、もう四半世紀続いているんです。

今年もそれをやったんです。例えばどんなことも議論されたかと言うと

今、NHKなどの技術人が昔の取られた白黒写真をカラー写真に変換するという技術を開発しつつあるんですが、そういう技術を平和博物館は積極的におり入れるべきか、どうか?という面白い議論がありました。

議論の結果を御紹介すると、慎重です、皆さんね。

白黒写真ていうのは色々な波長の光に対してヨウ化銀という化合物が、

化学反応を起こして、銀を分離してそれが黒い影になるんですけども。

そういう形で白黒の伊寧をフィルム上写す技術なんですね。

白と黒という二元的に写しおとされた情報を、逆算してカラーにするというのには、どういう方式で色、元の色はこうだったって戻すのかについてまだ十分な標準的な方法が確定しているとは言えない。頑張ってますけれども、技術者は。

それだから白黒写真をある方式でカラーにしてみたら今まで気付かなかった、こんなところにも血の跡があったのだ、とかいうことに気づくから、事実をを追求する上でとても有効な新しい技術であることは間違いないんだけれども、もう少し技術が標準化されて誰がやっても、この白黒写真は元々こういうカラーの映像であったということが、論争なく解るような時代が来たら、おおいに活用していいでしょうけども、今そういう真実を究明する為の有効な手段の一つということにしておいて、やっぱり平和博物館は、参考材料としてカラー化した写真を展示することに、とどめておいた方がいいのではないか、という意見が大勢だったように思います。

それから、この日本平和博物館会議では一番大事なことは次の世代に戦争の悲惨さ平和の大切さをどう伝えていくかくかということで神奈川の平和博物館から、各平和博物館は次世代に平和の大切さ、戦争の悲惨さを伝える為にどんな活動をしていますか?という問い掛けがありましてね。それぞれの館が、うちはこういうことをやっていますというのを御紹介しあって、お互いに学びあったということです。

最後になりますが、来年の9月16日から20日まで。立命館大学を含めて

第十回国際平和博物館会議というのをやるのですが、日本平和館会議も、この第十回国際平和博物館海に協賛することが満場一致で決まりました。

私はその事務局長をやってるので、大変嬉しく思ったところであります。

では皆さん、年末風邪などひかぬようにね、

どうぞお元気でお過ごしください。さようなら。

カテゴリー: 原発関連

ラジオ番組:平和・原発・ひとりごと 2019年10月号

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今日は。
安斎育郎平和原発ひとりごと10月号をお届けする時間になりました。
先月「秋」っていう字の成り立ちについてお話しするところから始まったんですが、秋がそれなりに深まってきた昨今ですね。

先月9月は台風の被害などで大変長期間停電に見舞われた千葉県などがありまして、この国にとってやっぱり災害に対する対策、これはもっと万全でなければいけないっていう気がしますね。
いずれお話しする機会があるかも知れませんが、私は自衛隊っていうのをネーミングを変えて災害救助隊にした方がいいと思っています。戦争で死んだ人はこのところいないので、災害で死んだ人は何万人といるんですよね。
東北の大震災だけでも二万人近い人が命を落としたりしてるので、そういうのに備える専門的な部隊として災害救助隊ってのがあった方が憲法上の問題もないしですね。今の自衛隊の隊員とそれから海上保安隊の隊員などを少し再編成してですね、災害救助隊っていうことにすればいいと思いますね。今の自衛隊だと災害に見舞われた地域の長、県知事なり市長なりが自衛隊に出動要請をしないと出て行けないんですけども、災害救助隊はそれを変えてですね、災害救助隊の総合的な判断からしてこれは災害救助隊が現地に出た方が良いという判断の時には積極的に出て救助救援活動ができるようにした方がいいと私は考えています。

実は先月はですね、私が責任を持って来年2020年の9月にやる第十回国際平和博物館会議の一年前だったもんですから、この時期に台風に見舞われると国際会議も大変だなと思って台風にはちょっと気をくばっておりました。
1960年代に日本列島の回りに台風が5つ並んだこともありましたね。オリンピック台風って言われたんですね。五輪台風てんですね。なかなかやっかいな自然現象で何が起こるかわからないので、そういうことが起こった場合にも慌てずに対応ができるような心構えをしておかなければと思っているところであります。

さて災害と言えばですね自然災害のほかに人為的な災害があるんですね。ごく最近、裁判所で東京電力の経営陣が福島原発数の原因に関わりがあるかどうかをめぐって判決が出て、取りあえずは経営陣は無罪判決が出されてこれについては被害を被った人々から見て、では一体い誰が責任を取るのかっていうことうんなどをめぐって議論があるところですよね。何とかしなければいけないっていうことでありますが、そういう中でもう一つ厄介な問題は福島の汚染水ですね。ものすごい量の核燃料が溶け落ちて原子炉の下にたまっている。それは冷やさないと溶けて大変な放射能汚染に結びつく恐れがあるってんでそっと冷やしてですね水を注入してるわけですで水を注入してその放射性物質の塊を冷やせばその水の方が汚染するわけですね。

その汚染した水が毎日たくさん出るので、それを取ってそこから放射性物質を取り除いてタンクに貯めるっていうわけですが、どうしても取りきれない、例えばトリチウムって呼ばれる放射能などが残ってる。そのタンクがもうしきい値めいっぱい1000基ぐらいできていて、2022年には、これ以上タンクを作る余地がないっていう、満杯になるんですね。そこでそのトリチウムというのをどうするかですね。これをめぐって、前環境大臣と今度環境大臣になった小泉進次郎さんとの間でちょっとやり取りがあったところですね。

前環境大臣は辞めるにあたって、「もうトリチウムの水は海に捨てるしかないだろうとそれが一番いい」という趣旨の言葉を残したということですけども、それをめぐって早速漁業関係者などから批判があった、「われわれに相談もない上に海に捨てるのが一番いいとかいうのは、風評被害をかき立てるような、そういうものであって、とてもを容認できない」ってわけですね。その仕事を引き継いだ小泉進次郎を環境大臣が、そのことについてお詫びをしたって訳ですね。
お詫びをした時に、記者たちからは、それじゃトリチウムの処理水は海に捨てるのが一番いいのか悪いのか、小泉さんの考えはどうなんだっていうことを聞かれたわけですけども、そのことについては言明しないんですね。
小泉さんはお父さんのDNAを引き継いでるっていうこともあるでしょうけども、言語明瞭ですね。

