ラジオ番組:平和・原発・ひとりごと 2019年8月号

カテゴリー: 原発関連

ラジオ番組:平和・原発・ひとりごと 2019年7月号

 皆さんこんにちは。平和・原発・ひとりごと7月号をお届けする時間がきました。

 とうとう一年の半分が過ぎ去ってしまいましたけれども、過ぎ去ったことは、過ぎ去ったこととして、残りの半分をできるだけ有意義に楽しくいきたいものだと思います。

 今月7月は、あるちょっとしたイベントがあって、安齋肇くんというテレビのタモリ倶楽部のソラミミストとして知られている人物で、私の甥にあたりますけれども。

 この安齋肇くんが、7月には、京都出町柳のトランスポップギャラリーというところで、個展をやるんですけれどもその中で7月14日、トークイベントを育郎先生とやりたいという申し出がありましてね。いいですよって言ってあるので7月14日午後4時から2時間くらいゆるめのトークイベントということでその割にテーマが「ミラクル」というね、奇跡について。奇跡の起こし方について語りりたいということですが、まぁ、どんな話になりますか出向ける方は、安齋肇の陶芸の作品が展示してありますので是非おいでいただきたいと思います。

 さて、一年が半分終わるとですね、だいたいいつも国際的なシンクタンクで経済平和研究所てところが、どの国がどのくらい平和かってことについてランキングを発表するんですよね。世界平和度指数、グローバルピースインデックスていうんですが、今年も6月12日付で発表されました。

 まぁ、それによると世界全体の平和度は5年ぶりに幾分改善されたということですけども5年ぶりにっていうのは、ずっと下がってきたのが、5年ぶりにちょっと上向いたということですが10年前と比べると、平和度はまだ低い水準に留まっているということで世界はこの十年やはり全体としては平和度が減っている非平和的になっている暴力が勝るような事態になっているということでありますけれども、その度合いが幾分緩和したということであります。世界平和度指数というのはあまり聞いたことないかもしれません。

 まえにもこの番組で話題にしたことがありましたけれどもどの国がどのくらい平和かということを数字で表そうという大胆不敵な試みなんですね。元々イギリスの経済関係の新聞社が戦争や平和や国際関係、それに関する24項目についてのデータを基本的に5段階評価で得点化してそれを総合するものなんですね。24項目っていうのは、1つは戦争の数。よその国、あるいは内線でいくつくらい戦争をやっているか、その国がね。その戦争の数。
 2番目が外国との戦争での死者の数、何人くらい亡くなったか。
 3つ目は内戦によってどのくらい亡くなったか、シリアとかね内戦やってきたわけですが。
 4つ目は内戦の程度。破壊の程度だけではなくて難民がどれくらい出ているのか。
 5つ目は近隣国との関係。これは日本にとっても重要な要素ですが、近くの国々との関係が友好的かあるいは、対立的かということです。
 6つ目は他国の市民に対する不信感。これも日本に関してはけっこう重要で韓国や中国の人々について日本国民はどんな感情を持っているかね、信じているかいないか。
 7つ目には難民の割合ですね。ヨーロッパではなかなか大変。
 8つ目は政治的不安定さ。
 9つ目には人権尊重の程度。
 10番目にはテロの可能性。
 11番目には殺人事件の発生数ですね。
 12番目には暴力犯罪の程度。
 13番目には暴動の可能性。
 14番目には、犯罪収容者の数。牢屋に入っている人の数ですね。
 15番目は警察治安維持部隊の数。どれくらい治安維持の部隊がいるか。
 16番目はGDPに対する軍事費の割合。
 17番目は軍人の数。
 18番目は兵器の輸入量。
 19番目は逆に兵器の輸出量。
 それから20番目は国連の介入度。その国がどうしようもなくなって国連が介入しているか、どのくらい介入しているか
 21番目は国連以外の国々などの介入度。
 22番目が銃兵器の数。
 23番目が小型兵器や携帯兵器の入手しやすさ。ピストルなども含めてですね。
 24番目は軍事力とその精錬度。どのくらい成熟した軍事力を持っているかということですね。軍事力の問題だけではなくて他国との信頼関係とか、犯罪の起こりやすさなども考慮されているということになるのですね。
 

 さて、今回発表された2019年度、今年度のデータによりますと今言った24項目のデータが揃った国が国連加盟国193か国の内の163か国あった。80パーセント以上ですね。84パーセントくらい。

 で、そのうち106か国については、軍事化の程度が下がりつつある。
軍事化が増大した国よりも軍事化の程度が減った国の方が上回っている。
その点で上向いたようでありながら世界の平和度は2008年に比べると、約4パーセント後退しているというわけです。

 ちょっと気になるかもしれない、今年のランキングで1番平和な国はどこかというわけですけれども、第1位は常連のアイスランドなんですね。
そして、それに続いてニュージーランド。南半球の人間のよりも羊が多いと言われてる国。ちょっとこの前テロがありましたけれども。
 3番目がポルトガル。日本とは歴史的に縁の深い国ですね。
 4番目がオーストリア。

 5番目がデンマーク。

 6番目がカナダ。7番目がシンガポール。シンガポール会談ていうのがこの前ありましたですね。
 8番目がちょっと意外かもしれないですけれどもスロベニアという国で、あまり日本人に馴染みがないかな。とても治安のいい国で、第8位に入っているんですね。
 9番目が実に日本ということで、10番目がチェコ。昔はちょえこスロバキアという国でしたが今は2つに分かれて、チェコという国になっていますが、10番目まではここまでですね。

 有名な国々がどのくらいのランクにあるかっていうのを気になるかもしれないので、照会しておくと隣の韓国が55位。去年47位だったんですけれども、ちょっと下がっているんですよね。
 そのお隣の中国は何位かというと110位。ちょっと順位は上がったとは言いながら100位以下なんです。
 アメリカっていうのは世界最大の軍事力を持った国だけれども、ここはその軍事力に守られてさぞかし平和かというと平和度は128位ですね。何時もアメリカは110位から120位くらいの間を低迷しておりまして、軍事力をいっぱい持っていれば平和になというわけでもないということですよね。

 ちょっと気になる北朝鮮は、どれくらいかというと149位でして、ちょっと上がったけれど163か国の内の149位に位置されています。ちょっと意外かもしれないけれども、ロシアっていうプーチン大統領率いる大国があるんですけれども、ここは実に北朝鮮よりも下で154位なんですよね。

 160位以下になりますと、160位がイエメン。161位が南スーダン。日本が自衛隊を派兵して撤退した国ですけれども。
 162位がシリア。内戦があって難民がいっぱい出た国ですよね。
 そして、びりの163位。これ去年は、シリアが163位だったんですが、今はアフガニスタン。アフガニスタンが1番平和でない国ということになっております。
 

 そういうことで日本は一応9位につけておりますけど、日本の平和度ランキングの推移、どう変化してきたかということを見ていきますと、2010年2011年ごろには、3位だったんですよね。日本は世界でね。それがどんどん、今の内閣になって以降、下がってきて5位、6位、8位、10位、9位という風に推移していて、ちょっと相変わらず低迷しているという感じですね。
 ただ、世界のGDPの高い資本主義国でありながら10位以内にいまだに留まっているというのは他の国々のランキングと比べてみるときにまだけっこう高いと感じるでしょうね。
 この比較的高い平和度を今後も維持できるかというのは、ひとつには日本国憲法が歯止めになっているというのがあるので、これの精神を維持できるかというのが1つ大きいですね。
 それからさっき24項目の中に、隣国との関係というのがありましたね。韓国と日本、あるいは中国と日本の間の関係がややあやういですね。
 いろいろ言い争いがあったり、軍事的な事実関係について意見の食い違いがあったりしている。
 それから、過去の戦争に関して慰安婦問題とかね、徴用工の問題があったり、中動きうとの関係の中でも尖閣の問題などを巡ってちょっと対立感情がある。沢山観光客が中国や韓国から来ているにもかかわらず、国と国との関係としてはいまいちしっくりしていない。この間、悪化した面があって、そのせいもあって今まで3位だったものが、今は9位にまで下がってきているということですね。
 

 これは国だけに任せている問題ではなくて民間の一市民として我々も隣国との関係を改善するべく、来たお客さんはそれこそおもてなしの心でもてなして、これからも仲良くしていく道をさぐっていきたいものだと思っています。

 そういうわけで7月も楽しく暮らしましょう。
 また来月おめにかかります。

 さようなら。

カテゴリー: 原発関連

ラジオ番組:平和・原発・ひとりごと 2019年6月号

みなさんこんにちは。安斎育郎 平和・原発 ひとりごとの時間がやってまいりました。もう6月ですよね。6月ってことは1年の半分経とうとしているということでなんだか早いような気もいたします。

