◆平和友の会会報連載「世相裏表」2019年4月号原稿
新元号「令和」に思うこと
安斎育郎
●沖縄で聞いた新元号情報
私の生まれ年は「①西暦1940年、②皇紀2600年、③昭和15年」と、日本では3つの表し方があります。①の西暦とは「キリストの誕生の年(実は生後四年め頃)を元年として数える年代の数え方」で、②の皇紀とは「日本書紀に記された神武天皇即位の年(西暦紀元前660年)を元年として起算した年代の数え方」、そして、③の昭和とは「昭和天皇の在位が始まった1926年(昭和元年)12月25日から起算し、1989年(昭和64年)1月7日に終わる年代の数え方」のことです。
相対論的議論をおくとすれば、時間は一様に過去から未来に向かって流れるので、①でも②でも原理的には全く同等ですが、世界史の流れの中で「キリストの誕生の年(と言われる)年を元年として数える方法」が世界に広く伝わって受け入れられ、かなり広く国の枠組みを超えた年代表記法として使われてきたという事情によって、①が普及しているということに外なりません。
ところが、「昭和」のような元号表記では、一次元的な時間軸を天皇の在位期間によってぶつ切りにしていますので、元号に関する知識なしには歴史上のどの時点を意味するのか分かりません。しかも、昭和が歴史上一番長く同一元号が続いた時代であって、歴史上は1年とか2年とか3年しか続かなかった元号もあります。「天長3年」と言われても、専門の歴史家でなければそれが「西暦826年」のことだといったことは知る由もないでしょう。
私はもともと「元号論者」ではありません。国際的普遍性の点から考えれば、気に入る、入らないという問題はあるとしても「西暦」で表すのが便利であり、それでいいと感じています。それは、英語が気に入る、入らないという問題はあるにしても、国際的な意思疎通のための作業言語としては「英語」が優越した普遍性をもっているのと同じで、英語圏の帝国が植民地政策によって世界にこの言語を押しつけて来たという歴史に由来するもので、英語が優れた言語かどうかといった問題とは無関係です。
だから、元号にはさほどの関心もないのですが、世間は天皇譲位にあたって元号がどう変わるかに大変盛り上がっていました。
私は新元号が発表される4月1日午前11時半ごろには、沖縄の本部半島のあるホテルのレストランでバイキングの昼食をとっていました。近くの席にいた誰かがスマホを見ながら「れいわ(令和)だってさ!」と叫んでいました。
●「令和」と聞いて心に浮かんだことは?
新元号が「令」+「和」と書くのだと知ってまず感じたことは、「和」については「昭和の和」を早くも使ったなあということでした。歴史的にも「和」は元号に何度も使われていますので別に不思議なことではありませんが、皇紀2600年生まれということもあってか昭和の特徴の一つである「戦争の時代」のイメージがちょっと重なって、勝手に「おや、早くも」という感じがしました。
「令」の方はもっと複雑でした。官房長官が掲げた「令和」の「令」の字が、私が普段使用する字体(下の部分が「マ」)とは異なるものだったこともあって、気持ちに引っかかるものがありました。「令」は明朝体で、下が「マ」の字体は筆写体で、試験ではどちらでも正解だそうですね。
次に気になったのが、「令」という字は普段どんな場合に、どんな意味合いで使っているだろうかということでした。一つは「令嬢」「令夫人」のような使い方で、「敬意を表する接頭語的な意味」、もう一つは「法令、政令、律令、生類憐みの令」など「社会の取り決め」という程の意味ですが、もっとも数多く頭に浮かんだのは、「戒厳令、禁止令、命令、号令、箝口令、司令部、勅令、指令」といった「上からの命令」という意味合いを含む言葉です。
「令和」という新元号を聞いてそう感じたのは私だけではないらしく、核保有論者としても知られる自民党の石破茂氏も、「違和感がある。『令』の字の意味について国民が納得してもらえるよう説明する努力をしなければならない」と語ったということです。伝えられるところでは、石破氏も「令が命令を連想させる」ということだったようです。「和」には「協力し合う関係にあること」「争わないこと」といった意味があるので、なんだか「上からの命令に対して争うようなことをせず、協和すること」を求められているような気分がよぎり、一瞬「おやっ?」と思いました。きっと「令」が「冷」を連想させ、「冷たい」というイメージも重なったのかもしれません。
●翌日の沖縄の風景
新元号の出典を聞けば、日本最古の歌集「万葉集」の「梅花(うめのはな)の歌三十二首」の序文「初春の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫す」に由来するものとのことで、原文では、「于時、初春令月、氣淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」となっています。意味は、「時は令(よ)き月、空気は美しく、風は和やかで、梅は鏡の前の美人が白粉(おしろい)で装うように花咲き、蘭は身を飾る衣に纏(まと)う香のように薫らせる」ということのようですが、出典を聞けば、なるほど、新元号を考えよと言われれば典拠すべき文献を決め、そこから好みの二文字を導き出すやり方としてそういう方法もあるだろうと思います。確かに『万葉集』は、時代的には仁徳天皇の皇后である磐姫(いわのひめ)の作と伝えられる歌から、天平宝字3年(759年)の作と言われる大伴家持の歌まで約400年にわたり、地域的には全国各地、作者の階層的には皇族、貴族、官僚、歌人などだけでなく農民や防人(徴用兵士)などの歌も収められていて、「日本文化の水源」とも呼ばれる現存する日本最古の重要な文献に相違ありません。だから、新元号を決める方法としてそういう方法はあるでしょうが、それはあくまでも「元号を決め、それによって年次を表すことに意義がある」という一つの価値観を前提としていることも明らかです。したがって、それを使用する自由とともに、それを用いない自由もあることは言うまでもありません。行政文書や許認可手続きなどに元号表記を用いれば、元号の変わり目には今回もそうであったように巨費を投じて膨大な変更手続きを進めなければなりませんので、私はいい加減に行政文書の年次表記は西暦に一本化した方がよいと信じています。ある調査では、「元号を用いる人」が17.7%、「西暦を用いる人」が41.5%ということで、実態としても「西暦派」が優越していると言えるでしょう。
「令」の字を含む熟語に「巧言令色」という言葉があります。「相手に気に入られるように、心にもないお世辞を言ったり、こびへつらうような顔つきや態度をしたりすること」、「言葉を飾り、心にもなく顔つきを和らげて、人にこびへつらうこと」という意味です。何やら「忖度」にも通じる熟語です。
「令」は小学校4年で学習する漢字ですが、その字源は「頭上に頂く冠」+「ひざまずく人」に由来し、「人がひざまずいて神意を聞くさま」を表しているそうです。そこから「命じる」とか「言いつける」といった意味が派生したと言われています。やはり、「命じられるがままに相和する」ようなイメージには決して陥らないように心がけたいものと思います。
この写真は新元号発表翌日の那覇市の市場本通りの店先です。他にも「令和」をプリントしたTシャツ屋さんが複数ありました。商魂たくましいと言えばそれまでですが、時代に波乗りするだけでなく、時代の波(ニュー・ウエイブ)を作ることにも意を用いたいものだと思います。