しかし、内容は不明瞭なことが多いので一体どう考えてるのかわからないな人の方が感情を逆なでするようなことは巧みな言葉でかわしながら、本質についてどう考えてるのかってことをなかなか言わないってわけですね。それはまあ、政治家として雄弁な政治家だってんである種の求められる資質かもしれないけども。
それではですね、事の本質がいつまで経っても何を考えてるのか分かんないままにどっかの行政の委員会か何かでそれを進められていって、結論だけ後で押し付けられることになっては大変だったんで、人々は不安に思っているんですね。

そういう時に今度は、大阪の市長がですね、大阪湾にトリチウム水を排出することもありうるような記者会見をやってたんですね。
これもみんなびっくりしたんですね。もちろん大阪市長はあわててといいますかね、「科学的に安全なものでなければ引き受けない」というふうには付け加えたんですけども。科学的に安全というのはどういう意味かってのは、これまたはっきりしないんですね。
誰か科学者集団がこれは安全であるというふうに判断したらそれは科学的安全性が確認されたものとしてそういう科学的に安全性が確認されたものについては反対いするのは理不尽であって、それはもう海に流そうが、何しようがいいんだっていうことでしょうけれども、私自身が福島に毎月、月1回ペースに近い形で9月に63回目の調査やったんですけど、やっていて感じることは科学だけでは片付かないということはないんですよね。心配だから測って欲しいっていうんで福島の例えば原発から六四十キロ離れているある御宅、そこの家の回りを測ってみると京都市宇治市に住んでるわが家とさしたる違いはないんですね。
違いはないけど、「科学的には別にそんなに気をつかった、布団は外に干さないとか水道の水は一切飲まないとかそういう手立てを講ずる必要なく普通に暮らして大丈夫ですよ」っていうふうには言うんですけども、家のお母さんはですね、やっぱり放射能は恐いっていう思いがあって、数字でこの基準に比べて十分低いから大丈夫と言っても、それだけではですね、納得しないんですね。依然としてお家の倉庫の中には買ってきた水買いに山積されていて、その水で食器を洗ったりい洗濯をしたりなんかするんですよね。だから、われわれが放射線防護学者として科学的には大丈夫ですよって言ったからといって、それでその人が、「ああ、そうなのか」っていって安心するとほど生易しいものではないんですね。
放射線の影響ってのはこれは小泉さんなんかにも心得ていってもらわなきゃいけないけども、放射線についての考え方っていうのは今まではですね、 私が東京大学で半世紀前に習っていたころは「身体的影響」っていうのと「遺伝的影響」っていうのがある。そういうことで言われたんですが実際福島通いを六十回以上もやってみて人々が感じているのは、それに身体的影響は遺伝的影響に対する心配だけではなくてですね、心理的影響それから社会的影響これの方がはるかに大きいんですよね。
だから科学的な意味で大丈夫だって言ってもそれは心理的な影響様や、あるいは社会的影響つまり、今まで住んでたところから避難をさせられたために今まで受けていた医療が受けられなくなったり学校教育が受けられなくなったり、あるいは人間関係が今までと全く違う環境に置かれたりして、そのことがストレスになって健康障害を起こしたりする例がとても多いですね。だからより実際に遺伝的、身体的障害が起こるレベルではないから科学的に安全ですと言っただけではだめでやっぱり人々が心理的な不安あるいは社会的な今までとは違った条件下に置かれることによるストレスそういうのを感じないような、そういう条件作りを被災者とともにやらないとですね、これは科学を振りかざしてだけでは問題をこじれさせることになりかねないですね。
だから福島で生じた原発のトリチウム処理水これを海に流すって言って大体大阪のような閉鎖系に流すのは、流すにしても問題があるので外洋に流して十分希釈効果を活用するってことが必要ですけれども、そうそういう技術的な問題だけではなくてですね、いきなり主張が科学的に問題なければ引き受けるっていうふうに言明して人々の心を乱すんではなくって、やっぱりそういうな合意形成ができるようにきちっと段取りを踏んでいくってことがとても必要ですね。
特に福島県の漁業関係者はもう今まで漁業を通じて風評被害にさんざん悩まされてきているんですね。やっとそれがおさまりかけてたこの時期にあらためて科学の名においてトリチウム水を海に流すってなことが相談もなくこの声高に対社会的に発信される。権力の座にある人から一方的に発信されるなんてことになると、これはまた風評被害に遭悩まされるような日々が来るのではないかって言って当然のことながら反対するんですね。たとえそれが科学的に正しい結論であっても、それをいきなり圧しつけるのではなくてですね、それによって影響を受けかねない当事者たちときちっと話をしてですね、それでそういう決定の後、何か起こったらどういう対策をとるのかってことも被災者たちとともに共同して手を打てるようなそういう体制しっかり作ってからその解決の道を合意形成を大事にやっていくってことがこの問題ではとても大事なことだろうと思います。

また福島出る調査の結果なども来月もご報告したいと思います。
それではさようなら。

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ラジオ番組:平和・原発・ひとりごと 2019年9月号

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皆さんこんにちは安斎育郎平和原発ひとりごと2019年の9月号、お届けする時間です。
秋ですね。9月っていうとね。皆さんは秋っていうと漢字で書くノギ(禾)へんに火って書きますよね?
なぜ火なのか。ノギへんは稲穂がこう垂れたあり様を表した部分だから、これは文句はないと思いますけども、なぜ右側に火って書くのかですね。
あまり深く考えたことないかもしれませんが、昔はこの字はですね、もっとややこしい字だったんです。
のぎへん同じなんだけども右側に鶴亀の亀ていう字の下に点、点、点、点で火を表す点を4つ書いたそういう字だったんですね。
面倒な字ですね。のぎへんに亀を火であぶってるって感じですよね。なぜかっていうと亀ってのは、この場合は今の文字でいうと亀なんだけども、これは昔はイナゴとかバッタとかいうような虫を表す部分だったんですね。
文字だったんですね。だからこれがのぎへん稲穂が実ったこの季節に、どっと増えてくるイナゴなどの田んぼや畑の虫これを田畑を焼いて、虫を退治するそういう季節だってことを表す字だったんですね。