この番組は僕の「ひとりごと」なんだけど、ひとりごとの字は一人二人の一人に言葉っていうふうに書くこともあるし、独立の独に送り仮名「り」をおくって、そして言葉の言で独り言って書くこともありますね。前者の一人二人の一人言の場合は、1人ぼっちとかね。そういう感じで寂しい感じがしますが、独立の独の方を使うと独りでいも、独自の独立した個人として何か発信してるっていう感じがして、僕はこの独立の独の方を書く方を好んでいますけれども。

今月もまた、ちょっと最近経験したことを踏まえてご報告したいと思います。

実はですね、ごく最近、韓国への5日間の旅に行ってきたんですれども、タイトルは仰々しいんですが「安斎育郎先生同行 平和のための博物館国際ネットワーク協賛 植民地歴史博物館と光州を訪ねる韓国5日間の旅」って言うんで、長い長い名前がついてるんですよね。 安斎育郎先生同行っていうのはえー何か安斎先生が行くと人集めに貢献するのか、そういう名前が付きました。
その次にちょっと変わってて「平和のための博物館国際ネットワーク協賛」って言うわけですよね。
まあ韓国にある、いろいろな平和関係の博物館をひと巡り5日間でするにあたってその国際的な平和博物館のネットワークの代表を務めている
安斎育郎が色々と協賛して協力した、そういう旅なんですね。

で、タイトルにあった「植民地歴史博物館と光州を訪ねる韓国5日間の旅」っていうんですが、植民地歴史博物館っていうのは去年ソウルに出来たばっかりの博物館市民たちが作った博物館なんです。韓国は1910年目時43年からね日本の植民地になって戦争が終わるまで、ずっと日本の支配下にあったんですね。その間韓国の人々は日本植民地主義政府のまあ圧制・圧迫を受けてですね、とても苦しい生活を強いられたんですね。ちょっと政府に反抗的な活動する人などは牢にに封じ込められてその労務をですね、この植民地歴史博物館にも再現されていますけれども、一人だけ入れる牢があって、しかもずっと立ってなければいけない。座るスペースがない。立っている牢
とかですね、それはそれはかなり過酷な刑科した。そういう支配体制のもとで韓国人を日本植民地政府の言いなりにして支配したんですね。
そして、ご承知だと思いますが創氏改名って言って韓国人が韓国語の名前を
名乗ることを許さないで名前を変えさせた。前もとりあげましたけども尹東柱っていう韓国の国民的な詩人がいて、あの時代に日本の立教大学に留学したの1941年ですね。

また日本の植民地支配が続いている時代でしたけれども、その時ユンドンジュも平沼東中という名前で日本に来たんですね。ユンって言う名前、伊藤さんの伊っていう字のにんべんをとった字ですけど、ユンさんその名字を名乗ることを許されずに平沼って言ったんですね。ドンジュっていうのは東の柱って書くんですけども、それをドンジュと読むことを禁止されて、東中ってな日本語読みしたんですね。平沼東中という形で日本では学生生活を送っていたんですが、まぁ、この人もやがて京都の同志社大学に留学して、その間にいとこのソンモンギュなどと朝鮮語で話してたところを朝鮮語で話すことも禁止されたんですが朝鮮独立運動の共謀とみなされて治安維持法違反で逮捕されて、懲役2年福岡の刑務所に送られてそこで妙な注射を繰り返された挙げ句の果てに27歳で亡くなったんですが、その尹東柱が日本にいる時に最後に写真に姿を止めたのが私が住んでいる宇治川の辺だったので、その宇治川の辺に尹東柱の記念碑を作ったんですね。そういうひどい植民地時代の体験というのが、この最近できたばかりの植民地歴史博物館には様々な形で展示されていてこの博物館は人々の寄付によって出来ましたけれども日本の多くの人々も寄付をしておりました。その寄付者の名簿が入り口の壁にずっと刻まれておりました。で 、それからもう一つ行ったのが光州ですが、光の州て書きますね。グワンジュというふうに韓国では呼びますけれども。ここは御承知と思いますね。これは戦後、1980年の5月18日にチョンドファン政権、日本では全 斗煥とこう言ってましたけれども。ここが民衆の民主化運動を弾圧したんですよね。とてもひどい。まあ社会運動などをやる自分の敵とみなされる勢力は片っ端から逮捕したキムデジュンのちに大統領になった人なども逮捕されてですね。それから学生運動などをやってる人を徹底的に弾圧したんですね。

そして、その1980年の5月18日に光州の全南大学で発火点となった民衆のデモ、これに対して武力弾圧を加えましてね。大変大きな被害を出したんですね。その光州。光州事件という名で呼ばれている民衆の韓国民主化運動の様相がどうだったのかということですね。資料館や研究所や518財団など訪ねてきたんですけれどもそういう旅なんですね。

なかなか過酷な旅でありました。
朝から夜までですね1日平均1万歩くらい歩きます歩きますといっても博物館見ている時は皆歩かない。博物館の壁に向かって展示を見ているわけだから歩かないでずっと立ってる。立ってるだけでも疲れますよね。

それでも1日、まあ1万歩ぐらい歩いてるわけだからこれはこれで大変過酷な旅でした。

どんな人が行ったかっていうとまあ定員35人めいっぱい。もう開くのを待っている人がたくさんいるくらいの人気の旅計画でしたけれども、北海道から与那国島までですね、35人。老若男女って言いたいとこだけども
だいたいローローローローかな?

平均年齢は多分70歳ぐらいかもしれない。

わたしが79歳ですからね。
高齢者集団っていうのは旅をすると体調崩したりするので心配されるんですが、驚くべきことにっていうか、幸い一人の落伍者もなく帰ってきたんですね。

初日の5月16日ですがこれはまさに、まあ関空からあるいは東京方面

から来る人は成田から飛行機に乗って、仁川空港韓国の仁川空港ですね。
そこに全員集まってここで初めて顔合わせをしたんですね。

行く飛行機の中でですね、まぁ9時半頃朝発って、まぁ昼前に着く便だからきっと軽食が出ると、それでお昼はそれでいいだろうと旅行会社もおもっていたんですが実際でた軽食が軽軽食って言うんですね。

とっても軽いので向こうに着いたときいう旅行会社これはこのまま昼飯抜きで夕方まで行動したら、初日にして反乱が起こる可能性があるってんでねインチョン空港からソウルのその植民地歴史博物館に向かう間に臨時に朝鮮の韓国の料理屋さんに入ってうどんを食べたんですね。はなかなか気の利いたあしらえですよね。そしてこの植民地歴史博物館に行きますとねそこにはキムヨンファンっていう人物が待っておりました。キムヨンファンさんっていうのは韓国の人ですけれども、日本に長いこといて日本の平和博物館、特に四国の高知県にある草の家という平和博物館のためにずっと働いていた
日本語が僕よりうまいかもしれないってほどうまい人なんですね。で、この人が解説してくれました。
それはそれは見事な日本語で、えぇまぁさっき言ったような日本が植民地支配していた時代の様子を話してくれました。そしてその次の日は安重根て知ってますかね?
昔千円札にあったり伊藤博文という人を暗殺した、まあ朝鮮人で安重根
という人がいるんです。朝鮮ではこの植民地支配していた。その指導者である伊藤博文を暗殺した安重根が英雄なんですけれども。それに関する資料館を見た後、光州にに移動したんですが新幹線の中でもこの集団は勉強を続けましてね。

僕が平和学の基礎を新幹線の中でずっと喋りまくる。そして光州に行って光州事件さっき言った光州事件の傷痕ですね。
そしてその光州事件によって韓国の民主化運動がどんど激しくなっていって1987年にはもう一つの事件が起こりましてね。この光州事件をきっかけとした民主化運動の中で更に政府に対する抵抗運動したパクジョンチョルさんという人が拷問の果てに殺されるんですね、1987年。

その殺されたことに際して 抗議行動もさらに起こって、イハニョルっていう人がその抗議行動の中で催涙弾を頭に受けて死ぬんですね。それに対してさらに抗議行動が全土で何百万人のデモ行進となって起こって、今日の民主化運動のエネルギーとなってきているんですね。

そういうありさまを5日間でたっぷりと見てきたんですね。まあ、あの日本の植民地支配の傷跡それに対してはいたたまれない気持ちになりますけれども、そういうものを引き摺りながら、それからアメリカの後ろ盾でかなり抑圧的な政治をやってきた戦後の韓国社会、それを何とか変えようと思って光州事件を皮切りに韓国の人が今、懸命に民主化に取り組んでいるその最中であるという思いを非常に強くしてまいりました。

