◆平和友の会会報連載「世相裏表」2018年7月号安斎育郎原稿
朝鮮半島の非核化をめぐって
前号で、夏に向けて安斎育郎・林田光弘・木村朗『核兵器禁止条約を使いこなす』(かもがわ出版)を執筆中であり、その中では米中会談にも触れることになるという予告をしました。本は書き上げましたが、その内容の一部を紹介しましょう。
ご承知の通り、去る今年4月27日に板門店で開かれた南北首脳会談に続き、6月12日には米朝首脳会談がシンガポールで開かれましたが、昨年末の対立ぶりを考えると考えられないほどの急展開です。発表された共同声明には「非核化の時期や方法が明記されていない」など厳しい評価もありますが、さてどう考えましょうか。
確かに、少し前まで「ちびロケットマン」とか「老いぼれ」とか罵りあっていた事態からすれば、明らかにベクトルの向きは「対立」から「協調」へと変わったように見え、それ自身は歓迎すべきことです。私たちがこの対話に信を置けるなら、今後「非核化の時期や方法」について、この延長線上での事態の進展を期待することもできるでしょう。
しかし、厄介なことに、二人のこれまでの言動を見ると、言動の信頼性の点で懐疑的にならざるを得ません。トランプ大統領は「瞬間湯沸かし器」のように急に沸騰するかと思えば冷めると平気で別のことを言い出します。「交渉屋」として「まず居丈高に吠えて威圧し、脅したりすかしたりしながら有利な着地点を探るビジネスマンとしての手練手管」には長けているのでしょうが、これほどの歴史的大問題を誠実かつ着実に律しきれるのか不安です。
キム委員長についても、とりわけ拉致被害者や脱北者の話を聞くにつけ、そう簡単には信を置けないように感じます。粛清や公開処刑や人権差別状況は国連の「北朝鮮における人権に関する調査委員会(COI)」でも厳しく指摘されており、いつまた逆戻りするか分からないという不安が拭えません。
私は、朝鮮半島の非核化について「CVID」(Complete, Verifiable and Irreversible Dismantlement/Denuclearization、完全かつ検証可能で不可逆的な解体/非核化、※私は「シー・ヴイ・アイ・ディー」を「渋谷で」と覚えました)という言葉を聞いたとき、いきなり非核化の問題で「CVID」と言う前に、交渉に臨む二人の信頼性に関わるもう一つの「CVID」があるのではないかと感じました。それは、「Conscientious, Verifiable and Irreversible Dialogue/Diplomacy」(誠実かつ実証可能で、後戻りしない対話/外交)という意味です。Conscientiousは「誠実な、良心的な」という意味で、「人を欺いたりしない」という意味がこめられています。Verifiableは「口から出まかせではなく、有言実行であることを証明できる」という意味です。Irreversibleは「言ったことをなかったことにしたりできない」という意味です。歴史的な大問題ですから、交渉は行きつ戻りつするのは当然でしょうが、大事なことは、約束したことを簡単に反故にしたり、相手を欺いたりすることのない「誠実性」が貫かれていることだと思います。私は今のところ、米朝首脳に安心して事を託せるほどの信頼感を持ち得ていません。
一方、私は、私のもつ民主主義のイメージからかけ離れた、特異なカリスマ性をもつ、時に反人権的とも思われる政治指導者にして初めて、歴史の新たなページが開かれるかもしれないという事態の進展に、かなりの驚きと戸惑いも感じてきました。トランプ大統領には2期8年というアメリカ民主主義の大統領選挙のルールがありますが、事実上の独裁体制下にある北朝鮮のキム委員長にはそうした制約はありません。人がある行動をとるときには何か理由(そのような行動をとる必要性・必然性)があるはずですが、二人がこうした行動をとる背景にどのような必要性や必然性があったのでしょうか。「体制維持」は両者にとって重大な関心事に相違ありませんが、それが単に自分の体制(自己保身)のためではなく、真に平和と人権を保障する体制づくりという大義のためだと信じるためには、もう暫く観察期間が必要だと感じます。
ちょっと整理してみると、核問題をめぐる朝鮮半島情勢の経過は、以下のようでした。
1991年12月 朝鮮半島非核化に関する南北共同宣言
1993年 2月 国際原子力機関(IAEA)が北朝鮮に対して特別査察を要求、北朝鮮がこれを拒否。
3月 北朝鮮が核不拡散条約(NPT)から脱退を宣言、その後これを保留
5月 北朝鮮が弾道ミサイル「ノドン」の発射実験実施
1994年10月 アメリカと北朝鮮が「枠組み合意」に調印。北朝鮮が主要核施設凍結。
1995年3月 朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)が発足