まさに田んぼを焼くことによって虫を退治する、それでこの鶴亀の亀にあたる部分ややこしい字ですけれども、今の亀って言う字も昔の亀ももっとややこしい字だったから、その部分を取り去って下にある点点点点、これは野菜を煮炊きするときの煮るって字、者って字の下に点を4つ書く。
点点も同じ火の意味なので、点点点点と書く代わりに火って書いて、禾に火と書いて秋っていう意味にしたんですよね。
ところが面白いことに、大相撲などは一番最後の日のことを千秋楽って言って、一日千秋の100、1000の千ですね。
それに秋って書いてあって千秋楽と書くんだけども、歌舞伎なんかの千秋楽って字見たことありますか?
のぎへんに火って書くんじゃなくて、のぎへんに亀て書いてあるんです。古いさっきの時の上の部分の亀を残してですね、それで千穐楽(せんしゅうらく)と読ませるんです。
大相撲と歌舞伎では秋に相当する感じを大相撲の方は、今われわれが使っている禾へんに火って書いて千秋楽の秋(しゅう)と読ませて、歌舞伎の方は禾へんに亀と書いて千穐楽のシュウと読ませるってよね。
ちょっと面白い現象が起こっています。
だから秋だけじゃなくって春夏秋冬それぞれの漢字について、なぜこんな字を使うのかなっていうのを考えてみるのも面白いかもしれませんね。
パソコンがあれば字源で文字の源ですね、それを調べることも割に簡単にできますので、ちょっと興味を持って調べてみると子供にこの字はなんでこうこんな字に書くのかっての説明する時、ちょっと威張れるかもしれませんね。秋という漢字1つとってみてもなかなか面白いですよね。

この頃は大雨がよく降ります。日本列島ね。九州、中国地方などに時々ものすごい雨が降りますけども、今日で出がけに私もひどい雨に降られました。
それでひどい雨に降られたんだけども、雨のひどさ、雨の凄さ、降り方それを表す言葉が私にはよくわからないですね。
気象庁が定めた決まった呼び名があるんですよね。「やや強い雨」っていうと1時間当たり10ミリから20ミリ。10ミリっていうのは1㎝のことですけども。
1時間家の外にたらいを出しておくと、そこに1センチから2センチぐらい貯まるとき、それが10ミリ以上20ミリ未満の、やや強い雨っていうんですけども。
気象庁はそのときですね、人の受けるイメージまで文字で決めてあるんですよね。「ざぁざぁと降る」っていうことになっています。
10ミリから20の雨はね。それで地面からの跳ね返りで足元が濡れる。そして家の中にいても雨の音で話し声がよく聞き取れないうんいうふうに気象庁は表現しています。
だけど家の中にいたんで、雨の音で話し声がよく聞き取れないかどうか、その家の防音効果にもよるでしょうからね。コンクリートの家の中に入ればそんなこともないんだろうけども木造モルタル家屋、わが家みたいなとこにいると確かに雨の音が聞こえるかもしれないですね。これが、ざぁざぁと降るっていう程度なんですね。
それで1時間に20ミリから30ミリの雨のこと「強い雨」ってこういうんですけども、人が受けるイメージ中は気象庁の表現による土砂降りってことになったんですね。
わかったような分かんないような、とにかく激しく降ってるっていう様子ですね。傘をさしていても濡れるですね。寝ている人の半分ぐらいが雨に気づくっていう表現で気象庁は表しています。
で、それより強くなると、1時間に30ミリ以上50ミリ未満。たらいを家の外に出すと1時間あたり3cmから5㎝ぐらい雨水がたまる。そういうの「激しい雨」とよんでいて人の感じ方として人の受けるイメージとしては「バケツをひっくり返したように降る」っていうふうに気象庁は表現していて、これ気象庁はいいかげんってわけじゃなくて、平成12年14年29年とかちゃんとその都度表現を一生懸命検討して、表現を変えたりなんかしてるのでね、そうとうマジに検討した結果そういう表現を定めているんですが、バケツをひっくり返した様に降るていうんですけども、これは分かんないですね、私には。バケツをひっくり返すことあるけども、大体、床の面においてあるバケツにつまずいてひっくり返すとかいうことで、頭より上でバケツがひっくり返って水が落ちてくるなんて体験は、したことのないんですけども1回ひっくり返しただけでそれがずっと雨として降ってるんであればバケツを次々ひっくりかえして雨が降るってイメージが、なかなか分かんないんですね。

道路が川のようになるっていうんですが、今日、出がけのわが家のちょっと坂道になってるところが、まさに道路が川のようになっておりましたから、一時的に時間帯はですね、1時間あたり30ミリから50ミリの激しい雨が降っていたんだと思いますね。
それで、このごろ降る雨の中には特に夏場から秋にかけてですね。非常に激しい雨っていうね、1時間当たり50ミリから80ミリの雨が降るん「ごうごうと降り続く」っていう。「滝のように降る」っていうふうに気象庁は決めてるんですけども、これは何となくわかったような分かんないようなですね。
傘は全く役に立たなくなるっていうわけですけども、水しぶきで辺り一面が白くなって、視界が悪くなるっていいんですね。80ミリ以上の雨になると猛烈な雨っていますね。この狼テレビの気象ニュースでも、明日これこれの時間帯に猛烈な雨が降るでしょうっていうんですけども、それは1時間あたり80ミリ以上ですね「息切ぐるしくなるような圧迫感があって、恐怖を感じるような雨」だっていうんですね。
傘はもちろん全く役に立たないっていってわけですが、だから雨の降り方についても、気象庁公認の表現があるんだけども、バケツをひっくり返したような雨ってのは分かってるのかないんですね感じがするんですね。まあどうなんでしょう?雨でもうこんなよくぴんとこない感じだから、僕の専門にしてる放射線のレベルの表し方なんていうと、普通の放射線のことはあまり習ったことのない人にとっては、もっと分かんないですね。
きっとね、「1時間あたり0.05マイクロシーベルトの放射線」なんて言われても全然ピンと来ないかもしれないですね。まず、しかしそれを正確に分かるかどうかっていうことは、あまり重要じゃないとですね、我々自然界にこうやっていきてると、毎日のように天から降ってくる宇宙線とかですね、地面の中に含まれている天然の放射性物質から出てくる放射線とか、あるいは食べ物の中に入っている天然の放射性物質からくる放射線。
そういうのを受けて暮らしているので普段われわれが自然界から受けている放射線と比べてうんどれぐらいいい強いか弱いか、というようなことさえ分かれば大体で気にするレベルなのかそうでないレベルなのかっていうのは大体見当つくと思いますので、細かい数字の表現はわれわれ専門家に任しといていただいてね、我々がこれこれこうした方がいいよっていうふうに勧告を出したらば、ちょっと参考にしていただきたいですね。雨の場合も降り方について気象庁公認の表現がありますけど、そこで非常に激しい雨が降ったなんてときには不要な外出は避けた方が良いでしょうとか、気象庁がそういうくる勧告を出しますけども、放射線についてはですね、いざって時にわれわれが勧告を出しますので、それを参考にしていただければいいと思いますね。