今日本と韓国の仲が悪いとか言われていますけれども、政府レベルやマスコミではそういう事ですが行ってみるとそんな感じを受けた人はおそらく一人もいないと思う。民衆のレベルではお互いに打ち解けて交流していけるそういう素地のあるそういう歴史を持った両国ですね。これからお互いのそういう歴史にも理解を深めながら、隣国としてね、この東洋の平和のためにですね、いっそう共同して努力していきたいものだというふうに思いました。

それではまた来月にお会いしましょう。

さようなら。

カテゴリー: 原発関連, 平和関連

ラジオ番組:平和・原発・ひとりごと 2019年5月号

皆さんこんにちは。「安斎育郎 平和 原発 ひりごと」の時間ですが、今日は実に元号が変わって最初の「令和-REIWA」元年の初日ですね。

元号というのは、ちょっと不思議な年代の表し方でね。世界中探してもこういう制度を持っている国は今はもうないですね。
日本で年代を表す方法は、まぁ、2つ余りあるんですね。まぁ、正確にいうと3つと言ってもいいと思うんですけども、例えば、安斎育郎さんが生まれたのは1940年っていうふうに西暦でいうこともできるし、昭和15年というふうに元号でいうこともできるし、もう一つが戦争の時代までは使われたのは皇紀2600年、皇紀のコウっていうのは皇太子のコウ、キは紀伊半島の紀、紀元前の紀ですね。皇紀2600年。

だから僕が生まれた年を指定するには、1940年といってもいいし昭和15年といってもいいし、皇紀2600年といってもいいっていうわけですね。うーん世界的に見るとやっぱり国境を越えて通用するためには好むと好まざるとにかかわらず西暦で表すのが習わしになっています。

西暦1940年といえばどこの国に行っても大抵通じる。そのままですね。
ところが昭和15年っていうふうに言ったんではですね、あのオーストリア行って、昭和15年生まれですって言ったんじゃ、いつの生まれかっていうこと、西暦でいうと何年?というふうに聞き返されますよね。おまけにこの国では紀元前660年に起源をもつ皇紀っていう表し方があってね。
私はちょうど皇紀2600年に生まれた。

前もちょっといったかもしれませんけれども、この皇紀で表した2600年の下2桁目00ですよね。
で、この年に開発された艦上戦闘機、日本の戦争でよく使われた戦闘機零戦っていうのがあるんですが、この零戦の0という数字は皇紀2600年に開発された下二桁の0をとって名付けられたんですね。
だから昔の人には皇紀何年という表し方も意味があったことは確かですね。

今年は何年かって言われれば、ええまあ、西暦で言うと2019年っていうことですけれども元号が平成31年から令和元年に変わったわけね。
皇紀で言うと何年かというと、2679年。なんで、そんな皇紀をスラスラ言えるかというと僕にとっては、2600年生まれだから、2600の後に自分の年齢を付け加えるとそれで皇紀になっちゃうので、今79歳だからね。
2679年という風に言えるわけですよね。

さてどうでしょうね、まぁ、国際化がこれだけ進んだ社会において未だに元号っていう天皇の在位期間にだけ通用する、そういう年代の表し方を使うことが便利かどうかという点で見ると、お役所などやってる人にもですね、いちいち 元号が変わるたびに証明書を発行するときの年代表記を全部改めなきゃいけないとかいうんで、大変にお金もかかるし面倒でもあるから、もういっそ西暦にしてほしいという人もたくさんいるんですね。

で、日本人で元号で歳を表してる人っていうのは、まぁ、2割ぐらいしかいないっていうふうに言われていて、だいたい6割の人は西暦を使っているんですね。さすがに皇紀を使っている人は滅多にいないですね。

ですけども、いないなくはないんですけども。私にとって割に2600+年齢だから表しやすいけどね。

まぁ、とにかく時間っていうのは、ま、始まりから、何時が始まりかってことないんだけども無限の過去から無限の未来にわたってずーっと流れていくものだから1本の線の如くですね。

だからそれは1次元の直線だからそれはあの西暦でも皇紀でもいいけれども、ずっとそれで通せば済むんだけども元号だけはですね、天皇の在位期間でその1本の線をぶつ切りにしてね、それぞれの短い線、昭和天皇というのは一番長く元号が昭和であった時代なんですね。
歴史を見てみるとたった1年で元号が変わったとかね。同じ天皇の在位期間なのに元号が変わったとかね。そういうこともあって複雑怪奇でわからないですね。大体は歴史学者でもなければ元和3年とか言われてもそれは西暦いつのことかっていうのは分からないですね。
いっそのことだから、まぁ、キリスト教的な考え方でいいヤダという人もいなくはないけども西暦っていうので一本化したらどうかっていう意見が僕の周りにも結構強いですね。

ま、しかし今日はめでたいと思う感はないか知りませんけども元号が変わった最初の日の放送っていうわけで、これはこれでなんか歴史的な場に居合わせたこのスタジオに居合わせる感慨っていいますかね、そんなものがありますね。
僕はいつも京阪電車っていうのに乗って、京阪三条徹子で降りて三条大橋を渡りながら声くんですが京都はやっぱり元号が似合う街っていいますかね。この古い時代から天皇の御代に応じていろいろな事件が記録記憶されているところですね。

三条大橋っていうのはいつ出来たか正確にはよくわからないと今日、三条大橋の袂にある説明板を見たら書いてありましたが、もう1590年にはあったっていうことだから江戸時代よりも前からあった歴史的な橋ですね。
もちろんその何度も建て替えられているんですけども南西東海道の起点ですから重要な橋なので壊れても壊れてもすぐ国家的な事業として立て直してきた、そして今日ある。今日使われている三条大橋の土台の柱には大昔から使われてもがそのままあるということで、なかなか歴史を感じるそういう歴史を感じる街にいると、新選組がいいつどんな事件起こしたかなんていうのは元号で言ったほうが感じが出るかもしれないけれども。

まぁ、我々のように外国人と接して日本の歴史の一端を紹介しなければいけないなんていうときにはやっぱり元号で言っても分からないんですよね。西暦に換算しなきゃいけない。換算がちょっと元号によって面倒ですよね。昭和の時代はわりに換算係数が簡単だったけども、まぁ平成もやっと慣れたかなと思ったら、今度また新たに変わるっていうんで換算係数、換算のやり方を習熟しなきゃいけないかもしれないですね。
皆さんは、あの「令和」っていう元号を何時どこで聞いたですけかね?

何時ていうのはだいたい発表されたのは4月1日の午前十一時半過ぎぐらいでしたね。僕は、沖縄にいたんですね。
沖縄の美ら海水族館のそばのレストランでいたんですが、誰か携帯見て大声で令和だってさって叫んでいて、みんなあのオーていう声が上がったわけでもなく、なんとなく予想と違ったのか比較的静かだったわけですよね。
発表されたのが4月1日だからもしかするとエイプリルフールかもしれないという気分もなくはないけど、まさかやっぱり天皇の代替わりのね元号発表の日にそれをエイプリルフールの題材にすることはないだろうというんで、みんな冷静に受け止めていたようでしたが、どんな感じで皆さん受けとったんですかねぇ。

僕はちょっとねやっぱりあの違和感があったんですね。
僕だけじゃなくってあの自由民主党の石破茂さんっていう安倍内閣総理大臣の対抗馬だった人ですけども違和感があるって言う感想の述べてましたね。

ちょっとそれも多少違和感があったんだけども、令和のレイっていう時が命令の令っていうイメージがあるから令和ってのは命令には穏やかに従えっていうのは感じとおもえなくはないので、まぁ、国民にじっくり説明する必要があるってなことを言ってました。
僕も、令ってていう字は令夫人とかねどっかのご令嬢と書いときに麗しいとか、美しいとか、この敬うべきっていう意味で使うといい言葉に使うけれども、まぁ一方では戒厳令とかですね命令とか号令とか禁止令とかね、なんか上からが命令するその時に使われる印象があるので令和ってのちょっと、最初に聞いた時におや?っていう感じがしなくもはないですね。まぁその後の世論調査などによると大方の人々が新しい令和っていう元号を受け入れつつあるようだということでありますけれども。

まぁ、あの、そういう議論の他にやっぱり国際化時代の今、元号に頼って年代表記するのかどうかっていう話もした方がいいでしょうね。それに関わって天皇制をどうするかっていうの議論も起こるかもしれませんけども。
これはこれで、なかなか、生まれながら天皇の人と生まれながら平民の人がいるということの持つ不平等みたいな問題は前から言われていますけれども、あまり議論が深まっていない。