1998年8月 北朝鮮が弾道ミサイル「テポドン1号」の発射実験実施
2002年12月 寧辺(ニョンビョン)の核施設再開を表明
2003年1月 北朝鮮が核不拡散条約(NPT)即時脱退を表明
8月 第1回6か国協議
2004年2月 第2回6か国協議
6月 第3回6か国協議
2005年2月 北朝鮮が核兵器保有を宣言
7月 第4回6か国協議第1次会合
9月 第4回6か国協議第2次会合
11月 第5回6か国協議第1次会合
朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)が解散、清算
2006年7月 北朝鮮が弾道ミサイル「テポドン2号」など7発の発射実験
10月 北朝鮮が「地下核実験に成功」と発表
国連安全保障理事会が北朝鮮に対する制裁決議を全会1致で採択
12月 第5回6か国協議第2次会合
2007年2月 第6回6か国協議第1次会合
9月 第6回6か国協議第2次会合
12月 電気出力5000キロワットの実験炉で核燃料取り出し
2008年6月 プルトニウム2キロを核実験に、26キロを核兵器に使用と申告
7月 第6回6か国協議首席代表者会議
12月 第6回6か国協議首席代表者会議(非核化の検証方法について合意できず)
2009年 4月 「人工衛星打ち上げ用ロケット」発射
5月 北朝鮮、第2回核実験
2011年12月 金正日(キムジョンイル)総書記が死去
2012年4月 金正恩(キムジョンウン)党第1書記に就任
2013年2月 第3回核実験
2016年1月 第4回核実験(北朝鮮は「水爆」と発表)
9月 第5回核実験、第7回党大会で金正恩が党委員長に就任
2017年2月 日本海に向けて弾道ミサイル発射
3月 日本海に向けて弾道ミサイル発射
4月 日本海に向けて弾道ミサイル発射、太陽節(金日成〈キムイルソン〉誕生
日)の弾道ミサイル実験が失敗
5月 弾道ミサイル発射実験
7月 日本海に向けて弾道ミサイル発射
8月 日本海、太平洋に向けて弾道ミサイル発射
9月 第6回核実験
11月 日本海に向けて弾道ミサイル発射
2018年2月 平昌(ピョンチャン)オリンピックに南北統一チーム参加
4月 金正恩(キムジョンウン)・文在寅(ムンジェイン)南北首脳会談
6月 トランプ・キム米朝首脳会談
多くの日本人には、キムジョンウン体制になってから矢継ぎ早に核実験や日本海・太平洋向けの弾道ミサイル発射実験をやっている印象が強いかもしれませんが、核開発路線は先代から引き継いだものです。KEDOの誕生と崩壊の物語は一九九五年から一〇年間の金正日(キムジョンイル)時代のことですが、年表で見ても明らかなとおり、国際社会が「北朝鮮が核不拡散条約から離脱して核兵器開発に走るのではないか」という懸念を強く抱いていた時代であり、実際、1998年には核不拡散条約に加わっていないインドとパキスタンが相次いで核実験を実施した時期でした。インドは「核兵器を持った方が勝ち」のような核超大国による国際支配を批判してすでに1974年に核実験をしていましたが、国境を挟んでインドとの武力衝突を繰り返していたパキスタンも1999年に核保有国に仲間入りしました。パキスタンは貧困で識字率も著しく低い国ですが、核兵器を開発しました。この頃、核拡散は現実の脅威でした。
核兵器保有が単に「国家の格」を象徴するものというだけでなく、アメリカを含む国々との戦争が終わらずに「休戦状態」にある北朝鮮にとっては、核兵器をもつことによって交渉力を高める、無視できない存在になることも重要な目的だったでしょう。北朝鮮特有の喧嘩術もあって、「本当にこの国は核開発に突っ走るかもしれない」という心配が漂い、「原子力開発はともかくとして、核兵器開発には走らないように」という機運の中で、「核拡散につながる恐れが低い軽水炉二基と完成までの期間の重油燃料を、日本と韓国の費用負担によって無償で提供することによって、核兵器のためのプルトニウムを効率的に生産できる黒鉛減速型炉を放棄させ、核兵器開発計画を断念させる目的」でKEDOが設立されました。
北朝鮮の国民が一番困っていることの一つはエネルギー問題で、とりわけ電力供給不足の問題です。夜間の衛星写真でみても、北朝鮮は「闇」に覆われています。電力供給のためなら原発である必然性はありませんから、援助するなら、拉致被害者の蓮池薫さん(新潟産業大学・准教授)も言っているように、高効率石炭火力発電所が最もふさわしかったのかもしれません。よく知られているように、日本の石炭火力発電所はヨーロッパのものに比べても10%近く熱効率がいいので、原子力分野ではなく、非原子力分野のエネルギー生産で貢献できたと思いますが、何しろ当時は「核をめぐる駆け引き」が中心だったので、現実にはKEDOの顛末のようなことになりました。もっとも、核兵器開発の放棄と引き換えに非原子力分野の電力生産技術の導入を受け入れたかどうかは分かりませんし、石炭火力発電技術を受け入れたからといって核兵器開発を放棄したとは限りません。核兵器をもつかもたないかは、単に「技術的能力の問題」ではなく「政治的意志の問題」ですから、非核化交渉でも、相手が核兵器をもちたいという政治的意志をもつ背景にどのような不安や疑心暗鬼があるのかを見定めて、核兵器なしでも自国の安全や発展が保障されると考えられるだけの信頼関係を築くことが必須でしょう。