今日は雨の話をしましたけども、日本には雨の降り方を表す気象庁公認でない表現がいっぱいあります。「しとしと降る」とかね。「じゃーじゃー降る」とか、いろんな表現がありますけども、これにちょっと戸惑ったのが、ラフカディオハーン、小泉八雲っていう、日本に住み着いた作家がいた。会談、クワイダンって、恐いお化けの話、日本に伝わってるオバケの話を、おもしろがっていっぱい翻訳した人なんですけども。この人が、ホントに困ったんですね。日本の怪談話のなかで「雨がしとしと降っていた」とかいう表現が出てくんだけど、日本にしかない「しとしと」とか「ザーザー」とかいう雨の降り方に関する表現が、山ほどあるので、ついにラフカデオハーンも困ってですね、「it rains シトシト」て言ったんですね。it rains何々、雨の降り方を後につけんだけど、訳しようがなくなっていって、「it rains シトシト」って訳したりしたんですよね。面白いですね。日本人は自然の変化にとても敏感でね、それを表現する言葉もいっぱいあるので、必ずしも翻訳ができないような言葉も含めて、我々日常生活、何気なく日本文化を味わっているんですけども、外国から来た人ゃこにとって、なんじゃいこれは?と思うようなことがいっぱいあるようですよね。

そういうことは放射線についてはどうせ、「放射線がしとしと降る」なんてことありませんのでね、数字で表されるその放射線を測る装置がちゃんとあってね、それで、われわれがきちっと測った上で、今どんな風に警戒した方がいいのかってことを勧告したりしますので、また参考にしていただければよろしいと思います。

それじゃ9月も元気で暮らすことにしましょう。また来月お会いしますさようなら。

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ラジオ番組:平和・原発・ひとりごと 2019年8月号

カテゴリー: 原発関連

ラジオ番組:平和・原発・ひとりごと 2019年7月号

 皆さんこんにちは。平和・原発・ひとりごと7月号をお届けする時間がきました。

 とうとう一年の半分が過ぎ去ってしまいましたけれども、過ぎ去ったことは、過ぎ去ったこととして、残りの半分をできるだけ有意義に楽しくいきたいものだと思います。

 今月7月は、あるちょっとしたイベントがあって、安齋肇くんというテレビのタモリ倶楽部のソラミミストとして知られている人物で、私の甥にあたりますけれども。

 この安齋肇くんが、7月には、京都出町柳のトランスポップギャラリーというところで、個展をやるんですけれどもその中で7月14日、トークイベントを育郎先生とやりたいという申し出がありましてね。いいですよって言ってあるので7月14日午後4時から2時間くらいゆるめのトークイベントということでその割にテーマが「ミラクル」というね、奇跡について。奇跡の起こし方について語りりたいということですが、まぁ、どんな話になりますか出向ける方は、安齋肇の陶芸の作品が展示してありますので是非おいでいただきたいと思います。

 さて、一年が半分終わるとですね、だいたいいつも国際的なシンクタンクで経済平和研究所てところが、どの国がどのくらい平和かってことについてランキングを発表するんですよね。世界平和度指数、グローバルピースインデックスていうんですが、今年も6月12日付で発表されました。

 まぁ、それによると世界全体の平和度は5年ぶりに幾分改善されたということですけども5年ぶりにっていうのは、ずっと下がってきたのが、5年ぶりにちょっと上向いたということですが10年前と比べると、平和度はまだ低い水準に留まっているということで世界はこの十年やはり全体としては平和度が減っている非平和的になっている暴力が勝るような事態になっているということでありますけれども、その度合いが幾分緩和したということであります。世界平和度指数というのはあまり聞いたことないかもしれません。

 まえにもこの番組で話題にしたことがありましたけれどもどの国がどのくらい平和かということを数字で表そうという大胆不敵な試みなんですね。元々イギリスの経済関係の新聞社が戦争や平和や国際関係、それに関する24項目についてのデータを基本的に5段階評価で得点化してそれを総合するものなんですね。24項目っていうのは、1つは戦争の数。よその国、あるいは内線でいくつくらい戦争をやっているか、その国がね。その戦争の数。
 2番目が外国との戦争での死者の数、何人くらい亡くなったか。
 3つ目は内戦によってどのくらい亡くなったか、シリアとかね内戦やってきたわけですが。
 4つ目は内戦の程度。破壊の程度だけではなくて難民がどれくらい出ているのか。
 5つ目は近隣国との関係。これは日本にとっても重要な要素ですが、近くの国々との関係が友好的かあるいは、対立的かということです。
 6つ目は他国の市民に対する不信感。これも日本に関してはけっこう重要で韓国や中国の人々について日本国民はどんな感情を持っているかね、信じているかいないか。
 7つ目には難民の割合ですね。ヨーロッパではなかなか大変。
 8つ目は政治的不安定さ。
 9つ目には人権尊重の程度。
 10番目にはテロの可能性。
 11番目には殺人事件の発生数ですね。
 12番目には暴力犯罪の程度。
 13番目には暴動の可能性。
 14番目には、犯罪収容者の数。牢屋に入っている人の数ですね。
 15番目は警察治安維持部隊の数。どれくらい治安維持の部隊がいるか。
 16番目はGDPに対する軍事費の割合。
 17番目は軍人の数。
 18番目は兵器の輸入量。
 19番目は逆に兵器の輸出量。
 それから20番目は国連の介入度。その国がどうしようもなくなって国連が介入しているか、どのくらい介入しているか
 21番目は国連以外の国々などの介入度。
 22番目が銃兵器の数。
 23番目が小型兵器や携帯兵器の入手しやすさ。ピストルなども含めてですね。
 24番目は軍事力とその精錬度。どのくらい成熟した軍事力を持っているかということですね。軍事力の問題だけではなくて他国との信頼関係とか、犯罪の起こりやすさなども考慮されているということになるのですね。
 