で、もう圧倒的多数の国民が平成天皇のそれから皇后の立ち振舞いぶりを見てね場合によっては、ノーベル平和賞候補にしてもいいんじゃないかと言われるぐらい広く受け入れられてきたので、皇制をどうするかなんていう話まではなかなか進んでいませんけれども、そういう問題も考えるのがこの元号が変わる年の特徴かもしれないので、そういうことも話し合っていいのでしょう。

さてこの1ヶ月ぐらい考えてみると、実は4月17日、僕の誕生日の翌日4月16日に僕が79歳になったんですその翌日は長崎にいたんですね。
2007年4月17日に長崎の前の市長の伊藤一長さんっていう人が選挙期間中に長崎の駅前で鉄砲に打たれて暗殺された日なんですね。

僕が名誉館長をやっている立命館の国際平和ミュージアムにはその時市長が着ていた「ワイシャツ」、ピストルで撃たれた銃弾が2つ穴が開いて血が流れた、今は茶色くなってますけど、その痕があるんですが、それも展示してある。
そういう関係もあってご遺族とのつながりもずっとあって、4月17日には長崎であった慰霊式に参加しておりました。
こういう事件というのは事件が起こったときは大変大きな問題。

長崎は市町が2代続けて鉄砲で撃たれているんですけども、平和の街長崎でなぜそういうこと起こったのかですね。
伊藤一長さんってのは核兵器を廃絶するためにとても努力していた人、党派性を超えて努力していた人ですがそういう人がたった2発の銃弾によって命を失って核兵器廃絶のメッセージを発声する道を断たれた。

そのことの持つ重要性は平成から令和の時代になっても忘れてはならないことだと思うんですね。
機会があったら立命館の国際平和ミュージアムにお越しいただくと二階に伊藤一長コーナーがありますのでぜひ見ていただきたいと思います。

では、この令和の時代もよろしくお願い致します。

またお会いしましょうさようなら。

 

 

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ラジオ番組:平和・原発・ひとりごと 2019年4月号

皆さんこんにちは。平和原発ひとりごと。
2019年の新年度も続けますので、よろしくお願いします。

桜の咲いて、まぁ、この花は散り急ぐように散っていく、出会いと別れのはかなさみたいなものを同時に味わうこの季節ですけれども。
卒業された人、あるいは入学した人、そういうお子さんをお持ちの方もたくさんおられると思います。

今日このスタジオに来る時にいつもより15分ぐらい遅く着いたんですが京阪電車、いつも乗ってくる電車で人身事故があったってことで、全線が遅れているようでした。
春休み人がたくさん出ておりますので、ホームの混雑などで、思わぬ人身事故が起こったりしないように、どうぞ気をつけてこの季節を楽しんでいただきたいと思います。

4月になると何故か、年度が変わるっていうんですよね。

1年の年度は日本では4月から始まって3月に終わるんですね。
なじかは知らねどってわけですね。アメリカの9月から始まって8月に終わるとか。
国によって年度っていうのもちょっと違うんですね。

それに奇妙なことにカレンダーを見ると大体のカレンダーが日曜日から始まって月間水木金土となってるんですが、1週間の始まりは日曜日なのかなと思うと
「この週末どっか行かない?」っていう時の週末は土日を指してることも多いので、日曜日が1週間の終わりのような気もするんだけど、だけどカレンダー見ると曜日から始まってるっていう。
これも歴史的にいろんな面白い物語りがあるんですけれども、普段何気なく見ていることが実はそこに深い歴史的な事情が隠されたりしてなかなか興味深いものですね。

最近経験したことをお伝えしたいと思いますけども「平和・原発ひとりごと」ってことでどうしてもそういう問題に偏りますけども実は、3月の21日にですね。
お彼岸の日で世間一般はお休みでしたけども私はあるん集会に呼ばれましてね。
そこでトークセッションといいところで、まぁ難しいことですが核兵器禁止条約の意義と課題について5分間で話せっていう、そういう要求を受けたんですね。

この集まりはコリアン・ワールドっていう財団が主催したところで、基本的には朝鮮通信使というのが18世紀江戸時代にあったんですけども、朝鮮からいろいろな情報もたらした通信使。

この歴史は大変貴重なものだっていうんでユネスコの記憶遺産、世界記憶遺産に登録された。
2017年に登録された。そのことを記念する集まりんだったのと、もう一つは日本と韓国に日韓パートナーシップ宣言っていうのが1998年になされてから20周年を迎えたってことで、そのお祝いもかねて日本と韓国の関係者がで参加して盛大に行われたんですね。
その記念公演は千宗室(せんそうしつ)さん、千利休のずっと末裔にあたる方で、茶の湯、チャ道とかサ道っていますが、その世界ので大御所ですね。
大宗匠っているんですけども、宗室さん96歳にして1時間立ちっぱなしで情熱的に聴衆に語りかけました。

なんでそんなに元気なのか、ちゃんと千宗室さんは講演の中で、「お茶のせいだ」と言ってましたけれども、「カテキン」とかいろいろ言ってましたが、もともとお元気なDNAの持ち主なのに、3人世界を飛び回って英語も駆使してお話になってる。いかにも元気をいただきましたね。
それからやってお茶精神については、さすがに学ばせられることがたくさんありました。

その後、大総長の記念講演1時間に続いて、トークセッションってのがありまして、我々5人がですね、それぞれの与えられたテーマについてで、10分以内。5分から6、7分ですね。

お話しなさいっていうことなんですが、日本と韓国の間で共通の関心になってるようなテーマを、それぞれの専門家、例えば京都ユネスコ協会の相 大二郎会長、あるいは京都精華大学のウスビ・サコ学長、アフリカのマリ共和国から来られた学長ですけども、
それぞれの方が、それぞれのテーマについて話すこと求められたんで、私は何を話すかと思ったらば、まあ朝鮮半島の非核化の問題が今米朝間で問題になっているおりがらですね。

核兵器禁止条約について話しなさいってことだったんですよね。

ご承知と思いますけど核兵器禁止条約っていうのは2017年の7月7日七夕様の日ですね。
国連で122対1対1参戦120に反対1棄権1っていう大差で採択された条約です。
ところが国連で条約が採択されてもそれは条約として有効性は持たないので、それぞれの国々が国へ持って帰って、それぞれの国の民主的な手続きで国としてその条約に参加するかどうかっていうのを決めなきゃいけないですね。

それを批准っていうんですよね。

で、この核兵器禁止条約。核兵器を作ったり保存したり配備したり使ったり、譲渡したりすること一切を禁止する徹底的な条約でこれができるっていうのはものすごい画期的なことなんですが、これを批准する国が50カ国に達したら、その3カ月後にこの条約は発行する効力持つってことになってるんですね。

今日現在ですね、ベトナムとかタイとか南アフリカとかキューバとかニュージーランドとか含めて22カ国が批准しております。

もう少しと見るか、またそれだけかと受けとめるか、両方の見方がありますけれども、とにかく核兵器を廃絶するっていうのは、広島・長崎で核兵器の使われて以来、ずっとみんなの願いであり続けてきましたけれども、なんかこの夢の夢みたいで、アメリカとかロシアとかイギリスフランス、中国、イスラエル、インド、パキスタン、北朝鮮、次々と核兵器持つ中で核兵器を禁止するなんてことはできるのかなっていう思いもありましたけれども、

ついに国連というね、圧倒的多数でこれが採択されたということで、ちょっと希望が出てきたんですね。

明石康さんって昔、立命館大学の名誉教授を客員教授やっておられた方で、国連の事務次長として活躍した人がいましたけども、この明石さんが演説の中でこういったんですね

「Idea today will become a reality tomorrow」

今日の理想は明日の現実になるっていう意味ですね。なかなかいい、名言だと思いますけども。

まさに核兵器禁止条約が国連で採択されたそのことによって、夢のまた夢だと思ってたことが目の前の現実としてわれわれの視野に捉えられてきたいうことですね。
そしてどんな話をそれに付け加えたかっていうと、原爆あるいは核兵器っていうとすぐ広島、長崎を思いだして、日本は世界で唯一戦争で核兵器による被害受けた唯一の被爆国ってよく言うんですけどもね、果たしてそうかっていうことですね。

あの頃、朝鮮は日本の植民地だったんですね。
1910年明治43年に日本が朝鮮植民地化してから朝鮮の人々は日本政府の戦争政策の中で沖縄戦などにも動員されたし、たくさん労働者としても徴用工っていう問題が今問題になってますけども、日本に来ていたんですね。
広島、長崎にもたくさんの朝鮮半島出身の人いたので何万人っていう原爆被害者を出したんですね。
だから、決して日本人だけが原爆の被害受けたわけではない。朝鮮韓国の人々も大量に核兵器の被害を受けた。だから今、被爆者たちが被爆者国際署名、原爆被爆者は核兵器の廃絶は廃絶を心から求めますという署名運動が、何千万なんていう規模で展開されようとしてるんですがその呼びかけには日本の被爆者3人に加えて韓国被爆者協会の名誉会長なども名を連ねているんですね。