日本政府はここ数年「北朝鮮への制裁」と「日米軍事一体化による抑止力強化」という強硬姿勢で臨んできましたが、こうしたいわば「北朝鮮敵視政策」は、今年になってからの朝鮮半島和解のダイナミズムの中で「蚊帳の外に置かれる孤立状況」をもたらしたかに見えます。どう考えたらいいでしょうか。
いつも紹介する「世界平和度指数」を思い出してみて下さい。これは、どの国がどれくらい平和かを数値で表現しようとした大胆な試みですが、もともとはイギリスの経済関係の新聞社が戦争や平和や国際関係に関する24項目について得点化し、国連加盟国(193か国)の85%にも相当する国々の総合的な平和度をランク付けしたものです。24項目とは、(1)戦争の数(対外戦・内戦)、(2)外国との戦争による死者の数、(3)内戦による死者数、(4)内戦の程度、(5)近隣国との関係、(6)他国の市民に対する不信感、(7)難民の割合、(8)政治的不安定さ、(9)人権尊重の程度、(10)テロの可能性、(11)殺人事件の数、(12)暴力犯罪の程度、(13)暴動の可能性、(14)犯罪収容者の数、(15)警察・治安維持部隊の数、(16)GDPに対する軍事費の割合、(17)軍人の数、(18)兵器輸入量、(19)兵器の輸出量、(20)国連の介入度、(21)国連以外の介入度、(22)重兵器の数、(23)小型兵器・携帯兵器の入手しやすさ、(24)軍事力とその精錬度、です。単に軍事力だけでなく、他国との信頼関係や犯罪の起こりやすさなども考慮されています。この指標にも、例えば、アメリカの軍事援助を受けている(その分だけ自国の軍事費負担が減る)国が優遇される傾向にあるといった批判もありますが、一国の平和度の年次変化を密には一定の意味があります。
2018年の日本の順位は9位ですが、以前は3位とか5位だった日本は現内閣の下で全体として「ただ今降下中」という感じです。
今度の米朝会談関連の国々を見ると、韓国の49位を筆頭に、中国・アメリカ・北朝鮮・ロシアなどはいずれも100位を下まわっています。シンガポールは8位ですね。
日本の平和度が下降してきた理由は、24項の評価要素のうちの「(5)近隣国との関係」や「(6)他国の市民に対する不信感」が増していることです。もちろん、北朝鮮については、拉致問題が長年にわたって未解決であることや、このところの核・ミサイル問題、それに対抗した日本の「市民参加型避難訓練」などがある種の「合わせ技」となって「北朝鮮不信感」を増悪させたということでしょうが、拉致問題にしても非核化にしても、国家・国民同士が敵対感情をむき出しにして対立しているような状態では進みようがありません。キム委員長が「恥を忍んで」でも「過去と誠実に向きあえる」状況をつくる必要がありますし、「恥を忍んで」でも、自国の反人権的な状況をさらけ出して国際基準の「法による支配」を基調とする開かれた国づくりに転換してもらう必要があるでしょう。今回の米朝会談や、それに先行する南北首脳会談で示された「転換への意欲」を一つの重要な契機として、日朝双方が過去と誠実に向き合う関係づくりのために誠心誠意努力することが必要だと思います。
私が心配していることが二つあります。
一つは、自国の歴史に照らして、日本自身がはたして「過去と誠実に向き合う」姿勢を示しているのかどうか。太古の昔からの交流の歴史をもつ両国が、明治以降の日本の植民地政策の中で支配と被支配の関係に陥り、そこで日本が行なった反人権的な諸事実も含めて、日本の政府関係者は「過去と誠実に向き合う」姿勢をもっているかどうか、大いに問題です。
もう一つは、「法と秩序による支配」という言葉が現政権によってもしばしば使われますが、この間の国会でのやりとりを見聞きするにつけ、不都合なら事実さえも抹消し、公文書の書き換えさえも行なって恥じないような政治・行政の姿勢は、「事実と誠実に向き合う政治」とは正反対だと感じます。「人のふり見てわがふり直せ」という諺がありますが、交渉相手に誠実さを求めるのであれば、いたずらに居丈高な敵対姿勢むき出しで臨むのではなく、こちらも襟を正して誠実に対話する姿勢も不可欠だと感じます。
さらに、もう一つ、「朝鮮の非核化」=「北朝鮮の非核化」とする日本政府の立場に対する批判をもっていますが、これは紙幅の関係で次号にしましょう。