 さて、今回発表された2019年度、今年度のデータによりますと今言った24項目のデータが揃った国が国連加盟国193か国の内の163か国あった。80パーセント以上ですね。84パーセントくらい。

 で、そのうち106か国については、軍事化の程度が下がりつつある。
軍事化が増大した国よりも軍事化の程度が減った国の方が上回っている。
その点で上向いたようでありながら世界の平和度は2008年に比べると、約4パーセント後退しているというわけです。

 ちょっと気になるかもしれない、今年のランキングで1番平和な国はどこかというわけですけれども、第1位は常連のアイスランドなんですね。
そして、それに続いてニュージーランド。南半球の人間のよりも羊が多いと言われてる国。ちょっとこの前テロがありましたけれども。
 3番目がポルトガル。日本とは歴史的に縁の深い国ですね。
 4番目がオーストリア。

 5番目がデンマーク。

 6番目がカナダ。7番目がシンガポール。シンガポール会談ていうのがこの前ありましたですね。
 8番目がちょっと意外かもしれないですけれどもスロベニアという国で、あまり日本人に馴染みがないかな。とても治安のいい国で、第8位に入っているんですね。
 9番目が実に日本ということで、10番目がチェコ。昔はちょえこスロバキアという国でしたが今は2つに分かれて、チェコという国になっていますが、10番目まではここまでですね。

 有名な国々がどのくらいのランクにあるかっていうのを気になるかもしれないので、照会しておくと隣の韓国が55位。去年47位だったんですけれども、ちょっと下がっているんですよね。
 そのお隣の中国は何位かというと110位。ちょっと順位は上がったとは言いながら100位以下なんです。
 アメリカっていうのは世界最大の軍事力を持った国だけれども、ここはその軍事力に守られてさぞかし平和かというと平和度は128位ですね。何時もアメリカは110位から120位くらいの間を低迷しておりまして、軍事力をいっぱい持っていれば平和になというわけでもないということですよね。

 ちょっと気になる北朝鮮は、どれくらいかというと149位でして、ちょっと上がったけれど163か国の内の149位に位置されています。ちょっと意外かもしれないけれども、ロシアっていうプーチン大統領率いる大国があるんですけれども、ここは実に北朝鮮よりも下で154位なんですよね。

 160位以下になりますと、160位がイエメン。161位が南スーダン。日本が自衛隊を派兵して撤退した国ですけれども。
 162位がシリア。内戦があって難民がいっぱい出た国ですよね。
 そして、びりの163位。これ去年は、シリアが163位だったんですが、今はアフガニスタン。アフガニスタンが1番平和でない国ということになっております。
 

 そういうことで日本は一応9位につけておりますけど、日本の平和度ランキングの推移、どう変化してきたかということを見ていきますと、2010年2011年ごろには、3位だったんですよね。日本は世界でね。それがどんどん、今の内閣になって以降、下がってきて5位、6位、8位、10位、9位という風に推移していて、ちょっと相変わらず低迷しているという感じですね。
 ただ、世界のGDPの高い資本主義国でありながら10位以内にいまだに留まっているというのは他の国々のランキングと比べてみるときにまだけっこう高いと感じるでしょうね。
 この比較的高い平和度を今後も維持できるかというのは、ひとつには日本国憲法が歯止めになっているというのがあるので、これの精神を維持できるかというのが1つ大きいですね。
 それからさっき24項目の中に、隣国との関係というのがありましたね。韓国と日本、あるいは中国と日本の間の関係がややあやういですね。
 いろいろ言い争いがあったり、軍事的な事実関係について意見の食い違いがあったりしている。
 それから、過去の戦争に関して慰安婦問題とかね、徴用工の問題があったり、中動きうとの関係の中でも尖閣の問題などを巡ってちょっと対立感情がある。沢山観光客が中国や韓国から来ているにもかかわらず、国と国との関係としてはいまいちしっくりしていない。この間、悪化した面があって、そのせいもあって今まで3位だったものが、今は9位にまで下がってきているということですね。
 

 これは国だけに任せている問題ではなくて民間の一市民として我々も隣国との関係を改善するべく、来たお客さんはそれこそおもてなしの心でもてなして、これからも仲良くしていく道をさぐっていきたいものだと思っています。

 そういうわけで7月も楽しく暮らしましょう。
 また来月おめにかかります。

 さようなら。

カテゴリー: 原発関連

ラジオ番組:平和・原発・ひとりごと 2019年6月号

みなさんこんにちは。安斎育郎 平和・原発 ひとりごとの時間がやってまいりました。もう6月ですよね。6月ってことは1年の半分経とうとしているということでなんだか早いような気もいたします。

この番組は僕の「ひとりごと」なんだけど、ひとりごとの字は一人二人の一人に言葉っていうふうに書くこともあるし、独立の独に送り仮名「り」をおくって、そして言葉の言で独り言って書くこともありますね。前者の一人二人の一人言の場合は、1人ぼっちとかね。そういう感じで寂しい感じがしますが、独立の独の方を使うと独りでいも、独自の独立した個人として何か発信してるっていう感じがして、僕はこの独立の独の方を書く方を好んでいますけれども。