日本と韓国の間には今いろんな問題がありますし、或いは原爆投下の意味についても日本人は確かにそれに先だってアジア太平洋にいろいろな加害行為、侵略行為などをしたというう前歴はあるんだけども、たとえそういうう加害の前歴があるにしても、核兵器だけは戦争で使ってはならないっていう思いを持っているんですが、韓国とか中国の人からみると日本帝国主義による植民地支配あるいは、侵略そういうものにとどめを刺したあの核兵器は韓国や中国を開放するための必要な核兵器だったっていうふうに見る向きもあるんですね。

だから原爆投下思った意味についての解釈に違いますし、今現在われわれの目の前には慰安婦問題や徴用工問題や竹島独島の問題などいろんな見解の違いはあるけれども、しかし日本人も韓国人も原爆によって被害を受けてその被害を受けた結果として戦後社会で人生にとんでもな災害を味わなければならなかったという事実だけは確かなんですね。

だから、原爆投下の意味については今後とも意見交換していくにしてもですね、日韓の枠組みを超えて核兵器による非人道的な被害、これについては体験した人々が共通の声あげてですね、核兵器禁止条約がこのできたこの機会にですね。それに加わってない核保有国やその核保有国の傘の下に守られてるっていうふうに思ってる日本や韓国やドイツはこの条約に背を向けてるんですけども、それをさらに一歩進めるためにですね。
日韓両国の国民がともに核兵器被害核兵器の非人道性を体験した民族としてですね、おおいに声を合わせて世界に発信していくべきではないか、そんなお話しました。

そのときついでに、実は広島に原爆の10日された昭和20年、1945年8月6日の2週間ぐらい前までは、実はここ京都が原爆投下の第一目標であり、投下目標が今、鉄道博物館の中に機関車の円形転車台ですが、そういった形で保存もされているので、機会があれば鉄道博物館を訪れてみて下さいって、この番組でもお話ししたことですけど。

韓国の人もよくそのことはご存じないしね。
京都人でも知らない人が多いので、そのことについても触れておいたところであります。

その後も、私は長野県の満蒙開拓平和記念館をなどを訪れて忙しく過ごした3月でしたけども、4月以降も引き続きできるだけ健康でがんばりたいと思いますのでまた来月もお会いしたいと思います。

さようなら。

 

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ラジオ番組:平和・原発・ひとりごと 2019年3月号

以下、放送聞き取りテキストです。

皆さんこんにちは。

ええ安斎育郎 平和 原発 ひとりごとの時間がやってきました。もう三月ですね。

一年のうちの四分の一のコーナーをことにさしかかろうとしています。

外はまだなんとなく肌寒い日もありますが、日差しがだんだん暖かくなりましてね。

私は宇治市に住んでいるんですが平等院まで歩いて十五分ほどのところに住んでますけどもJR奈良線っていう京都と奈良を結んでいる路線はよく使っています。その途中に桃山って駅がありましてね。その途中に桃の花が満開ですね。もう春が来たなっていう感じです今日も、京阪三条駅で降りてこのスタジオまで歩いてくるんですが。

いつものように駅伝発祥の地っていう碑が立っているところをやってくるんですけども、鴨川を渡ってしばらくずっと高瀬川っていう川がありましてね。森鴎外っていう作家に高瀬川という作品がありますけども、その横を見ると佐久間象山遭難の地とかね「さくましょうざん」っていう人もいると思いますが。

実際は象山です。そう佐久間象山遭難の碑とか大村益次郎そうなんの日とかね。いろいろ十京都には史跡が山ほどありますね。

でそういうのを一つ一つ見ながら歩いてるととても時間掛かりますが、大体興味関心が旺盛のほうなもんだから福島の調査へいっててもスタスタと放射線だけ測ってればいいという気分にならないでね。

そのところところにお寺とか記念碑とか、開拓する記念日とかそういうものの前で足を止めるもんですから、調査仲間から見るとちょっとやっかいな調査員かもしれませんけれども、その分報告書にはそういうものも載せるので一月二十四日から二十六日まで行った時の報告書つい一週間ぐらいにできましたが四十二ページ埋まって、それは放射能の測定結果だけじゃなくてそういう景色とかどんな花が咲いているかとか、そんなこと書いてあるっていうところであります。それで七十八歳ええだんだん枯れつつあるもののやっぱり感性はなるだけ豊かにね研ぎ澄まして四季折々を感じたいものだと思っています。

さて今日はですね、ちょっといつもと違って平和原発ひとりごとっていう番組だけどもちょっと離れて。

あることを紹介したいと思うそれNHKに文化センターっていうところの京都教室。

NHKでやってる文化センター京都でやってる教室。そこに四月から私の新しい講座が開かれましてね。タイトルが育郎先生の知る楽しみ1、だます心、だまされる心っていうんですよね。

ええ安斎先生じゃなくて育郎先生というふうに親しみを込めてタイトルをつけてくれたんですが、だます心、だまされる心。

全六回四月から九月にかけて展開されるんですけども。

これについてちょっと紹介したいと思います。

NHK文化センター、今日このスタジオから歩いて十五分ぐらいかな?のところにあるので近い。ちょっと近いんですけれども。

そこでものすごくたくさんの講座が開かれてましてね。その中の一つに入れてくれてね。だます心、だまされる心っていうんで全六回を展開しようっていいうわけですね。

なぜNHK文化センター京都教室とご縁があったかっていうと昨年の八月一日にNHKから相談受けたんですね。「京都と戦争」ということで何か講座を組みたいっていうんですね。八月っていうと戦争を考えるのに、時期といえば時期ですね。

八月十五日が昭和二十年八月十五日、昭和天皇がもう戦争はやめますというラジオの放送した日ですね。

それで何となく八月になると、広島、長崎のこともあり平和とか核兵器の問題とかで日本中がいろいろなつどいが開かれてるんですね。でNHKとしては何か「京都と戦争」ってことでやりたいと。

事前に相談があった時に京都と戦争でどんなテーマがあるでしょうか?って言われたので、僕は二つあげまして、一つは「京都と原爆投下計画」あまり広く知られてないみたいだけど京都は、

原爆投下の第一目標だったんですね。広島に実際には最初の原爆が投下されたけどもその前、十日ほど十日あまり前、二週間ほど前までは。

それから「京都と戦争」っていったら欠かせないのは、やっぱり応仁の乱ですよね。ちょっと古いけど、もう十年以上にわたって首都、京都がですね内戦にまみれて死屍累々たるありさまになった。世界でもそう無いことだからで京都と戦争を語るのには応仁の乱は欠かせないのではないかってわけですね。

それでいいんそうことにしましょうっていうことになって、で京都原爆投下計画は私が担当して応仁の乱人のほうはですね、別の歴史の先生で新しい観点から京都応仁の乱について現在的に論じられる先生にやっていただくってことで、それでご縁を結んだんですね。

京都原爆投下計画にも何十人かの受講者の方がお見えになって、外国人など相手にボランティアガイドをしている女性など来ていただいたんですが、やっぱりあまり京都が原爆投下の第一目標だった、それは今の京都駅のすぐ近くにある鉄道博物館の中にある転車台、列車の方向を変える回転テーブルみたいなものがあるんですが今でも残ってますが、そこがその狙い目だったっていうことを歴史的事情を含めて細かく紹介したんですが、そんなこと知りませんでしたっていうんで、その後やっぱりこのラジオ局の界隈などにやってくる外国の方、特に原爆を投下したアメリカからの観光客に京都が原爆投下の第一目標だったって知ってる?っていっても知らないって今こんなんすばらしい街を原爆で破壊するなんていうそんな計画があったのかって、どこの国だ?ってわけですが、じつはあなたの国のことだけども。

原爆落とした方のひとも落とされた方の国のひとも、もうあまり京都原爆投下計画は知らないんですね。

どうしましょう?ってわけで少し詳しく紹介したんですね。

で、それがご縁となって、じゃあ先生で語りぶりもなかなかおもしろそうだから別のテーマで、来年はシリーズでやって下さいっていうんで、話が持ち上がったのが、だます心、だまされる心。

これ実は何年か前にNHKのテレビで全八回でてテレビでやったんですよね。

同じタイトルでテレビでやったんですよね。
一回二十五分番組でしたけれども、なかなか面白かった。
で一番最初の回は祇園のワインバーを借り切りましてね。まぁ、十二月に撮影しましたけれども朝七時ごろにワインバーに集まるように言われて、しかもタキシードかなん着てこいってんですね。

それでワインバーで、僕はてタキシードを着て手品をやる画面から始まったんですけど。もうんまさに騙しと言うと手品というとになってるんで、そこから話に始まりまして、今度のお盆四月八日お釈迦様の誕生日に第一回目でNHK文化センター京都教室をやるんですが、トリック人為的な不思議現象ってんで、うん。

僕いくつかの手品を演じることにしています。
手品は僕は中学一年生から趣味にしてるので、それから東京大学の学生のころは大三代奇術愛好会会長やってましたのでね、ええで今も国境なき手品師団の名誉会員をやってるので、手品はお手のものなんですけれども、でまず人間ほら簡単にだまされでしょってのやっていただいて、その上で第二回目には文学芸術の中のだまし、

探偵小説とか推理小説と呼ばれてるものは、悪い意味では作家が読者をだます訳ですよね。
すぐには見破るれないような騙しのすじだてを考えて、おもしろおかしく、しかも文学作品だから、いかにも名文をつらねてそういうトリックを仕込んでいくんですけども、シャーロックホームズ始めどんなそこにはトリックの原則があるかってこともお話しするんですね。三回目の霊とカリスマの世界ってんで。

これは日本にとっては1995年で三月二十日に東京地下鉄サリン事件というのがオウム真理教事件て大問題になったんですけども、そこで麻原彰晃って人が持っている一種のカリスマ性。

これに惹かれてですね、東大とか早稲田とか慶応をでた人が他愛もなく教祖が超能力て宙に浮くなんてこと信じて、とんでもない犯罪集団になっていったんですが霊とカリスマの世界を論じてみよう。

そして四回目には科学者もだまされるっていうんで科学者はだまされないか?そんなことはなくて歴史を見てみると科学者もとんでもないうそのことを本当だと思い込んで研究した失敗の歴史もありましたですね。まあ今でも私のまわりでも科学者も詐欺にだまされてるからね。科学者も騙されるっていうのをやろうと。

五回目には実生活に潜むだましっていうんで、まあオレオレ詐欺といわれるものを始めとして、このごろそれでは大変進化しているので自分は騙されないと思ってる人が一番危ないってんですけども、これをまとめようと。
もうつい三日ぐらい前に私にも、フランスからだましのメールが来たんですね。
いかにも親しそうにフランスまで旅立ってきたけれども、財布を盗まれて困ってるんでとりあえずいくらいくら貸して欲しいって僕の知り合いの名前を語っているメールをよこすんですね。
こういう経験は何回かありますので騙されたりはしませんけども、日常いつ騙されるか分からんない。

そして一番最後に六回目どうすればだまされないのかなっていうお話しをしてまとめよというわけですね。

でNHKの受けつけは〇七五の二五四の八七〇一、〇七五二五四の八七〇一ってところで、お電話で受けつけているようですが、出足好調。

そうのようななので関心のある人は一度電話をして様子を伺ってみてもらうとよろしいと思います。
さて私の三月は福島を調査の延長線上で福島の農家の方々が商品にならないエゴマを使って石鹸の開発をしたいというので、京都に集まって、そのをシャボン作り石鹸作りの可能性について関係者と話しし、四月以降の福島調査をまた続けていくその足がかりにしたいと思っています。
今年も基本的に毎月をベースにして福島通いをして、もう被災から八年が経ったんですけども、まだ困難を抱えている福島の人々を何とか私のできる範囲で支援し続けたいいと思っています。

また来月お会いしましょう、さよなら。

 

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ラジオ番組:平和・原発・ひとりごと 2019年2月号

ラジオ番組:平和・原発・ひとりごと 2月号

以下のURLから、ラジオ音声ファイルをダウンロードできます。

FM797京都三条ラジオカフェ
番組ダウンロードURL

http://radiocafe.jp/201704001/episodes/2019-2-6oa/

以下、放送聞き取りテキストです。

 

皆さんこんにちは。

安斎育郎 平和 原発 独り言の時間がやってまいりました。

もう2月ですね。この前、あけましておめでとうと言っていたんですが、もう一年の8%が経っちゃったのかな。

早い気がします。今日このスタジオに来る時にも、いつものように京阪三条で電車降りて、三条大橋を渡りながら来たんですが、お昼時に近い時間帯に来ると、あの土手に座ってお弁当などを広げると、ハトとかカラスがやってくるんですよね。

狙ってるんですね。私も前、狙われたことがありましたけれども。橋を渡って自分自身の買い物をするためにコンビニに寄って、三条河原町の交差点まで来ましたら、物凄い音を立てたパトカーが2台、30秒間隔ぐらいで、ものすごいスピードで北の方に走って行きましたけど、何か交通事故なのか、あるいは事件なのかですね、ただならぬ雰囲気でありました。

まあ、そういうのを見聞きするにつれて、自分が今のところ安全に日々暮らしてることについてホッとするような、これからも気をつけなくちゃっていう感じになりますね。

さて1月にも下旬に福島に行ってきました。57回目の訪問でしたけれども、今、保育園に火傷の散歩ルートの見立てとか、あるいは毎日出す給食の食材の放射能検査・・・このところ、やってもやっても放射能無しという結果しか出てこないので、資料を作るのがかなり大変で、労力を取られるんですね。

だからもうやめてもいいのではないか?っていう声が保育園の保育士の間にもおこってるなかで、いつ、どういう理由でやめたらいいのか?っていうのを悩んでるので、その相談にも行ってきました。

人間なんかことを始める時には、理由があるもんだから、放射能の汚染が心配だから食品を計ろうとかいうそういう理由があって始めるんだけれども、ずっとやってるうちにも、もう何も放射能が検出されない くなって毎日毎日、測定表に” ND = not detectable ” 測定限界以下ですね。

そういうの書き込む為に終了時間がかかって作ってるっていうのが、保育の他の仕事も忙しい中でいつまでやる必要があるのかちょっと悩ましいところなんですね。その相談に乗ってきました。

でも、ちょっと前に示唆したかもしれませんけれども、私は「10年目、軟着陸作戦」っていうの提案してきたんですけども。

今すぐやめても、まあ放射線防護学的には、何の問題もないけども、人間がやっぱり気持ちが大事だからね。今急にやめると、保護者も含めて大丈夫か?という不安が残るといけないので、10年目、事故が起こったのが2011年3月11日だったから、2021年 3月11日をきしてやめるかどうかの最終判断をすることにして、それまで今までやってきた測定を少し緩めてね、測定する品目を減らすとかいう工夫をして、だんだん減らしていって、2011年3月11日から10年目、2021年ですね。

今から2年後ですけども、そこに、何か学習会とか講演会とか、市のこういう放射能担当の人を呼ぶとかして、保育園における給食の放射能汚染の現状はどういうものかってことについてみんなで学びあって、それならこの保育園で測定するのを一区切りさせてもいいでって、判断をしたらどうかってんで、「10年目、軟着陸作戦」の提案したんですが、わりに気に入られたようで、これから具体化するってことになりました。

それから、農家が今年も作物の栽培をするんだけども、汚染環境は大丈夫かどうかっていう相談にものった上で浜通り太平洋側の楢葉町っていうところにある、宝鏡寺、宝の鏡の寺と書くんですが、浄土宗の室町時代以来の古いお寺で、ここに行って、和尚さん早川篤雄さんと言うんですが、この和尚さんと40年来、原発反対運動一緒にやってきたので、「原発悔恨伝言の碑」、原発を批判する活動をやってきたけども、それをついに作らせてしまったうえに、こんな大事故を起こしてしまったことについての悔恨ですね、そして、そういうことを二度と起こさないようにという伝言が伝わるように、一生懸命取り組んましょうっていうことになったんですね。

私がその「原発悔恨伝言の碑」に刻む詩を書いたんですけども、その詩を高さ1 M 幅2 M ぐらいの畳一畳よりも大きいぐらいのものに書いて、そこに、浄土宗のお寺だから阿弥陀菩薩の像をどてんと置いてですね、そして、少なくとも数世紀その伝言が伝わるように、一生懸命取り組みましょうっていうことになったんですね。

その時にちょっと和尚さんと話したんですけれども、浄土宗っていうのはあの鎌倉時代に現れた仏教で南無阿弥陀仏という風に唱えると救われるって言うんだから、念仏を一所懸命唱えようということですね。

それまでの平安仏教は京都を中心にしてありましたけれども、真言宗とか天台宗とあったんですけども・・・鎌倉時代になると 戦争ですね。武士の間の戦いが起こって武士の中には、人を殺した人もいるわけです。当然ね、そういう人でも救われるのか、どうかって、武士にとっては非常に深刻な問題なんだけども、南無阿弥陀仏と一緒に唱えれば救われるって言うんだね。