今月もまた、ちょっと最近経験したことを踏まえてご報告したいと思います。

実はですね、ごく最近、韓国への5日間の旅に行ってきたんですれども、タイトルは仰々しいんですが「安斎育郎先生同行 平和のための博物館国際ネットワーク協賛 植民地歴史博物館と光州を訪ねる韓国5日間の旅」って言うんで、長い長い名前がついてるんですよね。 安斎育郎先生同行っていうのはえー何か安斎先生が行くと人集めに貢献するのか、そういう名前が付きました。
その次にちょっと変わってて「平和のための博物館国際ネットワーク協賛」って言うわけですよね。
まあ韓国にある、いろいろな平和関係の博物館をひと巡り5日間でするにあたってその国際的な平和博物館のネットワークの代表を務めている
安斎育郎が色々と協賛して協力した、そういう旅なんですね。

で、タイトルにあった「植民地歴史博物館と光州を訪ねる韓国5日間の旅」っていうんですが、植民地歴史博物館っていうのは去年ソウルに出来たばっかりの博物館市民たちが作った博物館なんです。韓国は1910年目時43年からね日本の植民地になって戦争が終わるまで、ずっと日本の支配下にあったんですね。その間韓国の人々は日本植民地主義政府のまあ圧制・圧迫を受けてですね、とても苦しい生活を強いられたんですね。ちょっと政府に反抗的な活動する人などは牢にに封じ込められてその労務をですね、この植民地歴史博物館にも再現されていますけれども、一人だけ入れる牢があって、しかもずっと立ってなければいけない。座るスペースがない。立っている牢
とかですね、それはそれはかなり過酷な刑科した。そういう支配体制のもとで韓国人を日本植民地政府の言いなりにして支配したんですね。
そして、ご承知だと思いますが創氏改名って言って韓国人が韓国語の名前を
名乗ることを許さないで名前を変えさせた。前もとりあげましたけども尹東柱っていう韓国の国民的な詩人がいて、あの時代に日本の立教大学に留学したの1941年ですね。

また日本の植民地支配が続いている時代でしたけれども、その時ユンドンジュも平沼東中という名前で日本に来たんですね。ユンって言う名前、伊藤さんの伊っていう字のにんべんをとった字ですけど、ユンさんその名字を名乗ることを許されずに平沼って言ったんですね。ドンジュっていうのは東の柱って書くんですけども、それをドンジュと読むことを禁止されて、東中ってな日本語読みしたんですね。平沼東中という形で日本では学生生活を送っていたんですが、まぁ、この人もやがて京都の同志社大学に留学して、その間にいとこのソンモンギュなどと朝鮮語で話してたところを朝鮮語で話すことも禁止されたんですが朝鮮独立運動の共謀とみなされて治安維持法違反で逮捕されて、懲役2年福岡の刑務所に送られてそこで妙な注射を繰り返された挙げ句の果てに27歳で亡くなったんですが、その尹東柱が日本にいる時に最後に写真に姿を止めたのが私が住んでいる宇治川の辺だったので、その宇治川の辺に尹東柱の記念碑を作ったんですね。そういうひどい植民地時代の体験というのが、この最近できたばかりの植民地歴史博物館には様々な形で展示されていてこの博物館は人々の寄付によって出来ましたけれども日本の多くの人々も寄付をしておりました。その寄付者の名簿が入り口の壁にずっと刻まれておりました。で 、それからもう一つ行ったのが光州ですが、光の州て書きますね。グワンジュというふうに韓国では呼びますけれども。ここは御承知と思いますね。これは戦後、1980年の5月18日にチョンドファン政権、日本では全 斗煥とこう言ってましたけれども。ここが民衆の民主化運動を弾圧したんですよね。とてもひどい。まあ社会運動などをやる自分の敵とみなされる勢力は片っ端から逮捕したキムデジュンのちに大統領になった人なども逮捕されてですね。それから学生運動などをやってる人を徹底的に弾圧したんですね。

そして、その1980年の5月18日に光州の全南大学で発火点となった民衆のデモ、これに対して武力弾圧を加えましてね。大変大きな被害を出したんですね。その光州。光州事件という名で呼ばれている民衆の韓国民主化運動の様相がどうだったのかということですね。資料館や研究所や518財団など訪ねてきたんですけれどもそういう旅なんですね。

なかなか過酷な旅でありました。
朝から夜までですね1日平均1万歩くらい歩きます歩きますといっても博物館見ている時は皆歩かない。博物館の壁に向かって展示を見ているわけだから歩かないでずっと立ってる。立ってるだけでも疲れますよね。

それでも1日、まあ1万歩ぐらい歩いてるわけだからこれはこれで大変過酷な旅でした。

どんな人が行ったかっていうとまあ定員35人めいっぱい。もう開くのを待っている人がたくさんいるくらいの人気の旅計画でしたけれども、北海道から与那国島までですね、35人。老若男女って言いたいとこだけども
だいたいローローローローかな?

平均年齢は多分70歳ぐらいかもしれない。

わたしが79歳ですからね。
高齢者集団っていうのは旅をすると体調崩したりするので心配されるんですが、驚くべきことにっていうか、幸い一人の落伍者もなく帰ってきたんですね。

初日の5月16日ですがこれはまさに、まあ関空からあるいは東京方面

から来る人は成田から飛行機に乗って、仁川空港韓国の仁川空港ですね。
そこに全員集まってここで初めて顔合わせをしたんですね。

行く飛行機の中でですね、まぁ9時半頃朝発って、まぁ昼前に着く便だからきっと軽食が出ると、それでお昼はそれでいいだろうと旅行会社もおもっていたんですが実際でた軽食が軽軽食って言うんですね。

とっても軽いので向こうに着いたときいう旅行会社これはこのまま昼飯抜きで夕方まで行動したら、初日にして反乱が起こる可能性があるってんでねインチョン空港からソウルのその植民地歴史博物館に向かう間に臨時に朝鮮の韓国の料理屋さんに入ってうどんを食べたんですね。はなかなか気の利いたあしらえですよね。そしてこの植民地歴史博物館に行きますとねそこにはキムヨンファンっていう人物が待っておりました。キムヨンファンさんっていうのは韓国の人ですけれども、日本に長いこといて日本の平和博物館、特に四国の高知県にある草の家という平和博物館のためにずっと働いていた
日本語が僕よりうまいかもしれないってほどうまい人なんですね。で、この人が解説してくれました。
それはそれは見事な日本語で、えぇまぁさっき言ったような日本が植民地支配していた時代の様子を話してくれました。そしてその次の日は安重根て知ってますかね?
昔千円札にあったり伊藤博文という人を暗殺した、まあ朝鮮人で安重根
という人がいるんです。朝鮮ではこの植民地支配していた。その指導者である伊藤博文を暗殺した安重根が英雄なんですけれども。それに関する資料館を見た後、光州にに移動したんですが新幹線の中でもこの集団は勉強を続けましてね。