それはかなり高い支持を受けたわけですね。まあ、天台宗、比叡の山にある天台宗のお寺などでは、ご存知かと思いますが千日回峰行なので1日に30 km ぐらいの道のりを山を駆け巡ってそれを1000日やった上で、一週間ぐらい飲まず食わずで修行すると救われるてんだけども、とてもそんなことやってられないのだからね。それで、しかも自分はの戦争で戦に駆り立てられて、刀で人を殺したりなんかもしてる、命を殺めているので もう絶望的なんですけど、それでもやっぱり死んだ後はできれば極楽に行きたいっていうわけで、そのためにはどうしたらいいかって言うと、南無阿弥陀仏と唱えれば言ってんだからこれはすごいですね。

浄土宗の後に、ご承知でしょうが浄土真宗っていうのができて、親鸞って和尚さんがつくる。

こちらも南無阿弥陀仏と唱えるんですけども、親鸞聖人は南無阿弥陀仏と唱えれば救われて、唱えないと救われないなんていうケチなことを仏様言わない、仏様は全員救うんだってね。

思わず口をついて南無阿弥陀仏と出た時には、自分が救われてるって事は自覚した瞬間だってんで、同じ浄土宗、浄土真宗で南無阿弥陀仏を唱えるけど、その意味合いは歴史的にそれなりの違いがあるんですけども、和尚さんさんと話したのは、阿弥陀仏という音阿弥陀様の「あみだ」というのはどんな意味だったのか?

僕は何か物事の元々の意味とか考える癖があってね。「あみだ」ってのはサンスクリット語の「あみた」は、「ア プラス ミタ」、「ア」ってのは、何々ではないっていう否定の接頭子なんですね。

「ミタ」っていうのは、推し量るという意味なので、「アミタ」っていうのは、推し量ることができない広大無辺な宇宙の原理ですね。とても人間が推し量ることができない、計り知れないそういうものの存在を「アミタ」とこう言ったわけですね。

それに対してですね、僕の方は原子力なんていうものにずっと関わってたので、「アトム」の世界に関わっていたんですが、「アトム」ってコトバは、また「ア プラス トム」から成り立っていて、「ア」ってのは、何なにではないって言う否定の接頭で、「トム」というのは、ちょん切るっていう意味なんですね、ギリシャ語でね。

今でも病院に行くと 「CT スキャン」 「コンピュータテッド トモグラフィ」という「断層撮影」っていうのがありますが、「トモグラフィー」の「トモ」は、切るって意味で、人間を輪切りにするように撮影するので 「CT スキャン」「コンピューテッド トモグラフィ」ですね。

だからアトムの世界っていうのは「ア プラス トム」切ることができない、それ以上細分化することができない物質の最小の単位のことを「アトム」と、こう名付けたんですね。

ジョン=ドルトンっていう人が名付けたんですけども、この人はもう小学校の時代から学校の校長先生だったっていう変な人っていえば、変な人ですけども、驚くべき人ですけども、この人の時代にはまさにこれ以上細分化できない最小の単位として「アトム」と名付けたんだけども、その後の研究によって原子そのものが内部構造を持つ、つまり、原子もさらにちょん切ることもできて、原子核と電子とかね、その原子核のさらに陽子と中性子とか、より細い素粒子ってのに分けられることが分かってきたけども、今でも原子のことは、「アトム」と言ってんですね。

片っぽの浄土宗の早川和尚さんは、計り知れない広大無辺なものに対する信仰をベースに人生を刻んできて、私と同じ今78歳なんですけども、一方の私はこれ以上切り刻むことができない宇宙の最小単位としてのアトムの世界に関わって78年来たんですね。

その二人、広大無辺なるものとこれ以上細分化できない二人が福島の原発問題で会って、今は共同で記念碑を作ろうとしてるってのは、何かそれ自身とても面白い事に感じてね、お金もかかることに相違ないんですけども、2021年のそれこそ3月21日、さっき保育園が食材の放射能のチェックを一区切りつけをかって、その原発事故から10年目には、お披露目ができるようにしたいということで、今、私がその畳一畳分あまりの詩をためしに書いていって、その上にどれくらい大きな阿弥陀様の像も置けばいいかってね、それをさらに次に 会う時には詰めていこうということになったんですね。

まあ、我々、1968年ぐらいから私はこの国の原発政策批判をやって、もうだからちょうど50年前ぐらいになるんですけれども、その原発が反対運動にもかかわらず、日本に54基もできて、そのうちの一基が自然災害に巻き込まれて、とてつもない人類史的な事故を起こしてしまったっていうことについては、とても悔やまれる、もっと何かやり方はなかったのか?っていう風に悔やまれますけどね。

まあ、これからも早川和尚さんとも協力しながら、後世にこういうことが起こらないように、みんなで努力しようではないかっていうことを伝えていきたいというふうに思っています。

福島は、今2月、今月は寒くて雪が降る恐れがあるので、放射能の測定も 実態が雪で放射線が隠されてしまう恐れがあるので、2月はお休みですが、3月からまた福島に赴いて毎月の福島調査を続けていきたいと思っています。

来年には80歳になりますけども、この調査には年齢制限はないので、今しばらくは続けていきたいと思っております。

また来月お会いしましょう、さようなら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カテゴリー: 原発関連

ラジオ番組:平和・原発・ひとりごと 2019年1月号

ラジオ番組:平和・原発・ひとりごと 1月号

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FM797京都三条ラジオカフェ
番組ダウンロードURL
http://radiocafe.jp/201704001/episodes/2019-1-2oa/

以下、放送聞き取りテキストです。

皆さんこんにちはあけましておめでとうございます。 2019年1月2日、早いもんですねぇ。78歳、今年79歳になりますが、歳をとるにつれて一年の経過が、やや早まったような気がするんですね。 気のせいって言えば、気のせいなんですが。 まあ、78歳にふさわしくないほど忙しい慌ただしい生活をしているせいか、何か一年がかなり足早に過ぎ去っていくような気がします。

去年2018年の流行語大賞っていうのが発表されましたけども、カーリング女子日本チームが試合中とか、あるいは、あの作戦会議の途中で使っていた「そだねー」って言うの がまあ予想通りですね、大賞に選ばれました。
「そだねー」っていうのは単純なことばですよね。「そうですね」っていう意味だから、相手の発信しているメッセージに同意を表明することばということですけども、日本人はわりに相手の言ったことによりそうっていう姿勢とか発想はごく普通にありましてね。

それで僕は失敗したことがありますね。
1980年代にヨーロッパのジュネーブにある国連ヨーロッパ本部の職員たちに講演を頼まれて行ったことがあるんですよね。
軍縮平和のための国連職員の会っていうのがあって、国連職員はいろんな国から来てるんですけども自分たちもただ各国代表の会議の場を設定したりしてるだけではなくて自分たち自身も、軍縮や平和のために努力したいって言うんで、そういう会を作ってね。
それで、はるばる日本から私を選んで当時ヨーロッパで問題になっていた中性子爆弾の配備に関して講演をしたんですね。
その時に講演の始まるちょっと前にアルゼンチンから来たピアニストで、今国連職員になってるって女性が国連の内外を案内してくれたんですけども、まあ裏庭のようなところで、ちょっとは彼女の写真を撮りたいと思って、「写真とっていいですか?」って聞いたらば、彼女が「アイム ノット フォトジェニック」って言ったんですね。
私、写真写りが良くないからって言ったんです。だから、写真撮ってもらうのはどうかなっていう意味で言ったんでしょうけども、「私、写真写りが良くないから」っていう言葉に僕の頭の中で翻訳されて、そんなことはないっていう意味で「 ノー! 」って言っちゃったんですね。

これは最悪の事態ですね。
私に「写真写り良くないから」っていうのに対して英語で「 ノー 」って言うと、「そう。あんた写真写り良くない」って、「そだねー」って言ったことに相当するんですね。
この時は、相手が何と言おうと相手の写真写りが良ければ「 イエス! 」と言わなきゃいけないんだけど日本人には、ちょっと覚悟がいるんだよね。
「私、写真写り良くないから」っていう時に「そう」って言ったような感じになってね。だから、つい「 ノー 」って否定したくなっちゃうんだけども、ヨーロッパの発想では、英語ではね、写真写りが良ければ相手がなんと言おうと・・・・相手が写真写りが良ければ、「イエス!」と言わなければいけないんだけれども、日本人にはちょっと覚悟がいるんだよね。「写真写りが良くないから」って時に、「そう」って言ったような感じになってね。
だから、つい「ノー!」って否定したくなっちゃうんだけども。
ヨーロッパの発想では、英語ではね、その写真写りが良ければ相手がなんと言おうと
「ノー!」って「ユーアーフォトジェニック」あなたは写真写りが良いってヨーロッパの発想では、英語ではね、その写真写りが良ければ相手がなんと言おうと「ノー!」って「ユーアーフォトジェニック」「あなたは写真写りが良い」って言わなきゃいけないのに、つい相手の言ったことに寄り添う日本的発想で大失敗をしたことがあります。