僕が平和学の基礎を新幹線の中でずっと喋りまくる。そして光州に行って光州事件さっき言った光州事件の傷痕ですね。
そしてその光州事件によって韓国の民主化運動がどんど激しくなっていって1987年にはもう一つの事件が起こりましてね。この光州事件をきっかけとした民主化運動の中で更に政府に対する抵抗運動したパクジョンチョルさんという人が拷問の果てに殺されるんですね、1987年。

その殺されたことに際して 抗議行動もさらに起こって、イハニョルっていう人がその抗議行動の中で催涙弾を頭に受けて死ぬんですね。それに対してさらに抗議行動が全土で何百万人のデモ行進となって起こって、今日の民主化運動のエネルギーとなってきているんですね。

そういうありさまを5日間でたっぷりと見てきたんですね。まあ、あの日本の植民地支配の傷跡それに対してはいたたまれない気持ちになりますけれども、そういうものを引き摺りながら、それからアメリカの後ろ盾でかなり抑圧的な政治をやってきた戦後の韓国社会、それを何とか変えようと思って光州事件を皮切りに韓国の人が今、懸命に民主化に取り組んでいるその最中であるという思いを非常に強くしてまいりました。

今日本と韓国の仲が悪いとか言われていますけれども、政府レベルやマスコミではそういう事ですが行ってみるとそんな感じを受けた人はおそらく一人もいないと思う。民衆のレベルではお互いに打ち解けて交流していけるそういう素地のあるそういう歴史を持った両国ですね。これからお互いのそういう歴史にも理解を深めながら、隣国としてね、この東洋の平和のためにですね、いっそう共同して努力していきたいものだというふうに思いました。

それではまた来月にお会いしましょう。

さようなら。

カテゴリー: 原発関連, 平和関連

ラジオ番組:平和・原発・ひとりごと 2019年5月号

皆さんこんにちは。「安斎育郎 平和 原発 ひりごと」の時間ですが、今日は実に元号が変わって最初の「令和-REIWA」元年の初日ですね。

元号というのは、ちょっと不思議な年代の表し方でね。世界中探してもこういう制度を持っている国は今はもうないですね。
日本で年代を表す方法は、まぁ、2つ余りあるんですね。まぁ、正確にいうと3つと言ってもいいと思うんですけども、例えば、安斎育郎さんが生まれたのは1940年っていうふうに西暦でいうこともできるし、昭和15年というふうに元号でいうこともできるし、もう一つが戦争の時代までは使われたのは皇紀2600年、皇紀のコウっていうのは皇太子のコウ、キは紀伊半島の紀、紀元前の紀ですね。皇紀2600年。

だから僕が生まれた年を指定するには、1940年といってもいいし昭和15年といってもいいし、皇紀2600年といってもいいっていうわけですね。うーん世界的に見るとやっぱり国境を越えて通用するためには好むと好まざるとにかかわらず西暦で表すのが習わしになっています。

西暦1940年といえばどこの国に行っても大抵通じる。そのままですね。
ところが昭和15年っていうふうに言ったんではですね、あのオーストリア行って、昭和15年生まれですって言ったんじゃ、いつの生まれかっていうこと、西暦でいうと何年?というふうに聞き返されますよね。おまけにこの国では紀元前660年に起源をもつ皇紀っていう表し方があってね。
私はちょうど皇紀2600年に生まれた。

前もちょっといったかもしれませんけれども、この皇紀で表した2600年の下2桁目00ですよね。
で、この年に開発された艦上戦闘機、日本の戦争でよく使われた戦闘機零戦っていうのがあるんですが、この零戦の0という数字は皇紀2600年に開発された下二桁の0をとって名付けられたんですね。
だから昔の人には皇紀何年という表し方も意味があったことは確かですね。

今年は何年かって言われれば、ええまあ、西暦で言うと2019年っていうことですけれども元号が平成31年から令和元年に変わったわけね。
皇紀で言うと何年かというと、2679年。なんで、そんな皇紀をスラスラ言えるかというと僕にとっては、2600年生まれだから、2600の後に自分の年齢を付け加えるとそれで皇紀になっちゃうので、今79歳だからね。
2679年という風に言えるわけですよね。

さてどうでしょうね、まぁ、国際化がこれだけ進んだ社会において未だに元号っていう天皇の在位期間にだけ通用する、そういう年代の表し方を使うことが便利かどうかという点で見ると、お役所などやってる人にもですね、いちいち 元号が変わるたびに証明書を発行するときの年代表記を全部改めなきゃいけないとかいうんで、大変にお金もかかるし面倒でもあるから、もういっそ西暦にしてほしいという人もたくさんいるんですね。

で、日本人で元号で歳を表してる人っていうのは、まぁ、2割ぐらいしかいないっていうふうに言われていて、だいたい6割の人は西暦を使っているんですね。さすがに皇紀を使っている人は滅多にいないですね。

ですけども、いないなくはないんですけども。私にとって割に2600+年齢だから表しやすいけどね。

まぁ、とにかく時間っていうのは、ま、始まりから、何時が始まりかってことないんだけども無限の過去から無限の未来にわたってずーっと流れていくものだから1本の線の如くですね。

だからそれは1次元の直線だからそれはあの西暦でも皇紀でもいいけれども、ずっとそれで通せば済むんだけども元号だけはですね、天皇の在位期間でその1本の線をぶつ切りにしてね、それぞれの短い線、昭和天皇というのは一番長く元号が昭和であった時代なんですね。
歴史を見てみるとたった1年で元号が変わったとかね。同じ天皇の在位期間なのに元号が変わったとかね。そういうこともあって複雑怪奇でわからないですね。大体は歴史学者でもなければ元和3年とか言われてもそれは西暦いつのことかっていうのは分からないですね。
いっそのことだから、まぁ、キリスト教的な考え方でいいヤダという人もいなくはないけども西暦っていうので一本化したらどうかっていう意見が僕の周りにも結構強いですね。

ま、しかし今日はめでたいと思う感はないか知りませんけども元号が変わった最初の日の放送っていうわけで、これはこれでなんか歴史的な場に居合わせたこのスタジオに居合わせる感慨っていいますかね、そんなものがありますね。
僕はいつも京阪電車っていうのに乗って、京阪三条徹子で降りて三条大橋を渡りながら声くんですが京都はやっぱり元号が似合う街っていいますかね。この古い時代から天皇の御代に応じていろいろな事件が記録記憶されているところですね。

三条大橋っていうのはいつ出来たか正確にはよくわからないと今日、三条大橋の袂にある説明板を見たら書いてありましたが、もう1590年にはあったっていうことだから江戸時代よりも前からあった歴史的な橋ですね。
もちろんその何度も建て替えられているんですけども南西東海道の起点ですから重要な橋なので壊れても壊れてもすぐ国家的な事業として立て直してきた、そして今日ある。今日使われている三条大橋の土台の柱には大昔から使われてもがそのままあるということで、なかなか歴史を感じるそういう歴史を感じる街にいると、新選組がいいつどんな事件起こしたかなんていうのは元号で言ったほうが感じが出るかもしれないけれども。

まぁ、我々のように外国人と接して日本の歴史の一端を紹介しなければいけないなんていうときにはやっぱり元号で言っても分からないんですよね。西暦に換算しなきゃいけない。換算がちょっと元号によって面倒ですよね。昭和の時代はわりに換算係数が簡単だったけども、まぁ平成もやっと慣れたかなと思ったら、今度また新たに変わるっていうんで換算係数、換算のやり方を習熟しなきゃいけないかもしれないですね。
皆さんは、あの「令和」っていう元号を何時どこで聞いたですけかね?

何時ていうのはだいたい発表されたのは4月1日の午前十一時半過ぎぐらいでしたね。僕は、沖縄にいたんですね。
沖縄の美ら海水族館のそばのレストランでいたんですが、誰か携帯見て大声で令和だってさって叫んでいて、みんなあのオーていう声が上がったわけでもなく、なんとなく予想と違ったのか比較的静かだったわけですよね。
発表されたのが4月1日だからもしかするとエイプリルフールかもしれないという気分もなくはないけど、まさかやっぱり天皇の代替わりのね元号発表の日にそれをエイプリルフールの題材にすることはないだろうというんで、みんな冷静に受け止めていたようでしたが、どんな感じで皆さん受けとったんですかねぇ。

僕はちょっとねやっぱりあの違和感があったんですね。
僕だけじゃなくってあの自由民主党の石破茂さんっていう安倍内閣総理大臣の対抗馬だった人ですけども違和感があるって言う感想の述べてましたね。

ちょっとそれも多少違和感があったんだけども、令和のレイっていう時が命令の令っていうイメージがあるから令和ってのは命令には穏やかに従えっていうのは感じとおもえなくはないので、まぁ、国民にじっくり説明する必要があるってなことを言ってました。
僕も、令ってていう字は令夫人とかねどっかのご令嬢と書いときに麗しいとか、美しいとか、この敬うべきっていう意味で使うといい言葉に使うけれども、まぁ一方では戒厳令とかですね命令とか号令とか禁止令とかね、なんか上からが命令するその時に使われる印象があるので令和ってのちょっと、最初に聞いた時におや?っていう感じがしなくもはないですね。まぁその後の世論調査などによると大方の人々が新しい令和っていう元号を受け入れつつあるようだということでありますけれども。

まぁ、あの、そういう議論の他にやっぱり国際化時代の今、元号に頼って年代表記するのかどうかっていう話もした方がいいでしょうね。それに関わって天皇制をどうするかっていうの議論も起こるかもしれませんけども。
これはこれで、なかなか、生まれながら天皇の人と生まれながら平民の人がいるということの持つ不平等みたいな問題は前から言われていますけれども、あまり議論が深まっていない。

で、もう圧倒的多数の国民が平成天皇のそれから皇后の立ち振舞いぶりを見てね場合によっては、ノーベル平和賞候補にしてもいいんじゃないかと言われるぐらい広く受け入れられてきたので、皇制をどうするかなんていう話まではなかなか進んでいませんけれども、そういう問題も考えるのがこの元号が変わる年の特徴かもしれないので、そういうことも話し合っていいのでしょう。

さてこの1ヶ月ぐらい考えてみると、実は4月17日、僕の誕生日の翌日4月16日に僕が79歳になったんですその翌日は長崎にいたんですね。
2007年4月17日に長崎の前の市長の伊藤一長さんっていう人が選挙期間中に長崎の駅前で鉄砲に打たれて暗殺された日なんですね。

僕が名誉館長をやっている立命館の国際平和ミュージアムにはその時市長が着ていた「ワイシャツ」、ピストルで撃たれた銃弾が2つ穴が開いて血が流れた、今は茶色くなってますけど、その痕があるんですが、それも展示してある。
そういう関係もあってご遺族とのつながりもずっとあって、4月17日には長崎であった慰霊式に参加しておりました。
こういう事件というのは事件が起こったときは大変大きな問題。

長崎は市町が2代続けて鉄砲で撃たれているんですけども、平和の街長崎でなぜそういうこと起こったのかですね。
伊藤一長さんってのは核兵器を廃絶するためにとても努力していた人、党派性を超えて努力していた人ですがそういう人がたった2発の銃弾によって命を失って核兵器廃絶のメッセージを発声する道を断たれた。

そのことの持つ重要性は平成から令和の時代になっても忘れてはならないことだと思うんですね。
機会があったら立命館の国際平和ミュージアムにお越しいただくと二階に伊藤一長コーナーがありますのでぜひ見ていただきたいと思います。

では、この令和の時代もよろしくお願い致します。

またお会いしましょうさようなら。

 

 

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