状況は彼女も僕の気持ちがわかりますから写真撮らせてもらったけどね。

国際会議上での講演は大変うまくいって、いろんな国の大使級の人とかなんかも来て、中性子爆弾に関する私の話を聞いてくれました。

その日の夜の僕を歓迎するパーティーを街なかのワインバーみたいとこでやってくれたんですけども、9カ国の人が来ていたんですね。

そのときに、今日は9カ国から9人の人が来て安斎さんを歓迎してるっていうメッセージをイギリスのハンターっていう、狩人ですよね。ハンターっていう名前の国連職員が
言ったら東ドイツから来ていた➖当時は西ドイツと東ドイツにドイツは別れたんですが➖東ドイツから来た科学者がですね、西ドイツからも科学者が来ていたので、9カ国ら9人が来ているのではなくて8,5カ国から9人が来ているというふうに言ってもらえないかってことでね。

いずれ東西ドイツは統一するんだっていう意味合いが、そこに込められていて、なかなか感動的な話し合いになったと思います。

それで「そだねー」っていうのは、流行語大賞になったものの、どうもこの間の国会の事情や、政府の動きを見ていると「そうだー」とばかり言ってらんないような気がして、去年の12月5日に京都府庁の記者会見場で記者会見しましてね。憲法を変える
とか言っている現政権に対して、早期に退陣してもらいたっていうんで改憲安倍内閣
の早期退陣を促す京都アピールというのを発表したんですよね。
会見場には、読売新聞とか毎日新聞とか京都新聞など5社が来ていて、翌日に読売新聞や京都新聞や新聞赤旗などに、その様子が報道されたのようで、早速翌日に岡山に住んでいる人から心強いってようなメッセージを頂きました。
だから、まあ「そだねー」っていうのは、人間関係をゆったりとまろやかにする独特の味わいを持った言葉で、これからもときにおいて使っていきたいと思うものの
やっぱり国の政治のあり方とか何かに対しては、きちっとそれを見据えてですね
「そだねー」とばかり言っていられない、そういう問題があれば、きちっと意思表示
をした方がいいと思いますね。

今年2019年には参議院選挙とか国政選挙も控えている中で、我々がきちっと選んだ国会議員が指名した内閣がどういう日本の国の憲法にふさわしい、行政やその政治のあり方を取っているかどうかってのはね、ぜひチェックしていきたいものだと思います。

まあ、そんな、ちょっと厄介な記者会見もやったんですけれども、同時に12月には岐阜県の高山市ってとこに行ってきました。

高山祭ってのは結構有名で、京都の祇園祭と同じように山車が出て、特徴はそのてっぺんで、からくり人形ですね。人形がいろいろ演じたりするんですよね。

凄いですね、江戸時代以来の日本の手工芸の発達ぶりを示すような、とっても面白いからくりをするんですね。

で、せっかく高山来たんだからってんで、そのからくり人形が今でも見られる”からくり会館”ていうとこへ、行きたいと1つは思っていたんですね。えぇ、行ったんです。
行ったらですね、前日から冬期休館中ていうんですよね。見られない。
残念ながらね。えぇ、そういうことがありました。
まぁ、からくりっていうのは実に面白いですね。江戸時代、皆さんもどっかで聞いたことあると思うんですが、そのからくり人形のなかに、お茶を運ぶ、お茶運び人形というのがありますね。

お客さんが来るとロボットですよ、するにね。お茶を乗せて来てですね、お客さんにお茶を渡すと、くるっと180度方向を変えて元に戻っていくって、それを自動的にやるからくり人形がもう江戸時代にできていたんですね。日本は、そういう点では、手工業の発達がもう素晴らしかったんですよね。

まあ、それを見損なってしまって残念だと思ってて、もう一つ高山に来たんだ見たいと思ったのが、”福来友吉資料館”ってのがあるんですね。福来友吉さんなんて名前は皆さんは、全然知らない。知らなくて不思議はない。元東京帝国大学、東京大学の助教授なんですけれども、とっても変わったを人で、明治から大正の時代にかけて彼は超能力にいれあげたんですね。それで御船千鶴子とかね、長尾郁子っていう透視術の大家がいてですね。箱の中に入れたものを箱の蓋を開けずに、中を透視してみせる、そういう能力持ってるという人がいたんです。

それからもう1つはですね、三田光一っていう男性がいましてね。

この人はね、霊視ですね。例えば月の裏側の写真を作って見せるような、そういうことができた月の裏側ってのは見えないですよね。じつに不思議なことといえば、不思議なことだけども、地球と月というのは、おんなじ面を向き合って何億年も回ってるんですよね。

こんなで、少しもずれないってのは素晴らしいんですが、その見えないはずの月の裏側の念写写真を撮ったと、それ以来、福来友吉東京大学当時の助教授が、これは本物だっていれあげましてね。

うん、まあ、ついにどうなったかっていうとを長尾郁子さんや、御船千鶴子さんのご透視術も、また三田光一さんの念写術もインチキだってことに、わかってきてですね。

ついに彼は東京帝国大学の助教授の職を奪われて、そして結局高野山大学で真言宗の和歌山県の高野山にある大学の教授として移っていったんですけども、うん、その途中でゆかりの地、高山でいろんな足跡を残しているので、その高山に行くとちょっと珍しい、マニアックだけどもこの福来友吉、まぁ、ある意味で悲劇の学者人生をたどった人の何かどういう生き方だったのか見たいと思って、高山の駅前の観光案内所に行ったら移転したってんですので、結局これも見られなかったんですね。

それで最後にですね、高山市の図書館の建物が見えたんですけども、この建物が馬鹿に福井県の坂井町っていうところにある”みくに龍翔館”という、前NHKの「だます心だまされる心」っていう8回続いた番組で、第2回目を撮影したその建物に馬鹿によく似てるんですね。

そこはコーネリアス=エッシャーというだまし絵で有名な絵描きさんの父さんが設計したので、きっとこの高山市のあのそっくりに見える建物高山市の図書館も、何かエッシャーと関係あるんじゃないかと思って見たいってんで、これも観光案内所にかけこんだらですね、1週間休館してましてですね、結局、僕が見たいと思った3つは3つとも見られずに高山の古い街並みなどを見て帰ってきたんです。それはそれはそれで楽しいですね。
ちょうど通りがかったらば、杉玉って知ってますかね?
杉の葉っぱを球状にね、ボール状につくったものを、酒屋さんが店先にぶら下げるですね。(お酒の)新酒ができましたって合図なんですけども、ちょうどその古い杉玉を新しい杉玉に取り替える現場に出くわしたしました。

テレビの中継もしてました。まぁそういう、珍しい体験もしながら、しかし一方では見たいと思っていたことが見えないで複雑な面持ちで帰ってきた高山の旅でありました。

きっと今年もやりたいようには出来ない1年かもしれないけども、ええ、79歳になる今年もひき続き福島の放射能の調査などに頑張っていきたいと思います。

ではまた今年もよろしくお願いします。

 

 

 

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安斎育郎からのご案内 「2・9京都アピール市民集会」

 安斎が呼びかけ人代表を務める「9条改憲に反対し、安倍内閣の退陣を求める京都アピール」が緊急に「2・9京都アピール市民集会」を開きます。お誘い合わせの上、是非ともご参加下さい。

◆日時:2019年2月9日(土)14時30分~17時50分

◆場所:キャンパスプラザ京都4階第2講義室(下京区西洞院塩小路下る、京都駅から徒歩5分

◆問題提起:安斎育郎(国際平和ミュージアム名誉館長)/岡野八代(同志社大学大学院教授)/宮本憲一(大阪市立大学名誉教授)ほか。

◆主催:9条改憲に反対し、安倍内閣の退陣を求める京都アピール実行委員会

※当日:20頁程の資料をお配りしますので、若干の資料代のご協力をお願いします。

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ラジオ番組:平和・原発・ひとりごと 12月号

ラジオ番組:平和・原発・ひとりごと 12月号

以下のURLから、ラジオ音声ファイルをダウンロードできます。

FM797京都三条ラジオカフェ
http://radiocafe.jp/201704001/episodes/2018-12-5oa/

番組ダウンロードURL

http://radiocafe.jp/wp-content/blogs.dir/276/files/2018/11/anzai181205.mp3

 

 

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